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私は生き残った(8)私のピアノ史

今住んでいる家のサロンに、グランドピアノが鎮座ましましている。
譜面台はあけたまま、モーツァルトのソナタ集がおいてある。
邪魔か、というと、動かせないという点では邪魔だけれど、心理的安定感を得るためには有益な存在だ。
この家を建てたとき、このグランドピアノを置く、というのが目的の一つだった。
音楽家を目指していたのか、とんでもない、そんな才能あるいは音感があるなど、まったく思っていない。

我が家とピアノの関係はほとんどなかった。
小学校のころ、従姉が音大を卒業して、自宅でピアノ教室を開いたので、さくら、として習いに行った。当時は、ヤマハ音楽教室などないし、こうしてピアノの先生につくのが普通だった。
姉と私が通ったのだが、そのためなのだろうか?オルガンがあった。
結構大型で、なんだか、棒を出したり押し込んだり、足ふみするのに、足がつかないけれど、音は出た。
レッスンを受けるのに、練習などしない、そんなに音楽が好きでもなかったのだ。
6年生まで通ったけれど、バイエルを終え、ソナチネを数曲弾けるようになるところでやめた。

そのころだったろうか、我が家のオルガンが変わった。とても小型のオルガンになったのだ。
安物、とうのが見えるオルガンで、前のオルガンがよかった、と文句を言うと、お金がなくて売ってしまった、ということを同居の叔母が告げた。
やっぱり、我が家は貧乏だから、と思ったけれど、小さなオルガンになっても、母は時々、童謡などを弾いてくれたし、私はピアノレッスンから解放されたので、オルガンが変わってもそう影響がなかった。

ピアノ、自分のピアノが欲しい、と思ったのは、東京に出て働き始め、外国の機関での仕事についていたころだ。
青山の民家の2階を間借りしていたあと、職場に近い中古のマンションの一室を購入した。
そのころ、やはり、職場に近いところに、ピアノ教室という看板をみつけ、昼休みに通うことを考えていた。
マンション購入に大借金をして、ピアノ購入も、ピアノのレッスン代も出せない経済状況だったが、母に話した。
母は買ってあげる、とほとんど即答だったような思いでがある。
マンション購入についても、母から一部を借りているし、母は故郷で一人暮らし、月々の費用を一部送金していたけれど、どのくらい預貯金があるのやら、それは知らなかった。
母がそういう性格で、それを受け継いでいるのか、大きいものを購入する、というとき、とても勇敢になる。
新品を購入していい、というので、ヤマハのアップライトを購入した。

そして、ピアノ教室に通い始めた。とてもまじめに。
週に1回、昼休みを利用してレッスンを受けた。
ソナチネを数曲弾いた程度の腕で、モーツァルトのソナタを弾きたい、と言った。
それもkv331,いわゆる、トルコ行進曲付きという、一番有名で、長い、難曲だ。
頑張った!毎朝8時から(マンションの規約で、音曲ものは8時からだった)出勤するまで、真面目に練習した。
それから20年以上、その先生について、ピアノを弾いた。

そして、現在の家を建てたとき、ここにはグランドピアノを置こう、と決心していた。
同じ別荘地に友人の別荘があったのだが、そこにグランドピアノがあって、時間にかまわず弾けるというのが魅力だった。
グランドピアノは不思議な魅力がある。
音もさることながら、その存在が独特の魅力を示すのだ。
友人のなかには、必ずピアノ弾きがいる。彼ら、彼女らは、グランドピアノをみるや、弾いていい?とうれしそうな表情をみせるのだ。

このグランドも母がプレゼントしてくれた。
そして、母は母で、自分の家にアップライトのピアノを買っていた。
長男夫婦が同居するため、新しく家をたてたとき、自分用のピアノを買っている。
こうしてみると、母の遺伝子なのか、と思う。
母のピアノは、母の思惑としては、長男の妻に遺すことにあったが、死去後、兄嫁は強く拒否した。
弟の家にもすでにピアノはあり、だれも引き取り手がなく、弟が売ったようだ。

今あるグランドピアノ、私が死んだらどうなる?と思いもするが、ピアノというのは、中古でも業者が引き取ってくれる。
毎年、調律はしているし、そう価格が崩れるものではない。
もちろん田舎だから、運搬に手間暇のかかるという問題はあるけれど、どうにかなるものだ。
街ピアノ、駅ピアノ、として寄付することも考えるが、このピアノがある、という安心感があるだけで、弾かなくても安定剤の役割を果たしている。

音楽の道を目指すわけでもない、ただ趣味として弾くだけにグランドピアノ、というのも、時代は変わったものだ。
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