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亡き柿沢弘治氏を思い出す

この頃、なにかと昔を思い出す。
今、適材適所と言われた副大臣、政務官のなかで3人が役職を辞することになって、なにが適材だ、と言われているが、その中に柿沢氏がいた。
その父親の弘治氏とは一度だけあったことがある。その時のことを思い出したのだ。

つれあいと私が南仏に住んでいるころのことだ。
柿沢氏が南仏を訪れた。私的な国際シンポジウムに参加されたあとのことである。
つれあいは、柿沢氏ととても親しいという関係ではなかったが、面識はあり、お食事でも、ということになったのだ。
柿沢氏はアヴィニョンの近くに滞在であった。われわれがお迎えに行って、星付きのレストランで昼食をご一緒しよう、ということになっていた。

その南仏のレストランでのことだ。話はとても些細なことなのだ。
食事はスムーズに、楽しくすすみ、デザートを選ぶところまでいった。
デザートは日替わりというか、別メニューで、給仕の人が手書きのメニューを持参した。
そのメニューに書いてあったことなのか、あるいは給仕の説明か、思い出さないが、柿沢氏が解説してくれた。
私は給仕がくるのを待っていたのだが、柿沢氏は、私がフランス語がわからず、選択できなくている、と解釈されたのか、デザートの説明をされた。
どう説明されたか、覚えていないのだが、その説明は給仕のそれとは違っていた。
私はつい、その違いを指摘してしまったのだ。
つれあいは、苦い顔をしていた。

柿沢氏は、当時衆議院議員だったが、議員の中で、フランコフォン(フランス語が話せる)として知られていた。たしか、大蔵省(当時)勤務時代、ベルギーに赴任され、そこでフランス語を学ばれたとか、だったように覚えている。
大変流暢にお話になるように聞いていた。
その柿沢氏に、間違いを指摘してしまったのだ。小さなことなのだが。
柿沢氏はおやっという顔をされたが、いやな表情ではなかった。
そして、オーダーを聞きに来た給仕に、私が指摘したことを確認されたのだ。

結論から言えば、私が指摘した通りだった。
マダムのおっしゃる通りでした、と彼は思い違いを素直に認めた。

30年以上前のことである。
当時なら、男性の、それも元外務大臣でもあった、衆議院議員でもある方の、ちょっとした思い違い、指摘すべきではなかったのかも、と思ったし、その思いはずっと持ち続けていた。

しかし、彼のご子息のことをみていて、弘治氏がいかにきちんとしていたか、小さな思い違いでも、正確を期して確認をする、そして思い違いであれば、それを潔く訂正する、体面だ、メンツだ、たかが女のいうことに、などという態度はちらりとも見せられなかった。

その後、お目にかかるチャンスはなく、彼はまだ働き盛りの年齢で亡くなられた。
ほかに直接知る政治家も、私の知る範囲ではきちんとした方々であったが、柿沢氏のことは忘れられない。
ご子息は彼なりの判断での行動であろうが、さあ、正々堂々、なのだろか?
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