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ママハハ、亡くなる

ほんの20分ほど前、携帯電話が鳴った。
だれから?見れば96歳のママハハの名前がある。
病床について、もう長く、人と接しないから、話す機会が無くなって、声が出ない、と電話での交流もなくなっていた。
先年11月に容体が悪化して、もういつ亡くなっても不思議はない、と看病している長男から先日、連絡があったばかりだった。
それでも、私が週に1回書き送る手紙を楽しみにしていてくれる、というのは私にとっても救いだった。

今日は雪予報、東京は夕方だというが、当地では10時に降り始めた。
いつもなら9時すぎには郵便局へ行くのだが、今朝はなぜか1時間寝過ごして、郵便局についたころ雪が降り始めた。
関西のママハハの家に手紙が届くのは、水曜日かな?と思いつつ、この手紙は必ず、郵便局の窓口に渡す。
今朝も、いつものにこやかで親切な窓口の方にお願いします、と渡して帰った。

今日は風もなく、雪はしんしんとまっすぐ落ちてくる。
ベランダに集まってくる鳥たちを観察しながら、新聞を読み始めたところだった。
携帯電話が鳴る。だれからの電話、というのを言ってくれるのだが、聞き取れない。
見れば、ママハハだ。

声はママハハの長男である。
ママハハの死を告げる電話だった。今朝、7時半ごろ、様子を見に行ったときにはもうなくなっていた、と。

ママハハとは、私が22歳の時に知り合った。ママハハの姑にあたる人が、私の縁談を紹介してくださったのだが、そのおしゅうとさんと私は九州、縁談の相手は関西、お見合いには関西まで来てくださいというので、行くことになったのだが、当時は、お嬢さん一人をホテルにお泊めすることはできない、と、その仲人をしてくださる長男のご家庭が大阪にあったので、そこに泊めていただいた。
おしゅうとさんの仲人趣味に付き合わされる長男夫婦も迷惑なものだが、縁談の相手方とも知り合いで、というので、お見合いにも同席してくださった。

それからいろいろがあって、この縁談は、いったん結納までしたのちに、先方から破談ということになった。
大学を出たて、就職もせず、結婚に備えていた私、結局、東京へでて、兄の家に居候しながら、九州へ帰ることはしなかった。

その後、私に同情してくださったママハハとの交流が始まったのだ。
それから50年以上、長いお付き合いになった。まるで母親みたい、ということで、ママハハと呼ぶようになったのだ。

もちろん、ママハハだけではなく、ママハハのお連れ合いもとても親切にしてくださったのだが、そのお付き合いは、経済的援助だけでなく、本当に親身なものだった。

短歌にも導いていただいた。

とうとう、母とよべる人はいなくなった。実母、そしてフランスの母、ママハハ、寂しい!
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