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万博を見ないで終わる人生

本当に大阪万博は行われるのだろうか?
友人と賭けをしている。かけたものは、賭博法にひっかからないものだが。
と言いつつ、万博会場の跡地はカジノになるんだった、賭博法なんてなくなるんだっけ、それに日本は、競艇、競馬、競輪、宝くじ、賭博ありありの国なんだから、などと思う。

もし、無事に開催されるとするなら、あなたは行きますか?
という問を私にされたら、全額負担されても行かないだろうな、と思っている。
日本では2回、万博が行われたのだそうだ。大阪と愛知、大阪は記憶にある。
なぜなら、万博を振って、外国旅行に出かけたからだ。
万国は訪問できないにせよ、博覧会で整えられたものをみるより、現地に行く方がよほど勉強になる、と思った。

そしてその考えは今でも正しかったと思う。
あとでフランス語のカタログなども見たけれど、それをみても感激はしなかった。

おそらく、予定されている万博など、AIを駆使し、アバターも登場、なんだかしらないが、ディジタルの世界で、外国には行った気になるだろうが、外国のパヴィリオンを出たとたん、そこは大阪なのだ。

1970年を思い出す。当時、長兄夫妻が大阪に住んでいた。
当時は、ホテルなどに宿泊する、というのはよほどのことで、もし、親戚知人がいれば、それが遠い関係でも、泊まらせてもらうというのが習いだった。
兄たちは大変だったらしい。もう昔のことだから忘れました、と兄嫁は言うけれど、九州の親族となれば、若い夫婦にとって、蛮族であったろう、と思う。

そういえば、フランス語の勉強をしていたとき、先輩諸君はほとんどが万博のフランス館で、コンパニオンの経験者であった。
それはそれで楽しかったらしい。
毎日、開館から閉館まで、フランス語漬け、なにもかもが勉強だったわ、と述懐していた。

今、こんなに交通が発達し、世界のほとんどの土地に行こうと思えば行ける時代に、万博開催は意味があるのだろうか?
維新や開国の時代、パリなどでの万博に日本館を出して、それで日本の産業や文化を認知させたという歴史を思えば、途上国についてはそれなりの意義があったのだろうが、今の世の中でね、とやっぱり思う。
再びそういえば、だが、エッフェル塔も万博の残したものだったっけ?
日本でなら太陽の塔になるのか?
世界での知名度、大きな差があるな!

前のカタールがコロナのせいで、開催を1年半延ばしたのなら、大阪もその後遺症ということで、1年半延ばせないものだろうか?
というより、予定が変わりましたから、いっそ中止します、とすれば、損害も少なくてすむのでは?
これまでかかった費用は、3者3損、で負担せざるを得ないだろうが。
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