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私は生き残った(4):大家族の日常

最大で11人の家族の生活、今の単身者の多さを考えると、1x11、今になるともうどんな生活をしていたのやら、思い出すこともできない。

食事もそうだが、まず、今一人でも、トイレは2つある、という生活からしてみると、11人に1つのトイレしかなかった、というのが生活の体系に考えられないのだ。
何年くらいこの11人の生活があったのだろう、10年以上はあったような気がする。

我が家のトイレは、玄関(表玄関ではなく、通用口みたいな)をはいってすぐにあった。
入ってすぐに洗面台があり、突き当りに男性の小用トイレ、右側に大便所があった。
当時だから、古いタイプ、汲み取り式であることは当然、大きく、口のあいた下を覗けるタイプ、自分のしたもののみならず、前任のあと、などもしっかり見えるものだった。
臭いもすごいものだったし、トイレはいきたいところではなかった。

今の腰掛タイプに慣れているため、座り込む和式のトイレのほうが清潔、といわれても、座れない現実、あの当時、70歳を超えた祖母や大叔母たちは、問題なくトイレをすることができたのだろうか?
そんなにラッシュアワーになった覚えもない。
1か所しかないトイレで、11人が順序よくすませていたのだろうか?
トイレットペーパーなど、まだ形もしらない時代で、便所紙といっていたのだろうか、4角形の紙が束でおいてあった。ろくすっぽ、漉かれた形跡もない、茶色っぽい紙で、親戚の家は、それが白い柔らかい紙を使ってあったのを知って、我が家の経済状態を認識したこともあった。
便所紙があるのはいいうちで、それがないときは、新聞紙を揉んで柔らかくして使っていた。

東京のデパートや宿泊先で、もっと柔らかい、お尻をふいても拭き残ししなくてすむ、お尻の穴が痛くならない紙に接したときの驚きや、最初にトイレットロールをみたとき、またフランスではトイレットロールが少なくて、四角い紙が互い違いに詰めてあること、など、トイレでのお国事情は今でも思い出す。

11人家族はどのくらいまで続いたのだろう。
順序からいけば、伯母が最初に家を出たような気がする。ある春の日、大人の女性が全員、黒留めそでを着ていた。何事?と聞いても返事は返ってこなかったが、みな、晴れやかな表情だった。
留守番にきてくれた人が、伯母が嫁いだのだ、と教えてくれた。
伯母はもう50代だったような気がする。なんで、50歳の年寄が結婚するの?と不思議に思ったが、一方、年配の女が一人減って、母はずいぶん楽になるだろう、と事情も知らないが思った記憶がある。

この伯母は、隣町の旧家のご隠居の後添えとして嫁いだことをあとで理解した。
が、こんな年での再婚というものの実態がなんとも理解できなかった。

その次が大叔母の死去か、長姉の結婚、などで減っていき、あるとき、父が別の町に仕事を得て、両親と弟がいなくなり、というふうに人口は減っていった。

11人の人数の食事は、どうだったのか?
当初は、台所はかまどであった。2口の焚口があり、おかまでごはんは炊いていた。
台所の横に茶の間があって、大きい掘りごたつがあった。といっても熱源は一日1個の炭団であった。
テーブル自体は大き目で、一辺に2人は座れたような記憶がある。
父は、一人、座敷で食事だった。
もしかすると、子供と大人の2部制だったのかもしれない。

御仏飯(おぶっぱん)を下げて食べるのは夕食だっただろうか?それとも夕食に炊いたご飯をお供えしていただろうか?
ごはんがたりなくなると、おぶっぱんを下げておいで、と言われていたのを思い出す。
我が家の食料事情がそうさせたのだろう、おかずの類も各自に盛り付けてあって、テレビなどでみかける、真ん中に大皿に盛り付けてある、といった場面はなかった。

温水がでるような設備があるはずもない、当時は食器洗いも水だったから、11人分の食器洗いも大変な仕事だったろう。
それに洗濯、最初は洗濯板での仕事だった。
洗濯用の水は、庭の一角に井戸が掘られていて、そこの水を使っていたような記憶がる。
だれがだれの分を洗っていたのやら、下着など何日着たままであったのか、なんだか、今、毎日着替えて当然と思う日々、贅沢をしているな、と思う。

お風呂は毎日たてられていたのだろうか?きっと父が一番風呂、そして年寄2人なのか、順番は思い出さないが、われわれ子供は最後だった。
寝る時間間際にお風呂に入りなさい、といわれ、面倒だった。それで、浴槽につかるだけで、体を洗わない日々がどれだけ続いたときだろう、私の小学校の担任から、お風呂に入っているのか?首のところが汚れているぞ、と注意された。
そうしてみると、こすれば垢がぽろぽろ、帰宅して母に告げれば、母はびっくり、しっかり洗いなさいといわれ、それからしばらくは、お風呂にはいっていると、母がのぞいて、洗っているかどうか、チェックされていた。子供たちが一人で入るわけではなく、二人とか三人とか、一緒に入っていた。

やっぱり、今がいい。一人で、毎日新しいお湯をいれ、それもボイラーで、温度設定しておけばすむ。わがお風呂は、水量の設定ができないので、その点では不便だが、先に入った形跡もなく、あとに入る人もいなければ、風呂の後始末もしなくていい。

これからもっともっと進歩するのだろう。
でも。今で十分、トイレとお風呂、台所、日常の生活は、昔に戻りたくない。
大家族、ちょっと避けたい。一人は極楽、なんて思う日々である。
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