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展覧会をみて回った1カ月

昨日はプティパレのパステル画展にいった。いつも行列をして長時間待たなければならないので、土曜日ということもあり、相当の覚悟で行ったのだが、肩透かしをくらった。

行列がなく、すんなりはいれる。料金も10ユーロと安い。会場に人は少なく、ゆっくり自分のペースで回ることができた。
といっても、説明書きはすっ飛ばす。感性で見る、と称しているが、知識がないだけだ。
連れ合いがいたら、どんなに喜んだだろう、というような絵がたくさんある。彼の説明を聞きながら見ていけたらよかったのに、と思いつつ、彼と同じペースで鑑賞したことは無かったことに気づいた。

このプティパレ、常設の展示室も、また、1900年のパリ万博時に建てられたこの建物を見るのも興味ふかい。

実は、一昨日はグランパレのゴーギャン展に行っている。プティパレと間違ってグラン・パレの行列に並んだのだ。途中で気づいたものの、ゴーギャンも好きなので、それはそれでめっけものだった。

これでいくつのミュゼをみただろう。いつも、パリにきても、こんなに動きはしない。今回は少しヤケクソみたいなところがあった。
私はまだ生きている、という確信を持ちたい、そんな気持ちもあったけれど、これだけ見ると、もうここまで、と言われそうな気もする。

パリの地理にも記憶が戻り、地下鉄の乗り換えもだいぶスムーズになった。次の展覧会スケジュールを見ながら、まだ見るものがあるのかと、うんざりもしている。
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娘の言い分

この家の娘が3泊して、ようやく帰っていった。この3日間、緊張しっぱなしで、ぐったりしている。

なぜにこうも緊張するのか。彼女の性格にもよるのだが、彼女1人が私のこの家での存在を好ましく思っていない、ことを承知しているからだ。
なぜ好ましくおもわないのか、彼女の心理もわかる。日本でもそうだが、周りは無責任にいろいろ口を出す。当事者の苦労を無視はしなくても、正当な評価を与えない、評価の基準が異なる、評価のもとになるものが違う、といろいろあるが、彼女の場合、周囲のほとんどが批判している。

そんな中、遠く日本からわざわざ介護のため(実際は何もしないのだが)に来たという私は大もてだ。父の甥や姪がこぞって電話をかけて来て、食事に招待してくれる。
これはもちろん父があってのことだが、大切にされて、いい気分になる。

かたや、娘は国内に住んでいて、彼女の言によれば、2週間に1度、上京して、様子を見ているというのに、誰も評価してくれず、そばにいる時間がすくない、と批判のタネになっている。

今回、この家で起居して、夜の介護がないのが心配になったのだが、娘によれば、それは父親の希望でもあるという。独立心の強い人で、夜くらいは、1人になりたいのだそうだ。人に何や彼や、指示されるのは嫌で、部屋が違っていても、人の気配を感じるのが嫌、らしい。

それはみて取れる。私の滞在を喜ぶ1面、鬱陶しがっているような素振りも見える時がある。

娘は父親の心理的な部分を尊重するというが、肉体的には、もう無理なのではというのが、甥や姪、そして私の判断でもあるが、決定権は娘にある。

娘に、あまり長い滞在は好ましくないと釘を刺された。従妹はは無視していいのよ、と言うけれど、そうもいかない。

父のボケ度も進んで来た。どこまで、彼の意向を尊重できるのか。特に、アルコール摂取について、抑制できるのか、なかなか難しい。

日本に帰って、じっくり考えることにしよう。
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