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葬儀のあり方の変容が過激すぎる

今年の2月はつらい月になった。
短い月なのに、なにかいろんな印がついた日付がおおい。
命日、誕生日、なんで2月はこんなに記念日があるの?と思っていた。

16日、南仏に住んでいた時、受洗のための勉強を手伝ってくださった方の命日、彼女はコロナで亡くなられた。
22日、パリの親と呼んでいた方の命日、もう8年にもなる。22日に亡くなられ、ご葬儀は29日だった。つまり閏年、8年前になる。この葬儀にはパリまでいって参列した。

そんな中、5日には、関西に住む96歳の知人の訃報、母のような存在だったが、ご葬儀は本当に家族だけでという。
50年をこえるお付き合い、本来なら通夜からすべての儀式に参加すべきだし、参列したいと思ったが、喪主(長男)の意思がそうであれば、と参列をあきらめる。
しかし、どうしてもお参りして告別を、という気持ちから、月末、関西へでかけることになった。
その手配で、あれこれしているときに、新たな訃報が届く。

それは従兄で、高齢に加え、長年、糖尿病で苦しんでいた。
母方の従兄で、この従兄の出産時、母が手伝ったということがあり、母にとっては、子供にも似た感情があったのか、大きくなっても、とても親しくしていた。
帰省時、母のお墓にまいる、というと、必ず同行してくれていた。
ボケ防止に週に10人に電話するんだ、という10人の中に私もはいっていて、時折、電話でとりとめのなさすぎる会話をしていた。
その従兄の死は、彼の姉(高齢者施設にいる)の息子から知らされた。
この死去のニュースは、姉と弟に連絡するだけで、二人とも従兄とその配偶者への連絡方法は持っており、弟が右総代で、葬儀には参列、というシナリオが完成した。

そのあとにもう一つ訃報が届いた。
母の実家の家業を継いでいた従兄である。
母が亡くなったときには葬儀に参列してくれていたが、もう半世紀、コンタクトがない従兄だった。
母は兄弟姉妹が多く、いとこの数も必然的に多かったし、若いころは従兄会などして、親しい関係にあったけれど、いつ頃からか、疎遠になっていた。
郷里に帰る回数も少なくなり、何年かに1回、そして、帰省時には、親戚よりも中学、高校の友人との再会が優先して、親戚との関係が薄くなっていった。

この従兄の訃報は、アメリカ経由でのルートで知らされた。故人の妹がアメリカ在住なのだが、彼女はその昔、アメリカ人と結婚して、その結婚を認めない親(父親)から絶縁を言い渡されていた。
そして、この従兄は長男として、やはり絶縁を続けていたらしい。
今からすれば、ばかばかしい話だが、当時は、どこの馬の骨かわからない、そんな人との結婚も認められず、ましてや外国人、外人と呼んでいたが、との結婚はそう簡単に認められなかった。

そんなこんなで、従妹はずっとアメリカ在住なのだが、だれからか兄の死を知らされたらしい。
ただ、訃報だけで、詳細は自分で調べて、ということで、まずは弟に知らせた。
ところが、弟は母の実家である、その故人の家の連絡先を知らないという。
それからである。母の実家の連絡先を知るための、聞き合わせが始まった。
病院に入院中の姉に聞く。姉は自分の携帯に登録している従姉妹の電話番号を知らせてくれる。
それは固定電話であった。電話すれど、もう使われておりません、だ。

従姉の子がアメリカ在住の従妹とラインでつながっているというので、従妹がだれから連絡を受けたのか知らないが、なにしろ連絡の付けられる先をきいてもらう。

教えてもらったのは、亡き母の弟(故人)の長女の電話番号、これは携帯であるから通用しそうだ。
もう何十年も連絡したことがない従妹、もしかして忘れられているかも、と思いながらかけてみる。
名乗ると、えー、姉ちゃん!と昔の名前で呼ぶ。
もう老年の二人だが、なになにちゃんと呼びあった昔に戻ってしまうのだ。

この従妹にも訃報は伝えられていなかった。
しかし、彼女が持っている固定電話の番号を教えてもらい、電話をすることで、従兄の死亡は確認できた。
配偶者の意向で、家族葬、それも本当に限定的な形でする、ということを伝えられた。
母の実家の長男だから、となつかしさもあるが、義理の気持ちも半分で、やっきになって連絡先を求めたけれど、結局は、なにもしないと、弟、姉と納得したのである。

顧みれば、たとえば私自身、親戚で付き合いをもっている人は数少ない。
電話が固定で、家族全員が一つの電話であった時代から、個人個人で電話を持ち、その電話番号は公表していない、となれば、よほど親しくて、登録していなければ、調べることすらできない。
数日前、自分が死去した場合、死亡通知を出す(もちろん、葬儀などはすませたあとに)リストをチェックした。
親戚・知人・友人ではあるが、親戚はほとんどない。兄弟姉妹、おそらく兄・姉は先に死んでいくのだろう。
知人や友人にしても、年齢的に似たようなもの、となると、私の訃報に先立たれている可能性もある。

もう従兄弟・従姉妹の訃報でばたばたしなくていいのかも、と強く思った。

それでも、ちゃんづけで呼ばれるのはくすぐったいけど、若返った。
これだけ、家族葬が一般化するとは、コロナの影響は大きいものである。
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