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令和5年よ、さようなら

12月28日は、亡父の誕生日だった。27日なのか、28日なのか、記憶がおぼろになっていたので、弟に尋ねた。
12月28日です、と生年まで添えて、すぐに返事をくれるところは、まだ頭がはっきりしているからだろう。
父は明治の生まれである。母が大正元年だから、父はもっと年上、したがって明治になるのだが、いや、明治は令和の何代前になる?もう歴史の世界だ、と思った。

年号はとても面倒で、母は大正元年生まれだが、同年の人でも明治45年となる人もいる。
そういう意味では、昭和など、1月初めに終わっているから、昭和の最終年と平成元年は同年なのだ。

以前は明治、大正、昭和の3代を生き抜いて、と3元号を並べて、いかにも長寿であるとか、成功されましたね、といった賛辞に使っていたけれど、いまでは、昭和、平成、令和の3代を生きて、と言われている。

20世紀から21世紀への移行もずいぶん印象的ではあった。
でも100年を単位としての移行はそれを果たせない人も多いけれど、年号だと、4つも不可能ではない。
2000年への移行は、アフリカで迎えた。コンピュータが無事に1999から2000へと移るのか、何かのパニックが起きるのではないか、などと、やたら心配したものだった。
その時、アフリカにいた。
つれあいとともに、歳忘れパーティに招待されていたが、24時にならんというとき、つれあいは、事務所にいって、パソコンをチェックするのだという。
チェックをして、異常が発生しても、つれあいにはどうしようもないのだが、その場にいるのといないのでは、責任感があるなし、になるのだろう。

無事に移行できた、という確認がとれてから、Happy New Yearとなり、ファイアクラッカーを鳴らし、抱擁が始まった。

令和5年から6年へ、この移行は、テレビでもつけていなければ、ここでは無音だ。
お寺の鐘の音もなく、人家でのパーティもない。無音の年越しになるのだろう。
それが可能なのが、とてつもない幸せなことだということに、思いがいく。

年が改まる、その時、いいことも悪いことも、すべて白紙にもどして、新しくなる世界はないものか。
人間は学習するから、他の動物より賢いし、長命になった、と教わったけれど、いくつもの戦いが続くのはどうしてなのだ。
キリストは、私の平和をあなたがたに残す、と言われるが、どこにその平和はあるのだろう。

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私のSDGs

SDGsという表現が一般化した。日本語ではどういうのか、またSDGsは正確にはどういうのか、なんだかわからなくなってきている。
Sustainable Development Goals、日本語では持続可能な開発目標なのだそうだ。
2015年に国連サミットで、加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標、なのだそうだ。

外国語で普及させようという政策は、どうもピンとこなくて、DXとか、それなに?といつも思ってしまう。
しかし、このSDGsについては、言葉の意味はなかなか分かりづらいのだが、この異常気象をもたらす諸原因を取り除くために、やるべきこと、と思えば取り掛かれないわけではない。

先日、フランスからクリスマスプレゼントが届いた。
その中にあった、ストールには、こんな注意書きが載っていた。
Je suis reutilisable, ne me jetez pas. Deposez moi dans un bac de collecte, je serai recycle, donne ou remis sur le marche de la seconde main pour une nouvelle vie.
つまり、私は再利用できますから、捨てないでください。私を収集箱にいれれば、リサイクルされるか、再使用されて、新しい命がうまれます、とでも訳できるのだろうか。

こういう運動は、日本でもできているらしい。たとえば、ユニクロなどは、古い製品をいれるボックスなどが設置され、もう使わないユニクロの製品をいれれば、再利用の方法がとられる、というような情報を耳に、目にしたことがある。
いつか、ユニクロにいくときは、数年前に購入して、型崩れ、あるいは古びてしまって、もう着ないけれど捨てるにすてられない、というものを持参したいと思っている。

こういう運動は、自社製品においてのみ、なのだろうか?
我が家のみならず、だれの家にもたくさんの、もう着なくなったけれど、ごみでは出せない、という衣類などがあるはずだ。
それらをどうするか?ずっと頭痛の種である。
つい先日だが、いくつかの衣料の行先が決まった。
カシミアのセーターやニットのコートだ。
もう着られないものではない。着たい気持ち、愛着、あるけれど、なかなか着る機会はない。おしゃれ着は、おしゃれして出かける機会がない、いったん着れば、季節の終わりにクリーニングに出すことになり、費用がかかる、としまいっぱなしになっていたものだ。
着てくれる人がみつかった。数日、ほっとした気持ちになった。しかし、在庫はまだまだだ。

そして数日前、亡きつれあいのものを残しているタンスの引き出しを開けた。
なぜ残しているのか。それはクリーニングから戻ったもの、私がいったん使ったのち、捨てましょう、という品々である。
その中に、DAMARTのズボン下があった。素材はThermolactylとなっていて、厚手のふわふわだ。
サイズはS,私にもちょうどよさそうだ。
今時、ズボン下、なんて言うのだろうか。ユニクロなどでは極暖とかその温かさよぶけれど、その品自体をどういうべきか、考えたことがない。
このダマール、この地に住み始めのころ、よく宣伝されていた。この地の冬の寒さに耐えていくため、いろんなものを購入したけれど、このズボン下は、厚手過ぎたのか、サイズが合わなかったのか、つれあいは使ったことがなかった。

昨夜、使ってみた。男性用だから、前にあいた部分がある。これはもう無視である。
パジャマのズボン部分と違い、十分足首まであって、足首の部分はゴムで絞めるようになっている。
暖かかった!
つれあいの衣類は、上半身のものは、たとえばセーター、ワイシャツ、などは残して、私が利用していたけれど、どうも下半身のものは具合が悪かった。
樹木希林さんは男性ものをすべて再利用された、というような話であったけれど、私はそこまでいかない。
このDAMARTという会社、今でもあるのだろうか?テレビなどではちっとも見なくなった。

こうして、この1か月内に、SDGsに叶うことがあったけれど、この程度では、あと50年はかかりそうだ。
もちろん、繊維製品だけをいれるボックスがあることは知っているが、そこにいれたものは、裁断、細分化されて、その原形のまま、利用されるわけではない。だからそのボックスにはいれられないのだ。
道ははてしなく遠い。
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国際郵便、すでに値上げ済

数日前、来年秋に予定されている国内郵便値上げを是認する文章を書いたが、国際郵便がすでに今年10月1日に値上げされていることを、なんと、知らなかった。

週5日オープンしている郵便局、毎日通うわけではないが、週3回から4回は通う。
実務の世界から引退して10年以上たつし、国際郵便との関係もずいぶん減った。
毎年、かならず送っている日本のカレンダー、以前は国際郵便で、たくさんの記念切手を貼って送っていたけれど、いつからだろう、局員の方にお預けして、味も素っ気もない、シールみたいな料金票でも是とするようになった。
いくつかの国際小包を送ることは続いているけれど、手書きラベルはダメ、というので、郵便局の端末にインプットして、印刷済のラベルがでてくるようになった。

国際郵便の手紙は、となると、すべてがメールで済むようになって、あの懐かしい国際郵便の封筒も使わないようになった。

そして、今日はめずらしく国際郵便をだすため、郵便局へ行った。
カルフォルニアに住む、高校時代の友人の息子の家庭から、例年送られるクリスマスカードが届き、その返事を送るためだ。
この息子、なんとも義理堅い。高校時代の親友の次男で、その結婚式にも招かれた。
それ以来、親戚同様、もしかしたら、親戚以上なのかもしれない、毎年、クリスマスカードが送られてくる。

私ももちろん送る。というより、届いてのち、あわてて書いて送るのだけど。
今日もあわてた。金曜日だから、今日中に送らねば来週月曜日になってしまう。年内に届くかどうかも不確定だ。

先方のは記念切手が貼ってあるから、こちらもちゃんと記念切手、と思うが、切手のストックのなかに、国際郵便に相当する金額の切手がない。
それで郵便局へ行ったのだ。そして、衝撃の事実を知る(テレビの手法だ)。

アメリカ宛てです、金額は110円ですよね、というと、いえ、140円です、という返事だ。
ごく普通のはがきサイズのカード、クリスマスカードといって、特殊な規格のものではない。
え?だってアメリカは110円でしょう?と問い直す。
いえ、10月から140円になったのです、という返事。
そんな新聞にも載ってなかったし、この局内でもお知らせなかったんじゃない?と年寄はしつこい。

こういう次第です、といつも親切な局員さんが、国際郵便早見表をくださる。
なんと、今年の10月1日から変わっていた。
4つの地帯の分類から5つの地帯に変更、これはEMS郵便物の地帯区別にあわせての変更だという。
関心のある方は、直接郵便局に問い合わせていただくことで、詳細には書かないけれど、これまでの国際郵便について、蓄積してきた知識がまったく役に立たなくなった。

アジアは2つに分化、つまり、第一地帯が中国、韓国、台湾の3か国、その他のアジア諸国は第二地帯となる。
そして第三地帯はオセアニア、カナダ、メキシコ、中近東、ヨーロッパ、
第四地帯が米国(グアム等海外領土を含む)、第五地帯が中南米(メキシコを除く)とアフリカだ。

NHKの受信料が値下げされたが、質の低下はひどい。

そうしてみると、こういう公共サービスの値上げも受け入れざるを得ない(質の低下よりマシだ)。
国内郵便と同時に、国際郵便がなくなる、なんてことがないよう、この値上げは甘受せざるを得ないのだ。

それにしても、いただいたクリスマスカードはこの友人の息子からの1通のみ、こちらから出すのも1通のみ、なんという寂しい世になったことよ。
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郵便サービスの無くなる日

来年秋から、郵便料金が値上げだ、というニュースが今日は出ている。
基本的なところで、はがきが63円から85円に、封書は84円から110円に上がるのだそうだ。

友人は言う。値上げっていやね、もうあまり使えないわ、と。
30年前、それがこれまでで最近の値上げということになるが、その時もみな同じようなことを言ったし、きっとそれ以前に比べ、利用することも少なくなったのかもしれない。
その好例が、年賀状であろう。

私はこの値上げに反対ではない。もう必然のことだと思っている。
というのも、郵便の赤字というのは、だれがみても明らかで、サービスの削減、利用者からみれば、それによるサービスの低下も目に見えているからだ。

小泉氏が首相のとき、郵便の民営化をとなえ、またそれは実行された。
当時、郵便サービスが世界的に国営から民営と変わっていったのだ。
日本もその趨勢におされ、民営化はやむをえないのだろう、とは思ったけれど、それがいくつかの新分野でのサービスを生んだこともあるが、効率化の名のもとに割愛されたことも多かった。
もうその現実になれすぎて、昔はあったことが民営化になくなってしまったこと、など忘れてしまった。

郵便制度、そして、それが全国均一の条件で実行されていること、これは近代国家の証である。
日本にくらしていると、日本国中、この田舎でも、現在、月―金の配達はあり(ほとんどの日は郵便物がなくてパスされているが)、郵便局にいけば(これが小さくてもちゃんとある)、普通の郵便物については、全国均一の料金体制になっている。
同じ関東なら、普通郵便であれば、だいたい翌日に、この頃は翌々日になることもあるが、配達される。それも自宅までだ。

日本の郵便局でありがたいこと、それは現金が送れることだ。現金書留という制度を使ってではあるが、現金が安全に確実に送れる国、日本のありがたさだ。
それにゆうちょ銀行の存在もある。
ここに口座を持っていれば、全国各地で、入金、出金、送金、振り込み、いろいろできる。

25年前のアフリカを思い出す。
中央郵便局に私書箱を設定、そこに届く郵便をチェックしてもらうことで、自分でとりにいくのだ。
当時、本を出版する予定で、原稿を送り、校正された原稿を受け取る、これは、フランスへ行く人をつかまえて、フランスから郵送、あるいはフランスの住所に届けてもらったものを受け取ってくる、
当時はまだネットでの交信がなかった。
費用はかかるが、アメリカの民間サービスを使うという手段もあった。

いわゆる第三世界といわれる国々での、郵便制度の不備をよく知らず、そっちへ行くわよ、という手紙を1週間前に出して、それで連絡がとれると思い込んで、空港で迎えがないと、不安で身の細る思いをしたこと、アフリカでは、地方との文書のやりとりに、人の往来を利用すること、いわゆる幸便にて、ということだ。

来年秋、ほとんどのサービスの値上げはこれからの詳細を見るに待つけれど、郵便が無くなるよりは、値上げを是とする。
もちろん、値上げをすれば、利用も減り、減収となり、またサービスの低下、あるいは再度の値上げとマイナスのイタチごっこになるのはわかっているが、私の生きている間に郵便は死にました、ということになってほしくない。
本来なら国営に戻してもらいたいほどだ。
鉄道をみよ、国鉄からJRに変わり、赤字路線の廃線、本数を減らす、人員削減、鉄道のないところが増えた。
電話サービスを見よ。公衆電話がみあたらない。個人の端末をもっていなければ、通信手段はないのだ。

いま、フランスからの小包が届いた。これも国の保障する郵便制度のおかげである。
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ACT! 国境なき医師団の活動2023

昨日、国境なき医師団の2023年度の活動報告が送られてきた。
この団体の支援をしている。
今年もまた、世界中でいろんなことが起きた。悲惨な事件ばかりだ。その事件に、救援の手を延ばすのがこの国境なき医師団(Medecins sans Frontieres:MSF)である。

記載されたこれらの活動がすべてではない。一部である、という。
2月:ウクライナ:紛争下での医療、紛争激化から1年。当たり前の日常が奪われた人々を支える、医療援助と心のケア
2月:トルコ、シリア:地震緊急援助、最悪の人道危機に、追い討ちをかけた大地震。すべてを失った被災者の元へ。
4月:スーダン:避難民援助、相次ぐ病院の爆破、そして枯渇する医療物資。混乱を極める戦闘下のスーダンで、医療を届ける
6月:アンゴラ:栄養・マラリア治療、子供たちを襲う、栄養失調とマラリアの脅威。予防のための知識と手段を、地域に残す。
10月:アフガニスタン、地震緊急援助、不安定な情勢で、医療が圧倒的に不足。母子保健の提供に加えて、地震の緊急援助も実施。
10月~:パレスチナ:紛争下での医療、衝突激化、負傷者であふれる病院。緊迫のガザ地区で医療を提供
通年:ナイジェリア:熱帯病治療、病原菌が顔の組織を破壊する「水がん」。MSFの専門病院が、患者たちの未来を照らす。

本当にこれらの活動は一部であろう。
ほとんどの場所で、緊急措置として始まった活動は、エンドレスになる。
スーダンでは、邦人が避難できたあと、もう戦闘は終わったように、報道がない。
しかし、現地では状況は変わっていないはずだ。

このMSFのほか、フランスにはMedecins du Mondeなど、いつくもの団体がある。
しかし、私はこのMSFが設立されたとき、その発表というか、活動開始にとても強い印象をもった。
アフリカに短期間、住んでいたときも、この団体が地道に、その国の政治が負うべき、医療活動を行っていることに、感動したのだ。

この種の活動を援助する、この気持ちを持たせたのは、今は亡きフランスの両親に負う。
彼らはいくつもの団体を支援していた。その原資は、つましい生活からだった。
このフランスの父は、知り合ったとき、大会社の社長と聞いていたのだが、その家を訪れると、内実はとても質素だった。
収入にそぐわない質素な生活、疑問を投げかける私に、無償の愛、という言葉を教えてくれた。

有り余っている分を寄付するのではない。
収入に見合った、余った分を寄付するのなら、それはゼロだ。
定額の収入(年金)以外の収入がない年齢になると、特に余裕があれば寄付をする、というのでは、なにもできない。

予期せぬ収入があったとき、それは寄付にまわす、というのが今のところ、身にあった方法だ。
昨日、仲間の忘年会があった。
お昼、飲食の、飲の部分があまりかからなかった、と幹事から1000円のバックがあった。
こういうとき、この金額、あるいはそれにプラスする形で寄付をする。

ガザで、爆撃や銃撃にさらされ、逃げようのない子供たち、MSFだけではないかもしれないが、そこに残って活動をする、大変な奉仕である。
その奉仕のほんの一部でも、と今日はさっそく、その1000円プラスという形で、寄付をした。

こういう活動が不必要になる時代というのは、いつのことなのだろう。
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万博を見ないで終わる人生

本当に大阪万博は行われるのだろうか?
友人と賭けをしている。かけたものは、賭博法にひっかからないものだが。
と言いつつ、万博会場の跡地はカジノになるんだった、賭博法なんてなくなるんだっけ、それに日本は、競艇、競馬、競輪、宝くじ、賭博ありありの国なんだから、などと思う。

もし、無事に開催されるとするなら、あなたは行きますか?
という問を私にされたら、全額負担されても行かないだろうな、と思っている。
日本では2回、万博が行われたのだそうだ。大阪と愛知、大阪は記憶にある。
なぜなら、万博を振って、外国旅行に出かけたからだ。
万国は訪問できないにせよ、博覧会で整えられたものをみるより、現地に行く方がよほど勉強になる、と思った。

そしてその考えは今でも正しかったと思う。
あとでフランス語のカタログなども見たけれど、それをみても感激はしなかった。

おそらく、予定されている万博など、AIを駆使し、アバターも登場、なんだかしらないが、ディジタルの世界で、外国には行った気になるだろうが、外国のパヴィリオンを出たとたん、そこは大阪なのだ。

1970年を思い出す。当時、長兄夫妻が大阪に住んでいた。
当時は、ホテルなどに宿泊する、というのはよほどのことで、もし、親戚知人がいれば、それが遠い関係でも、泊まらせてもらうというのが習いだった。
兄たちは大変だったらしい。もう昔のことだから忘れました、と兄嫁は言うけれど、九州の親族となれば、若い夫婦にとって、蛮族であったろう、と思う。

そういえば、フランス語の勉強をしていたとき、先輩諸君はほとんどが万博のフランス館で、コンパニオンの経験者であった。
それはそれで楽しかったらしい。
毎日、開館から閉館まで、フランス語漬け、なにもかもが勉強だったわ、と述懐していた。

今、こんなに交通が発達し、世界のほとんどの土地に行こうと思えば行ける時代に、万博開催は意味があるのだろうか?
維新や開国の時代、パリなどでの万博に日本館を出して、それで日本の産業や文化を認知させたという歴史を思えば、途上国についてはそれなりの意義があったのだろうが、今の世の中でね、とやっぱり思う。
再びそういえば、だが、エッフェル塔も万博の残したものだったっけ?
日本でなら太陽の塔になるのか?
世界での知名度、大きな差があるな!

前のカタールがコロナのせいで、開催を1年半延ばしたのなら、大阪もその後遺症ということで、1年半延ばせないものだろうか?
というより、予定が変わりましたから、いっそ中止します、とすれば、損害も少なくてすむのでは?
これまでかかった費用は、3者3損、で負担せざるを得ないだろうが。
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