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寒さ対策に電気毛布を

我が家の寒さ対策の一つは、昔ながらの湯たんぽだった。毎晩、お湯をわかして、つれあいと私の分の湯たんぽをいれ、お布団の中につっこんでいた。
熱湯をいれ、厚手のバスタオルでくるんで、足元にいれる、朝まで一応暖かく、これで十分と思っていた。

ところが今年は少し様子が変わった。足元はいいのだが、体全体は冷えている、という状態になった。そこで電気毛布の使用に思いがいたった、というわけだ。

電気毛布は、この家を建てたとき、25年以上前になるけれど、6枚そろえた。敷布と上からかける毛布、それぞれ3枚ずつ、6人が一緒に泊まっても大丈夫なように、とそろえたのだった。
しかし、あまり使ってはいなかった。母が滞在するときは、年齢から冷えを警戒していたので、敷布のほうを使っていた。

つれあいが亡くなって、総片付け熱がでたとき、この使わない電気敷布、毛布を処分することにした。差し上げます、というようなコミュニティのニュースに載せようとしたが、未使用のものに限るといわれ、一、二度は使っているので、差し上げることもできない。
捨てることにしたのだが、やっぱりもったいないな、とあまり使った形跡のない毛布を2枚残した。

その1枚を使ってみることにした。こういう電気のものを使うと、肌の乾燥が進む、と思い、これまで拒否していたのだが、寝室の暖房を切って寝ると、室温が0度近くまで下がる。
体温というのか皮膚がだんだん冷えていくのがわかるほどだ。

そこで今回使ってみたのだが、今のところ、大変具合がいい。首から上は寒いのだが、体はぽかぽか、暖かい。トイレにたっても、布団の中が暖かいので、あまり苦にならない。

25年も前の製品がちゃんと使えるにのも感激した。ほとんど使っていないから、汚れはないし、新品同様だ。でも何か不都合があろうか、と心配だったが、それもなさそうだ。

こんなことなら、つれあいが冬の寒さを耐えがたく思っていたから、出してやればよかった。当時はそんなものを持っていることすら、記憶になかったのだ。

静電気が起こりやすいという問題はあるけれど、便利なものは利用すべき、という至極もっともな結論にいたっている。

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フランス人は清潔かしら?

フランス人の家の中にはいりこんで、その生活実態をみていて、彼らの清潔さについて、多々疑問に思うことがある。

まず、お風呂にはいる回数だ。シャワーは浴びるけれど、バスタブにお湯をためて、というのは頻繁ではない。これはシャワーだから清潔さが足りないというのではないが、シャワーすら浴びたがらない人もいる。
代父がその例だ。代母が生きていたころは、二人して、なかなかお風呂もシャワーも使っている気配がないのに驚いた。

代父は言っていた。トワレット(洗面や歯磨き、おしりを洗う)をきちんとするから、清潔なんだ、と。
今や、それをきちんとした様子がない。お手伝いさんがやっきになって、シャワーを浴びさせようとするが、抵抗している。

トイレのあと、手を洗わない人が多い。これも言えているような気が今でもする。

洗濯の回数が少ない。以前、まだ代父・代母がちゃんとしていたころ、シーツの洗濯は2週間に1度と聞いたことがあった。私が1週間に一度は変えるというと、それは多すぎる、と言われたこともある。

今回、1カ月プラス1週間の滞在中、シーツの交換は2回、パジャマの洗濯は、替えがないこともあって、1回しかしなかった。最後のころには、早く帰って洗濯したてのパジャマを着たくて仕方がなかった。

ソックスなどは3日に1回にした。毎日履き替えていたけれど、洗濯機の都合で、手洗いに変え、毎日洗うのが面倒で、そうしたのだが、この点でいけば、フランス人の清潔さというより、私の清潔さだが。
昔、友人の一人(ポーランド系フランス人、男性)は、ソックスを1週間はきっぱなしだった。表3日、裏返して4日、としていたようだ。それでもそんなところまで観察しないから、清潔そうにみえていたのだが。彼のことを思い出すと、3日はいてもまだましか、と思っていたのだ。

今回びっくりしたのは、布巾の扱いだ。食器は食洗器で洗い、乾燥までされているから、布巾を使うことはない。しかし、何かしら、拭いたりもすることがあるので、布巾はおいてある。しかし、それが1週間以上洗われることがない。プラス、それが床においてあった。それは娘が濡れた水着を干していたのだが、水滴が落ちるので、それで父親がすべることがないように、と布をおいていたのだが、それが布巾だった。
その布巾を洗濯機の中にいれるのなら、まだいい。ところが、それをまた布巾かけに戻したのだ。

唖然としたが、それをどうこう言うことはしなかった。

アフリカを経験すると、少々のことで、清潔度を云々する気にはなれない。それは自分のいい加減さを肯定したいがゆえでもあるのだが。

郷にいれば郷に従え、だ。ちょっとフランス人的になったかな?と思うのは、清潔度が下がったことかもしれない。
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フランスも少子化

「心配な出生率の低下」という見出しがフィガロの一面に載った。フランスで出生数が激減しているのだとか。
2007年には8180⃣0⃣0⃣であった出産数が、10年後の2017年には757000に減ったという。長く出生率2以上をキープしていたのが、1,88まで落ちて、人口減少の道を歩み始めたのだ。

お茶に呼ばれた家で、近頃の若者は結婚しないという話になった。日本ならわかるのだが、フランスでも結婚しないのか、と意外に思った。
理由は、日本と同じく、経済的な不安、格差、それにITが発達したことで、コクーンの生活に慣れていること、またフランス独特な理由では、PACSのカップルもいること、などがあげられていた。

きわめて保守的な家庭であるそのお宅では、離婚は恥ずべきことでもあり、子どもの一人が離婚したのよ、と弁解っぽく話すのだった。

それでも、私の知っている家庭での子供の数は多い。3人以上の子供がいると、大家族としての優遇が受けられる。手当も子供の数が多ければ多いほど、多額になるし、優遇措置も増える。

日本は出生率が1,22程度だというと、それは危機的ね、と言われる。そうなると、それが子供のいない自分のせいのように感じてしまう。

フランスは出生率回復のための施策をどうするのだろう。

「フランスはどう少子化を克服したか」(高崎順子著、新潮新書、2016)では、女性に子供を産んでもらうために、社会が育てる、的な施策の実例をあげていた。日本も参考にしたらいい、と思うものがたくさんあった。

この本が日本で出たときには、すでにフランスの少子化が始まっていたことになる。

しばらくはどう対策がとられるのか、注視していくことにする。


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セーヌ川の氾濫

1月になって、セーヌ川の上流地区から、氾濫が始まった。それがパリにも及んだという。パリを離れるころからもう言われていたが、この数日は日本のニュースでも扱われている。

日本のメディアでは、冬なのに川が氾濫するのですか?というキャスターもいたけれど、フランス、ヨーロッパではというのかもしれないが、川の氾濫は冬に多い。
冬に雨が多いのだ。日本では梅雨や台風といったときに川が氾濫するけれど、ヨーロッパ大陸では冬場に雨がよく降る。

私の滞在期間中もほとんど雨だった。そんなに激しくふるわけではなかったが、地方によっては大嵐の連続で、雨量も記録的ということもあった。

フランスでは平坦な土地が多いから、川の流れはゆったりしている。周囲からの水を集めて、ゆったりと流れるから、水量がどんどん増えるわけだ。

滞在期間の最期のころ、パリの中心に行くと、セーヌの水量が増えているのがよくみえた。左岸から右岸へと渡る橋の下、橋げたの中間部分まで水が昇っている。
この光景は、一昨年の5月にも経験した。その時は、オルセー美術館、それにルーブルまでも、浸水のため閉館したものだ。

ズアーブといったか、橋げたのところに兵士の像があって、それの足元、ひざ下、と増水量の目安にされている。

もうパリも遠くなって、今、私の関心は、毎日の気温、降雪量、それに草津白根の噴火になった。
セーヌ河畔のアパルトマンに住む友人もいるけれど、そこまでは浸水しないだろう。
季節、季節で心配事は絶えないものだ。

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ポール・ボキューズ逝く

先週、丁度帰国したころ、フランスの名コック、ポール・ボキューズが91歳で死去したニュースが流れた。
リヨンで、彼の名前を冠したレストランを経営していたほか、コックの職業を大いに高めた功績がある。

一度、このレストランに足を運んだことがある。南仏に住んでいたころだから、20年以上前のことだ。たしか、亡きつれあいのお祝いごとがあって、日本から来た娘夫婦も一緒だった。

その時のメニューが残っていた。まだユーロになる前、フランの時代である。金額がユーロ換算でいくらになるやら、もう計算する気もない。

710フランというメニューでは、最初にSoupe aux truffes noires V.G.E.とある。1975年にエリゼ宮、すなわち大統領のために考案されたスープというから、VGEは当時の大統領、ヴァレリー・ジスカールデスタンである。

このメニューを選んだのかどうか、何を食べたのか全く覚えていないのだが、少なくとも、こってりした味であったことは記憶している。当時はまだ若かった。いまではとても消化できそうにない。

大きなメニューをもらってきたのだが、このメニューに挙げられた料理は、きっとフランス料理そのもの、というものなのだろう。

料理が供されている途中、大きなシェフ帽をかぶったポールが、客席をまわって歩く。記念撮影にも気楽に応じてくれる。メニューと、ジスカールデスタン大統領夫妻が来店したときの記念写真を添えて、お客にプレゼントしてくれる。こちらとてしては、めったに来れないレストラン、ありがたい記念品だ。

あなた、このお店にも連れて行ってくださったわね、と遺影に言う。いい思い出だった。

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大雪の日、鳥たちが戻ってきた

今日は予報がピタリと当たった。午後から雪、1時から降り始めた。予報がそうなら、用事は午前中にといつもはあまり信じない予報を信じてよかった。

フランスから帰宅して4日たつ。帰宅するとすぐにしたこと、ベランダの鳥用エサ台にひまわりの種をおくことだった。
私がいなかった1カ月余、鳥たちはどう生き延びただろうか。私の帰宅を知って、すぐに様子見にきてくれるだろうか、そんな期待で待っていた。

ところが鳥たちは、避寒にでも出かけたのか、ちらりとも姿をみせない。ベランダだけではなく、周辺にも飛んでいる姿をも認められない。
どうしたことだろう。冬の間、エサとなるものがなくて、朝、私がベランダに出ると、チチチとエサをねだる鳴き声を聞かせたものだ。

今日は違った。雪の降り具合をみていると、鳥がちょんちょんと、ベランダの板をスキップしている。
おやおや、あなた方も旅行から帰ってきたの?と問うと、ちょっと頭をかしげる。

すこしずつ、元にもどっていく。つれあいがいなくなったことを除いて。
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フランス人のエコ意識

パリ協定から、もう2,3年たった。当時、主催国として、エコロジーの問題は大きく取り上げられていた。やはり、あのころからフランス人の意識は変わったような気がする・

よく目にするのが、薄い生地でできたトートバッグである。日本では割と厚い生地でしっかりと作ってあるものが多いけれど、こちらでは薄っぺらの生地のものが多い。

これは買い物をしたときなど、使われる。フランスでは昔から、買い物には編かごを持参して、その中にぶちこんでいく。レジ袋などの使用は少なかった。

今ではレジ袋はほとんど追放されたようだ。スーパーで買い物をして、入れるものがほしい、というと、数年前まではレジ袋だったが、今では紙の袋になっている。いずれも有料だ。10サンチームほど、14円ほどの価格だけれど、有料だと思うと、いらないと言ってしまう。

そこにトートバッグが登場するのだ。薄くても、木綿だったりで、しっかりしている。持ち重りはするだろうが。
私もフランス版トートバッグを日本から持参していたのだが、必要な時には忘れているという状態で、10サンチームの出費をするか、買い物をあきらめるか、で買い物をあきらめていた。ずいぶんケチな話ではあるが。

日本ではどうしてあんなに簡単にレジ袋をくれるの?と日本を旅行した人にいわれたこともある。

パリのバスがほとんど電気自動車だ。信号で止まると、エンジンも止まる。再稼働に時間がかかりそうな音で止まるけれど、すぐに動き出すから心配はない。

分別回収がどのように行われているか、今回、あまりチェックできなかった。以前、街角にたくさんみかけていた分別用の回収ボックス、たとえば、ビン類のボックスなど、週末あけには、はみ出た瓶が転がっていて、危険でもあり、汚らしくもあった。

古着のボックスもあると聞いていたが、今回、街によく出た割に、目に着かなかったのはどうしてだろう。

道路にポイ捨てをする人は少なくなったようだ。以前は、掃除人の大きな箒からはみ出るように、ごみがあったけれど、今、そんなやり方で掃除もしないし、路上のごみも少なくなっている。しかし、煙草の吸殻、チューインガム、犬のふん、これは少なくなったとは言えない。

個々の行動もそうだが、小さなところから大きなところ、たとえば原子力発電についての意見も、変わってきたと思う。保守的な、お金持ちたちは、原発容認だったけれど、今、その危険性を話す。

今日、軽井沢のスーパーで買い物をした。その店の大きなバッグは持参したけれど、それだけでははいりきれない。レジ袋をお付けしますか?と言われ、つい有料ですか?と聞いてしまった。いえ、無料です、と言われ、それではパン用にもう一枚、と追加してもらった私は、なかなかエコ意識が熟していかない。
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ひどい時差ボケ

冬時間だから、日仏間の時差は8時間。
前回のフランス行きは5月だったから、7時間。1時間の違いのせいなのか、それとも、体調の違いなのか、今回の時差ボケはひどい。

飛行時間12時間、夜間飛行にもかかわらず、ほとんど眠れなかった。これは覚悟の上だから、それで良い。到着当日は、東京の友人宅に泊まる。最初の夜は眠れるのだ。
入眠剤は服用、CDG空港で買ってきたばかりのワインも少し飲んだ。熱いお風呂にもはいって、万全の体勢でベッドに入った。11時から2時まで、1時間ほどはフランスから持ち帰った新聞など読んだけれど、その後も眠れた。

これで時差ボケ終わりと思うととんでもないことだ。これからが苦しい。自宅に帰り、フラフラしながらも、日本時間に合わせるため、昼寝はしない。眠い、けれどもがんばる。10時頃から就寝の体勢に入るが、昼間の眠気がどこへ行ったやら、だ。

どうしてそうなるの?と聞きたくなるが、眠れない。でも、12時過ぎであることははっきりしているが、突然、寝てしまったようだ。その先を覚えていない。
次の朝、目が覚めたのは、10時であった。仕事をしているのなら、こんなことを警戒して、目覚ましをセットするのだが、独り身、何時に起きようと構わない。でも、その日の用事を午後に予定しておいてよかった。

そして昨夜、前夜が爆睡であるから、そう簡単に眠気はくるまいと、ゆっくり構える。12時をめどに、11時半からのオーストリアオープンもちょっと見てみる。
12時、明かりを消し、テレビも30分のタイマーにして、いつでも入眠していい状態にする。

ところが眠れない。30分のタイマーをもう一度設定。熱心にみているわけではない。目を閉じて、半眠態勢にしているのに、眠気がこないのだ。とうとう、3時まで、テニスをみてしまう。

そこで一旦テレビを消し、どうしても眠るぞ、と決意する。もう眠れる、と呪文も唱えるが、眠気がない。
地上波とデジタル局のザッピングをする。30分のタイマー、消す、といろいろするが、結局、一睡もできないまま、朝を迎えた。
階下の暖房機は6時にセットしている。7時なら、少しは温まっているだろうと、テレビ体操は、ベッドの中でみて、体を動かした気分になる。

昔、こんなことがよくあった。一睡もしないまま、目をしょぼつかせ、頭痛をこらえながら、職場は行ったものだ。
もうそれはないけれど、昼寝をすると、夜がな眠れないだろう。今、頑張っているところだ。

私より1日後に帰国した友人も、時差に苦しんでいるらしい。友よ、共に頑張ろう。
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お手伝いさんの愚痴

フランス滞在中、なにをしていたのだろう。日々の記録は残しているが、そこの書いていないけれど、多くの時間を費やしたのは、お手伝いさんの愚痴を聞くことだった。

週5にち、8時から午後4時まで、働いている。ほかの3人に比べ、時間に正確な彼女は、台所で朝食をとっていると、8時をまわった頃現れる。外はまだ真っ暗で、早朝出勤と思える。

父が起きてくるのは9時頃、それまではみっちり愚痴を聞くことになる。前日、彼女が帰ってからの父の様子、夕食時、何杯のワインを飲んだか、ここで、ワインの飲み過ぎについて講釈が始まる。父の場合、服用している薬の関係で、せめてワイン1杯にとどめておかなければならないのだが、父はどこ吹く風で、数杯飲む。

そこからスタートして、洗濯が多いこと、買い物が大変なこと、対外的な折衝もただのお手伝いに過ぎない自分が全て担当していること、などが続くのだが、まずはお手伝いさん扱いにしてはいけないのだ。
彼女の職業は、auxiliaire de vieという。お手伝いさんを意味するfemme de ménage とは違うのだ。ちゃんとした資格なのだとか。介護士となるのだろうか。
ところが家事一般も担当させられ、ほかの3人がちっとも働かないから、自分にだけ負担がかかっている、というのがメインである。給与も、日給で契約しているので、12月のように休日の多い日は手取り額が減る、という。

働きぶりはいいし、気はきくし、得難い人材なのだが、この愚痴の多さにうんざりだ。愚痴をこぼしたい気持ちもわかるし、自分の仕事ぶりを評価してほしいのもわかる。しかしその改善を求めるのなら、私にいうのではなく、改善を図れる立場の人に話さなければ無駄である。

そう伝えても、やっぱり愚痴は続く。こうnegativeに働いていては、毎日が楽しくないのも当然だ。苦笑の顔は見ても、心から笑っている表情をみたことがない。
ほかの人とは冗談もいい、大声で笑ったりすることもあるのだが、この彼女とは冗談が通じない。

父に対する態度も、口の利き方もだんだん上から姿勢になって来ている。言葉遣いはきちんとしているのだが、耳の悪い父に強い声音で、薬を飲むように言うのを聞いていると、あなたのために言っているのです、そうでしょう?と言わずもがなと思ってしまう。

彼女の献身がわかるだけに、無駄に愚痴をこぼすだけの彼女が哀れでならなかった。
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トロティネットは便利そう

父の住むヌイイは、パリの隣、郵便番号は92がつくけれど、パリと全く一緒だ。一緒でない、というのは、人口密度がパリより低く、お金持ちがより集中して住んでいるということだろうか。

人を押し分けて歩くことが苦手な私は、この街の道路が閑散としていることが気に入っている。だから、トロティネットで動く子供や大人がちっとも気にならない。

日本でも登場した時は流行したと思うが、この頃はあまり見かけない。ところが、こちらではトロティネットで移動する人が結構いる。原則的には子供のおもちゃと考えていいのだと思うが、結構大人も使っている。従妹の連れ合いもその口で、近所の買い物には便利してるんだ、という。

そのうち電動ができるかも、そしたらパリの自宅からヌイイまでトロティネットで行ってもいい、と言う。

この乗り物と言っていいのか、は、歩行者が多いところでは無理だ。道路が舗装されていること、平坦であること、などが必要条件となる。

すぐそばをスピードで走り抜けられると、やめなさい、と叫びたくなるが、概ね、節度をもった走り方である。

メトロの駅まで、15分から20分、トボトボ、ヨタヨタ歩きながら、よし次回は電動トロティネットを使ってみよう、などと思う。電動があるかどうかは不明だ。
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