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宗教って何(7):献金

旧統一教会の問題の一つに、多額の献金がある。

私はキリスト教のプロテスタント、ルーテル派からスタートしたのだが、今、記憶をたぐっても、多額の献金などは記憶にない。
まず、毎日曜日、教会でのお祈りに行くのはいいのだが、その中で回ってくる献金袋にお金をいれるのが苦になって、教会に通うことをやめたような気がする。
いくらお小遣いをもらっていたか、記憶にないが、10円くらいを献金袋にいれるのが惜しくなった。母親は特に、教会いきについて、賛成でも反対でもなく、自由だったから、献金しなければならないことは知っていただろうが、それ用にお金を渡されることはなかった。

子供のこともあり、当時、教会は日曜日の献金で存在していたと思っていた。それ以外に維持献金というのか、月ぎめの献金やら寄付やら、それらがあったのかどうかすら知らなかった。

次にきちんと教会にいったのは、マルセイユでのことだ。
この時は、できれば洗礼を受けたいという思いもあって、真面目に通ったけれど、それも日曜日のミサだけで、その当時もミサの間にまわってくる献金袋にコインではなく、お札をいれる(ちょっと高額になる)くらいのことであった。
受洗の希望を神父様に伝えたときにも、献金やその他の寄付を言われたことはない。

アフリカでも、修道院のチャペルでのミサにあずかっていたが、献金袋がまわってきて、それに少額をいれるだけだったような、そんな記憶しかない。

日本に帰ってきて、所属の教会では、月ぎめの献金もあったので、それは自分で納得した金額を決めればよかった。
献金というものはそんなものなのだと思っていた。

もし、特別なことをした、というのであれば、マルセイユを離れる前に、教会の横の広場で、マルシェというのか、そんなものが開かれる、という機会があった。そのマルシェの主催者がだれであったかは記憶にないが、神父様に話し、私も参加させてもらった。
もう、転勤も視野にはいっていたので、日本から持参した、陶器や漆器、織物、お膳、書画、ガラクタも含め、もういらないだろうと思うものを売った。たくさん売れた。

買ってくれた人のなかには、マルセイユで友人になった人たちも大勢いたが、教会の信徒たち、地元新聞でこのマルシェを知ったひとたち、私一人が外国からのものを扱っていて、それは彼らにとっても意外性もあって、購買欲を刺激したようだった。

その売り上げを全額、神父様にお渡しした。
神父様はそれは義務ではない、と言われたが、マルシェに参加したときから、そのつもりだった。
私が教会に捧げたのは、それが最大、そして、今のところ、唯一の献金である。

多額の献金を強要されて、それをしなければ信仰が成立しない、と言われたとき、信仰そのものを疑う気持ちにならないのだろうか?
カトリックの信者になりたい、と思うきっかけとなったフランスの代父の言葉に、無償の愛、がある。
まだその深みまではわかっていないけれど、無償であること、これを大切に生きたい。



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初入院体験記:特別病室

初めての入院を、あまり気を使うことのなく、トラブルを起こさないように、個室を選んだ。
救急受付の病院なので、もし、個室を使わなければならにような救急患者が出た場合は、ほかの部屋になることもご了承ください、という予告付きだ。
しかし、当日、そういう事態は発生せず、個室に入ることができた。

さて、この個室、特別という言葉がついているけれど、どこまで特別なのだろう。

結局、スペースだけの問題で、特別扱いというのは何もなかった。
つまり、担当医、看護師、その他のスタッフの訪問、食事、看護の質、すべて、おそらくはほかの病室と変わりはないのだろう。

入院した翌日、もう6時すぎから体温や血圧チェックがはいる。
食事まで手持無沙汰である。看護師さんに、新聞はありますか?と問うと、???の反応だ。
そうか、ホテルと違って、何新聞をご希望ですか?なんて聞かれなかったし、と新聞なしにも納得する。
売店は何時からでしょうか?と聞くと、9時くらいかららしい。
9時から検査が入っている。検査が終わって、売店まで新聞を買いにいく気力・体力はないだろう。
ここは都会、村と違って、午後になると夕刊にかわるはずだ。
今日は新聞なしとあきらめよう。

病気にならない、けがをしない、が一番であることはわかっているが、一度入院してみたい病院がある。
それはフランスのオピタル・アメリカンと、東京の聖路加病院だ。

オピタル・アメリカンはパリ郊外のヌイイにある。フランスの両親の住んでいた場所から歩いてもいける距離だった。
といっても、一度、散歩で足を延ばしたけれど、それ以外、とうとう行かなかった。
この病院は、世界から患者が集まるらしい。
アフリカにいたとき、この病院に入院できる特約がついた疾病保険に入っていたらしいが、その機会はないままだった。

フランスの父(と呼ぶ人)が、自分は入院したことがある、と自慢した。そして、その入院中、アラブの王妃が入院して、そのため、その階全部を貸し切り、父も病室を変わったのだそうだ。そのかわり、入院費が無料になり?ご挨拶の花束が届き、といった特別のことがあったらしい。
食事もメニューで選んだりできる、ということだったが、病気で入院の場合、何らかの制約(糖分や塩分など)もあって、選べるからいい、ということもないようだ。

費用はやっぱり相当かかるのだろうが、入院したことのある日本人の友人によると、海外保険に加入していると、この費用が補填されるという。
つくづく、アフリカのとき、その機会を失したのが残念であるような。

日本で入院したいのは、東京の聖路加、ここもうわさでしかないけれど、入院費は相当高額らしい。
どんな看護が得られるのか、看護の基本はかわらないのだろうが、そこにかゆいところに手が届く、とか至れり尽くせりという表現がつくような看護なのだろう。
かって、名前を同じくする有名人が長期間にわたって入院していたそうだが、その費用たるや、一財産も二財産も使うものであったとか。

豪華ホテルに泊まっても、自宅に帰って、済めば都の気分になるが、ましてや病気入院であれば、帰宅して、自分のベッドで寝る、そのくつろぎに勝るものはないのだろう。
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初入院体験記:入院手続き

入院手続きとホテルのチェックインはやっぱり違う。
まず、時間が決められている。いつでもどうぞ、とはならない。

私の場合、13時指定だった。ただ、今回はコロナ期でもあり、入院の前にPCR検査をすませなければならない。
13時から当日の入院患者用の検査がセットされていた。
PCR検査、これも初めてだ。

担当の人が、はい、ちょっと上を向いたかげんで、葉なの奥がちょっとツンとしますよ、と長い綿棒を葉なの奥にいれて、何度かくるくる回す。
はい、済みました、痛かったですか?とやさしく聞いてくれる。もう済んだこと、痛かったから、やり直してということにはならない。

検査終了後は、ベンチに座って、結果をまつ。今日の予定者は全員陰性だった。
総合窓口の入院受付で手続きをする。
身元保証人と引受人の記入が必要だったが、ただの検査入院だから不要と思っていました、ともう最初からミスがでてしまう。

さて次は病棟の受付だ。病室に案内される。
「当院へのご入院ありがとうございます」というような挨拶はない。
この病院は特別なのか、病室のソファ(個室の設備)に座ったとたん、次々にスタッフがみえる。
まずは、病棟の看護師、今日の担当(夕方5時まで)の方、薬剤師、栄養士、にこやかに、真面目に、ていねいに、設備や入院に関しての情報を教えてくれるのだが、少し、こちらは上の空だ。
薬剤師さんには、常用している薬を渡す。これは、服用するとき、夕食前とか後とか、就寝前とか、その服用時にあわせて、看護師の人が届けて、服用も確認するのだそうだ。

個室でよかった。こういった説明を同室の人たちに気兼ねしつつ受けるのも難儀なことだ。

部屋でゃ32,4平米、ユニットバス、流し台、電子レンジ、冷蔵庫、応接セット、ロッカー、机、チェスト、テレビ、電話、トイレがついている。
テレビは、ふつうテレビカードを購入するとあったが、この個室は無料だとちう。BSも写る。

一通りのガイダンスが終わると、今度は身体検査というのか、血圧、体温、パルス(心拍)のチェックがある。
担当医師もみえて、一応の説明がある。こういう手順を踏んでいると、やっぱり検査といえども、なんらかの危険度や重大性がありそうな気がして、かえって心拍があがりそうだ。

食事は朝食8時、昼食12時、夕食18時となっている。
3食付きというのは、主婦業としては魅力だけれど、一首のお仕着せでもあるし、楽しみであり、心配でもある。
おいしかった。味は薄目、ということは私の好みだ。油気なし、トロミがついている。
そうだ、誤嚥を防ぐためにトロミがついているのだ、つれあいの入院時を思い出す。
品数は多くない。これはさみしかった。しかし、1日の食費が460円というのをみると、こんなにヴァラエティが許されるものかと、自宅での工夫のなさを反省する。

すぐに空腹になるのには困った。食べたすぐあとにおなかがなっている。
しかし、今回は初体験、病院のきまりに従順であろうと、水分以外はなにも持参していない。我慢あるのみだ。

今回は、検査のための入院、2泊3日、これからどんなことが起きるかわからないが、初めての体験としては、とてもいいものだった。こちらが自分で動け、考えることもでき、ということもあったけれど。
それにしても、つれあいの最後は病院だった。1か月半を大学病院で、残りの1か月半が赤十字病院だった。私ももし入院ということを経験していれば、つれあいの入院時の心理ももっと理解することができただろうに、と思った。

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初入院体験記:2泊3日の旅

今回の入院は2泊3日、なんだか週末旅行みたいである。
まさしく、旅行とほぼ同じような準備をする。
食事つき(朝、昼、夜の3食)だし、と思いながら、ホテル泊まりとは違う部分を整える。
まずは入院中はほとんどの時間をパジャマで過ごす。
病院でいろんなセットを有料で準備してくれるらしいが、今回は長期間ではないし、すべて自前ということにしている。

パジャマは1セットでいいかしら、毎日着替えるとすると3セットか、病院にふさわしいものはあまり持っていない。それに夏の時期、うすいブルーの、生地も薄い夏物の、とはいえ、透けてはいないパジャマ1セット。
お風呂ないしシャワーを浴びるときのために、体をあらうもの、バスタオル、これは2組用意。
洗面セット、化粧品、ただし、基礎化粧品のみ。化粧はしないでくださいという注意書きがある。
洗面セットには、コップも必要だ。

こうしてみると、旅行の準備といっても、まるでユースホステル利用と似ている。
25歳で、初めて海外旅行にでたときは、時にはユースホステルも利用するだろうと、何からなにまで準備したはずだが、もう忘却の彼方だ。

4人部屋だったりすると、イアフォンも必要だが、個室だから音は出していいだろう。
スリッパもいる。病院でいいスリッパとはどんなものだろう、とある高級ホテルで出されたスリッパを準備。ある程度厚みもあり、履き心地もいい。

かっこつけてパソコンも持参するか、なんて考えるが、別にパソコンがなくて困ることはない。
スマホさえあれば世界とつながっている。
読書の本は必要だ。どれだけ読む気がでるかはわからないけれど。
水はたくさんお持ちください、という指示があった。薬の関係で、水をたくさん飲む必要があるらしい。もちろん、これも病院内に自動販売機はあるだろうが、最低限は準備。

アフリカの砂漠に行くわけじゃない。都会の大きな病院、不足すれば売店もある、そしてたったの2泊なのだ。

ゴロゴロ(引っ張る小型のケース)に必要分を詰め込み、いざ出発。
なんせ、コロナで蟄居生活をしていたから、2泊3日の外出を楽しもう。
しかし、避暑地から炎熱の都会への旅とは、これいかに。


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後期高齢者の初入院体験記

この年齢になれば、入院の体験がない、という人も少ないだろう。
とかってに思っている、その少ない人の中にあったのだが、この度、初めて入院した。
しかし、その入院も、入院検査のためで、本格的な入院ではない。

それにしても初めて、2泊3日での入院、その緊張たるや、大変なものである。
そして、これまで入院した人のお見舞いなり、家族であったことはあるが、自分自身が内側にある体験をして、そうなんだ、と気づいたことなど記したい。

入院にいたるまでは、地元の病院での検査、その検査でははっきりしない結果がでて、もっと大きい病院での検査を受け、結局は、入院しての検査となった。

入院してまでの検査であるから、そんなにありきたりの検査ではない。
じゃじゃーん、それは心臓のカテーテル検査である。

心臓が強いとは思っていたけど、心臓が悪いとは、露ほどにも思わなかったわ、というのが友人たちの反応である。
本人もそう思っていたけれど、医学的検査、まずは村の健康診断で受けた心電図、過去2年は異常なしであったが、今年の分では異常ありと出た。
ほかに、以前からでていた症状だが、時々、心臓あたりが痛くなる。
そんなこんなで、友人の一人から医者にみせることを勧められ、専門医へとつながり、幾多の検査を経て、最終的に心臓カテーテル検査、となったのだ。

つれあいの入院時に手続きなどはしたことがあるけれど、こうして私自身が入院するとは、可能性があるにも関わらず、考えもしなかったのだ。
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宗教って何?(6)お墓のあれこれ

お盆が過ぎて、ご先祖様たちをあの世に送り返した、と思ったら、今度は自分の行く先を思いやらねばならないことにもなってくる。

年齢を重ねた人間が集まると、話題は持病、孫となり、それをもっと過ぎると、葬式、墓となる、と言われるが、この頃、親の墓をどうする、もあるが、配偶者や自分の墓はどうなる?という問題が身近になってきた。

ウクライナの埋葬シーンをテレビでみる。
たくさんの戦死、あるいは爆撃の犠牲者、年齢を問わず、多くの死者が出て、その埋葬の場面がでてくる。
穴を掘り、そこにご遺体のはいった棺を埋め、故人の名前をいれた十字架を建てる。
身元のわからない人は、DNAの検索番号が記されている。
まだまだ土葬の国なのだ。

とはいえ、襲撃のあと、一挙に多数の死者がでて、その身元が判明しない、ご遺体の区別がつかない、というとき、まとめて埋葬、という手段もとられているような。
墓を作れるというのは大変に恵まれている。

フランスの父と母のお墓を思い出す、
母が先に亡くなった。
彼女はとても保守的な人だったし、あとを夫にまかせっきりで、なんの注文もつけなかったと思う。
パリ郊外のコミューンの墓地に、父の母方の墓があり、そこに埋葬された。
そして父は、その2年後に亡くなったのだが、その墓にもう一つの棺をいれるだけの余地はなかった。
予知だけの問題ではなく、彼はとても合理的な面があり、フランスではまだ少数派の火葬を選んだ。
カトリックの保守派のなかでは、まだ火葬は受け入れられていない。父が96歳での死去で、火葬を選んだというのは、スキャンダルだという甥や姪もいた。しかし、それは遺言に記されており、お棺に呉べれば小さな骨壺は難なくお墓に収まった。

これで本当に満杯だ、と姓を同じくする甥が言った。
父には赤ちゃんのときに向かい入れた娘と息子がいるが、娘は嫁ぎ、別家庭だ。息子は南仏で暮らしている。この墓地を最後に選ぶことはない。
甥は、自分の父と母は別のところの墓地に埋葬しているから、と、父の墓を管理する気はない。
お墓ははかないものよ、と言葉で遊ぶ。

モーツアルトの時代に戻りたい。
あの時代は、共同墓地どころか、死んだら、大きな穴にポイと捨てられて、そのままだったようだ。
だから、もし、ここにモーツアルトが埋葬されています、などとあれば、眉唾どころか、真っ赤な嘘になりそうだ。

私はナポレオンの墓も疑わしく思っている。
現在は、アンヴァリッドに、大理石のお棺、2重になっているらしい、にうやうやしく入れられているというけれど、中に本当に入っているのだろうか。
大西洋のセント・ヘレナ島で死んで、彼自体は火葬を望んでいたらしい、灰をセーヌ川にまくように、というのが遺言にあったとか、それはさすがにされずに埋葬されていたものを、パリに持ち帰り、パンテオンに収めた。

世界で一番豪華なお墓はどこだろう。ピラミッドか、ルクソールの王家の谷のどれかか、アスワンか、中国の廟か。

この頃、墓はめんどうくさい、散骨がいい、樹木葬で名前をいれない、もうお参りしてもらう必要もない、という人たちが増えているけれど、法律がそれについてこないのか、制約が多いようだ。

つい先日、友人の配偶者が亡くなられた。
ずいぶん以前に、僕はタイのプーケットの海岸に散骨してほしいのだ、と言われていた。
プーケットには毎年出かけて、第二の故郷でもあったのだろう。

私は地中海がいい、と思っているが、それこそ、散骨のために足を運んでくれる人がいるかどうか、また、それがフランスで認められるかどうかも未調査だ。

地中海はともかく、東京湾なら認められるらしいわよ、海はつながっているから、といってくれる友人もいるけれど、海流を考えると、太平洋から地中海への旅は難しい。
浅間山の噴火が、フランス革命の原因の一つともなった、という説があるけれど、浅間山の噴火口に捨ててもらって、噴火が起きたとき、大気の流れでフランスへ渡るというほうが可能性はありそうだ。

浅間の火口にポイ捨てできるはずはないし、それが原因で噴火、などとなったら成仏できない。
と、すぐに仏教用語がでてくる。
お墓も「家」単位から「個」に変わってきた時代、やっぱりモーツアルト時代に戻るか。
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宗教って何?(5)お盆

ようやく、8月のお盆が終わった。
といっても、何かしたわけではなく、7月の東京盆も、8月のお盆も、何もしない。

お盆というと、なんでこんなに故郷や家族のことが話題になるのだろう。
メディアでいろいろ取り上げるのを見ていると、居心地が悪い。

故郷といえば、自分の生まれた土地や、実家のあるところを言うのだろうか。
とうに親はなくなり、どちらかといえば、もし、子供でもいるのなら、私自身が住んでいるところが故郷(擬似)と言われるようなものなのだが、実子はいないし、住むところに墓もなく、ないない尽くしであれば、来る人もいない。

日本での宗教のあいまいさを実感するときでもある。
お盆に祖先が帰ってくる、これは土着の信仰なのだろうか、仏教の教義にあるのだろうか?

私は、その祖先の行き所にはなりきれない、ということで、亡くなった連れ合いの祭祀をしないと決めた。
つれあいもきっと困っているだろう、と思うが、彼は7月の東京盆に、東京にあるお墓、あるいは彼の長女か次女のところにある、お仏壇(彼と彼の先妻、先妻の先祖の位牌あり)に帰ってきているのかな?と思い、8月には、彼の実家のほうに挨拶に帰っているのだろうか?と考える。

基督教の信者として、どうもこの2つの盆の時期は、気持ちが落ち着かない。
きっと彼ひとり、ちょっと立ち寄るわけにはいかないだろうし、迎え火もなく、盆の支度もされてない、かえってきてもいいものか?と居場所のなさを感じるのだろうか?

お正月の時期によるべきところがない人は多い。きっとお盆の時期も同じだろうと思うが、なぜか、メディアは3年ぶりに会う家族のことばかりだ。

アメリカの復活祭や感謝祭の帰郷騒ぎと同じことだと思えばいいのだが、どちらが宗教色がより強いのだろう。

田舎(この表現もおかしいけれど)では、まだ昔のようなお盆が執り行われているのだろうか。

ウン十年前、お盆は夏休みのハイライトであった。
仏壇のまわりは飾り立てられていた、金の糸で詩集された飾り布が敷かれ、仏具は磨かれていて、周囲には盆提灯がいくつもともされている。
新盆のうちだと、親戚や知人たちが、かならずお参りに来てくださる。
また13日から16日の間に、菩提寺の住職様が、お経をあげに来てくださるのだが、そのときは、家族一同、かしこまってお経をきく。
とても小さな体だった祖母が、元気いっぱい、このお盆のときはリーダーとなって、万事を取り仕切る。
お供えの果物、お菓子、いらしてくださった方たちに供するお料理の残り、盆の終わりにそんな余得にあずかれるのが楽しみだった。

そこには宗教とかをいう前に、家族の行事であり、家のしきたりだった。

亡くなった連れ合い、先妻、その先祖という存在を背負いきれなくて、そして、仏教とキリスト教の信仰の在り方の違いを乗り越えきれなくて、それに後悔はないけれど、やっぱりお盆の時期は、心が重い。


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宗教って何(4)

今朝、ニュースを見ていて驚いた。
サルマン・ラシュディ氏が襲撃された、というニュースだ。
「悪魔の詩」(1988)の作者である。
アメリカ、ニューヨーク州で、講演会に出ていて襲われ、首と腹部を刺されて重傷だという。

また宗教がらみの事件がおきた。まだ宗教がらみ、と断定されたわけではないけれど。
彼が1988年、「悪魔の詩」を出版したとき、世界中で大騒ぎになった。
この本、読んだわけではないが、イスラム教の始祖、モハメッドを揶揄した内容だという。
イスラム教の信者たちが、この本に怒り、ラシュディ氏に対してはもちろんのこと、翻訳者にたいしても過激な行動にでた。

日本でも翻訳本がでたという。原書はもちろん、翻訳されたものも読んでいないのだが、邦訳した五十嵐氏とはあったことがある。
記憶にないのだが、五十嵐氏は当時、筑波大学の教員であったが、大学構内で殺されてしまったのだ。
翻訳したことで暗殺されるなんて、とショックを受けたのだが、自分に関係するとは思ってもいなかった。
事件後、ずいぶんたってのことだったが、帰宅すると、マンションの入り口に男性が二人立っていた。
何々さんですか?と問われる。別に否定することもなく返事をすると、警察のものです、という。
テレビの警察もののドラマのシーンと同じだ。
ただ。警視庁のものです、というのではなく、茨城県警のものです、という。

ちょっとお時間をいただきたい、と言われるので、入り口わきに止めていた車のなかで話をすることにした。
五十嵐氏をご存知ですか?Igarashi who?である。事件は知っていても、名前まできちんと憶えていない。

若いハンサムな警察官2名、きちんとした質問の仕方に、こちらも真面目に返事をする。
お知り合いではないですか?いえ、存じ上げません。
彼の著書のあとがきにあなたのお名前がありました。協力者として。
それなら、なにかの資料を提供するとか、調べ事をお手伝いしたのでしょう、あまり記憶していません。

本当に五十嵐氏の記憶はなかった。私の名前があとがきにある、という本は悪魔の詩ではなく、他の著作である。

結局、五十嵐氏を殺した犯人は見つかっていない。
おそらくは狂信的な信者であったろう、と推察するだけだ。

でも、悪夢である。今日は、ラシュディ氏の襲撃をみて、五十嵐氏襲撃の犯人がまだ見つかっていないことに、気味の悪さを再確認したのだった。
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宗教って何(3)安倍元首相に罪はないの?

前内閣から7名の閣僚が、おそらくは、旧統一教会との関係があったことで辞任となったものの、新内閣のメンバーが、旧統一教会と無関係か、といえば、そうではないことがわかった。

多くの人が、宗教法人の旧統一教会との直接の関係というより、関連団体と関係があった、というケースが多いようだ。

会合に出席(秘書代行を含む)、機関紙に登場、会合の共同主催者となった、会費を払った、選挙に援助してもらった、皆さん、自分は知らなかったけれど、とか、もう今後は関係を持ちません、となにか、警察に捕まって、もう盗みませんから罪に問わないでください、つまり、ごめんで済むなら警察はいらない、の言い訳だ。

またこの場合、それで通るらしい。みなさん、しゃあしゃあとしていらっしゃる。
なぜ、旧統一教会と関係があったことが責められるのか、あまりわかっていらっしゃらない。

私もよくわからない。なぜなら、この事件の一番の被害者である安倍元首相、がなによりも、この宗教法人と深い関係をもっていたらしいからだ。
今日、韓国で行われた元統一教会の集会では、安倍元首相の追悼まで行われたそうだ。
どっぷりつかっていたような印象がある。

亡き人をせめてはいけない、というけれど、彼の評価は、亡くなったからといって、負の部分を無視してはいけないはずだ。
彼がバックアップしていることを自民党員は知っているからこそ、なら大丈夫というように、会合に出席したり、選挙の応援を受けていたのだ。

反共という共通項で結ばれていたという、統一教会の教祖文鮮明と岸元首相、そして右翼の思想が強かった安倍元首相、そんなつながりを知っていて、今では名前を変えた元統一教会との関係が後ろ指をさされる、と自覚していたのだろうか。

そして、こんなに旧統一教会との関係を否定することが当然という動きのなかで、そんなに否定される、非難される団体なら、宗教法人として認可がおり、活動が許されているのか、不思議で仕方がない。

議員や地方公共団体の関係者が、謝罪とはおおいに異なる弁明をしているけれど、それがどうした?という気持ちが裏にみえる。また、寄付を受けたり、会費を払ったり、インタビューを受けていた李、それが罪に問われることはない、というのが彼らの態度が大きい裏にあるのだろう。

田中元首相は、ロッキード問題で有罪になった。たとえ、死者になろうとも、安倍元首相の責任というものはきちんと明らかにしてほしいものだ。
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宗教って何?(2)

「宗教」を広辞苑で引いてみた。
「宗教」神またはなんらかの超越的絶対者、あるいは卑俗的なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連環的体系。また、それらの連環的体系。帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。アニミズム・自然崇拝・トーテミズムなどの原始宗教から呪術崇拝・多神教などの携帯を経て、今日の世界的宗教すなわち仏教・キリスト教・イスラム教などに至るまで、文化段階・民族などの違いによって多種多様。多くは教祖・経典・競技・典礼などを何らかの形でもつ。
とある。(広辞苑第4飯)

これにあるが、仏教・キリスト教・イスラム教は3大宗教と呼ばれ、世界史などではこれを習って以来、簡単に3大宗教だけが宗教で、あとは邪教というように、簡単にとらえていた。
というのも、私の場合、中学、高校の段階では、せいぜい仏教、キリスト教しか身近になく、イスラム教は紙上の宗教であったし、具体的にモスクや信者に接することはなく、知識に過ぎなかった。

さあ、旧統一教会はどうなるのか?キリスト教系となっているようだが、カトリックのシスターに言わせると、とんでもない、あんなのは宗教ではない、カルト集団です、と断定される。

宗教、私は宗教とは人間の精神を扱う形のないもの、だと思っている。
よろこび、悲しみ、悩み、物質では補えない、感情の深い部分を、救ってくれる、軽くしてくれる、そんなものだと。

新興宗教、ほとんどがカルトと言われる。フランスはカルト(フランスではセクトと呼ぶが)を取り締まる法律がある。1970年代だったか、それに関する法律か、あるいは関連資料を読んだとき、日本では創価学会もカルトの扱いだった。現在はどうなのだろう。
当時、フランスに行ったとき、パリで高校時代の友人と会った。
その人は、まひかり という宗教を信じていた。
まひかり、真光と書くのだろうか、はたとえば、痛いところ、があれば、そこに手を当てる。直接ではなくちょっと話しておくのだ。そしてなにか経文のようなものを唱えていると、その掌からまひかり様の力がかかって、治癒するのだという。

同行していた母も私も、何も言葉は出せなかった。
当時、パリではけっこう信者がいるのだと、その人は言っていた。

信ずるものは救われる、でなければ、宗教は存在できない。
無神論者もいるけれど、また日本人の多くがそうであると思うが、多神教者もいるけれど、これだけの宗教が存在し、信者がいるというのは、救われている人がいるからだ。

ただ、宗教で思うのは、宗教者から金銭、物品の要求があってはならない、ということだ。
強制してはいない、というのだろうが、そうさせる何らかのものがあるのだ。

苦しいときの神頼み、その神とはなんなのか?人によって対象は違う。
私はカトリックの信者だが、神に何を求めているのだろう。平和、平安、よく祈りの言葉に使う。この平和は、自分自身のものでも、世界の平和でも、平和という言葉は共通している。

今のところ、神様は平和を私に与えてくださっているが、その対価はお求めにならない。
白磁の壺、数珠、カトリックの場合はロザリオか、月収の10分の1か、なにも買えとか、捧げよなど、言われることはない。

アダム国、イヴ国、いやな言葉だ。
旧統一教会の教義というものをちらりと読むだけで、これが教義なのか、と思う。
といっても、イスラム教、仏教、シーア教、などの経典もだが、聖書すらちゃんと読んでいない私がいうのもおかしいかもしれないが。

神様、今日一日の平安に感謝いたします。
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