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栗の話

ようやく、栗拾いから解放された。
Nou3週間ほど、毎日、朝、夕と、庭の片隅に落ちている栗チェックに明け暮れた。
栗は拾いというだけのだろうか、栗についての表現を考える。栗狩り、という言葉は聞かない。初栗という表現も耳にしない。しかし、フランスにいたとき、新聞にNouveaux Marron est arriveという表現があった。
これはワインの新酒、Beaujolais Nouveau est arriveから使っているのか、こういう表現は新なになに、というとき、使われるのか、そこまでは調べなかったが、とても新鮮に感じた。
新栗到来、というわけだが、それはマロングラッセとして新栗を使った、ということだった。

フランスでの栗は、マロングラッセのほか、モンブラン、あるいは栗のクリームをあしらったケーキ、栗のジャム、砂糖漬けのマロン、いろいろ使われているが、コルシカが有名な産地で、コルシカ土産で栗の粉をいただいたことがある。これでケーキを作れば栗の味が満喫できそうだ、と勇躍、マドレーヌに、普通の小麦粉と半々でいれたが、大失敗だった。栗の粉末はまた性質が違うようで、膨らまないのだ。

日本では栗はゆでるけれど、フランスでは焼き栗、パリの焼き栗売りは冬の風物詩になっている。
平べったい鉄板の上で転がして焼いていく、焦げて割れた栗が食欲をそそる。
紙の袋にいれてくれた栗を、ポケットにいれて暖をとる、これはパリの寒い冬の思い出として、気分がほっこりする一つだ。

我が家の栗の食べ方、それはゆでて、二つに割り、スプーンですくって食べる、それだけだ。
以前は茶巾絞りにしたり、工夫もしていたけれど、もうその気力がなくなった。
栗おこわ、これは季節のマストであるけれど、ご近所の名人に頼っている。栗を届けて、栗おこわが届くという願ってもない関係だ。

しかし、今年は一つ、新しいことに挑戦した。新栗いりマドレーヌである。
ほじくりだした栗の実を、マドレーヌの生地に練りこむだけのこと、このマドレーヌ、おいしかった、という評と、あんまり栗を感じなかった、という評に2分された。
イガの痛さを我慢しながら、拾ってきた栗、虫食いもあるのを分別して、ゆでて、実をほじくりだして、という苦労には引き合わなかった。

山の中で拾う栗と、小布施などで菓子にあしらう栗は種類が違う。
今年も小布施に行った。
栗おこわ、そして、有名なモンブラン、これが目的だ。
我が家の栗とは一味も二味も違う。観光地の栗は、それ用に品種改良されて、甘く、大きく育つようになっている。
栗といえば小布施、気候などあまり変わりはないだろうに、群馬県ではあまり栗が話題にのらない。

しかし、今年、小布施の町中での栗畑が激減していた。どうも栗より、ほかの果実のほうがコスパがいいらしい。

栗が希少植物になる日もくるのだろうか?なくてはならない、というわけではないが、やっぱり秋を感じるには栗は必要だ。
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エリザベス女王国葬に見る

昨夜は早めの夕食をすませ、夜7時(日本時間)の国葬中継をしっかり見た。
96歳まで生きて、70年の在位の女王葬儀にふさわしい、万端に狂いのない儀式であった。

まあ、なんと映像向けの儀式であったことか!
だいたいにおいて、制服を着た団体というのは、規律正しくみえる。そこにはイギリス伝統の軍隊が配備されていた。スコットランドのバグパイプの部隊、赤い制服の竜騎兵、お棺を担当するのは海兵隊、どこを切り抜いても、フォトジェニック、いまでいうSNS映えがする。

王家の人々はなぜ、みなが軍隊に所属するのだろう。王族の義務なのだろうか。
アン王女が女性では一人、軍服にこだわりをみせている。
そして、その軍服を着れなかったのが、女王の息子の一人、アンドリュー王子であり、孫のヘンリー王子だ。
アンドリュー王子は、彼のスキャンダルにより、公務からの引退を余儀なくされ、軍務からも強制的に離れざるを得なかった(という)。
ヘンリー王子も、アメリカ移住を決め、公務を離れるとしたとき、どんな事情かは知らないが、離れるというなら、すべてから離れなさい、と軍務も解かれた(そうだ)。

それにしても、皆さん、勲章をたくさんつけていらっしゃる。
ロシアや、中国、北朝鮮、アフリカ諸国、新興国の軍人は、やたら、胸に勲章を飾っているのが特徴だだが、イギリスも負けてはいないな、と思った。
これが王国、なのだろうか。
それぞれがなんという勲章で、どんな功績があって授与されたのか、どんな重み、価値があるのか、まったく知らないのだが、軍人のみならず、黒いフロックコートを着用されているひとたちはほとんどが勲章付きである。

70年の治世のいくらかの記憶をたどりながら、テレビの映像をみていた。
アン王女からは、エリザベス女王の妹、マーガレット王女を思い出した。
エリザベス女王は、早くにマウントバッテン伯爵の甥で、ギリシャ王家の地を継ぐという、フィリップ殿下という、この上ないナイスボーイと結婚なさった。
妹のマーガレットは、そういう良縁に恵まれず、悲恋を経験なさったのだ。
つまり、当時のイギリスでは、王族は離婚経験者と結婚できない、というような決まりがあり、タウンゼント大佐、この人もとてもハンサムだったが、との恋を王族がゆえにあきらめざるを得なかった。
悲恋のプリンセス、と当時、関係ない私ですら、しっかり覚えているほどの悲しいラヴストーリーだった。

昨夜、国葬の実況に続いて、9時からBS3で、「国王のスピーチ」という映画を放送した。
エリザベス女王の父君、ジョージ6世の話である。彼は次男であったため、その父君が亡くなられたとき、兄が王位を継いだ。ところが、その兄は、アメリカ人の離婚経験者の女性、シンプソン夫人と恋におち、結婚が認められないのなら、退位する、と王位を放り出したのだ。
そんなことで、イギリスの王位はジョージ6世、そしてその長女のエリザベスへとつながった。

その話では、新国王チャールズ3世、のそばにいるカミラ王妃の話もまだ皆の記憶に残っているはずだ。
今度、王太子となったウィリアム、そして弟のヘンリー、母ダイアナが亡くなり、カミラ夫人が公然な存在として世に出て、正式に結婚、そして今回、亡きエリザベス女王の願いもあって、王妃と呼ばれることになった。
もし、である。ダイアナ元妃が存命であったら、カミラ夫人が王妃と呼ばれることに、彼らは納得できただろうか?と思ったりする。

あんなごたごたがあったのに、その長放任のチャールズは、しっかり新国王になり、God save the kingとうたわれるのを神妙な顔して聞いている。
年月はあの時の騒動を消してしまうものだろうか。
ダイアナ元妃がパリで、すざましい自動車事故で亡くなられたとき、謀殺の噂もでたほどだった。

死は罪を隠してしまう。日本における、元首相の国葬儀についても、死を悼むという、なにか反対できない雰囲気のなかに、彼の功罪の罪は取り上げられない。

エリザベス女王にしても、やさしいだけの人ではなかっただろう。70年の在位、そこには、政治からは手をひいた王室とはいえ、その王室存続のため、あるいはイギリスという国のため、自分自身のため、表には出てこない、負の部分がたくさんあっただろう。

しかし、立派なご葬儀だった。
国教会の葬儀とはこういうものか、と半分カトリック、半分プロテスタント風、聖書は一緒だが、歌われる曲になじみはなく、聖歌隊のボーイソプラノに聞きほれた。

世界から王室メンバーがそろっていたが、そういえば、ヨーロッパの王室のなかで、イギリス王室だけが、ナポレオンの最初の皇后であったジョゼフィーヌの血を受け継いでいないのだ、とか、スペイン王室の前国王が参列していることに、なんとも違和感をもったり、だった。
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エリザベス女王の遺産

国葬が行われるという、19日の朝刊記事に、冠ダイヤは「支配の象徴」インドで変換求める声、というのがあった。
2002年4月、エリザベス女王の母エリザベス皇太后(ジョージ6世の妃)の棺の上に置かれた、ダイヤモンド「コイヌール」が飾られた冠(AP)の写真がある。
コイヌールと呼ばれるダイヤモンド、初めて耳にした。

インド産のダイヤモンドだという。
記事によると、英国側は1849年に東インド会社が「譲り受けた」としている。105,6カラットの重さにカットされ、ヴィクトリア女王に寄贈された、のだそうだ。

105,6カラット、カラットは宝石のときに使われる単位というのは知っているが、重さを表すのとは知らなかった。
1カラットのダイヤの指輪というのは手にしたことがあるが、それが105カラットになると、どれくらいの大きさなのか、重さはグラムで言ってもらわないと想像もつかない。

先日、女王崩御のあとだが、王家の財産というのか、王家が所有する冠を紹介する番組があった。
深夜0時からの放送で、最初はみていたが、途中で目はつぶれていた。
いくつもの冠が、大きなダイヤモンドやいろんな宝石、そして小ぶりのダイヤモンドで飾られている。

先日、スコットランドで亡くなられた女王の棺の上に、スコットランドでの王冠というのが飾られていたが、連合王国というなら、ほかにイングランド、北アイルランド、ウェールズの冠もあるのか、と想像した。

チャールズ国王が相続される王家の財産、おそらくはこういった形のものがたくさんあるのだろう。
さあ、こういう遺産、どうするのだろう。
お金に困って、宝石を少しずつはがして売るのか、質屋にいれるのか、それとも新興IT企業の経営者に売るのか、どれもできないのだろう。そうなると、遺産といっても使いようのない財産になる。

このコイヌールというダイヤ、インドのほかパキスタンなどが返還を求めてきたこともあるようだ。
インドの地元テレビ局「NDTV]によると、キャメロン元首相は2010年、返還について問われた際、「一つのものに応じれば、大英博物館は空っぽになるだろう」と答えた、そうだ。

そうなのだ。王室の財産、どうやって形成されたものか、考えれば、おおかたは植民地時代、植民地からの搾取、の成果なのだ。
でなければ、国民からの税金の蓄積としか言いようがない、

もちろん、いろんな事業に投資した、その利益などもあろう。
そういう利益は、どうして得られたのか、

植民地時代の財産の清算は、いつかは行われるべきものだ。

簡単ではないだろう。

フランスでは、どの大統領が言い出したのか、ブランリー岸に建てられた、アフリカ美術、民芸品の博物館の所蔵物を、原産地国に返還する、という決定がなされた。
いくらか、返還されたらしい。
結果、しっかりした博物館学もなく、保管の設備もない、原産地国で、それらの貴重な展示物は、壊れる、盗まれる、などの運命をたどっているものもある、という。

パリのコンコルド広場の真ん中にあるオベリスク、これはナポレオンが持ち帰ったものだが、これも返却ということが話題に上ったことがある。まだコンコルド広場にあるようだが。
これにしても、エジプトでナポレオンが買い取ったもの、という説明もあるけれど、その買取価格が正当な価格であったのか、バーゲン(交渉)されたものか、力の差を考えると、とても正当であったとは思えない。

キャメロン元首相の言葉を裏解釈すれば、大英博物館の品々は、そのすべてが収奪された、ともとれる。

リチャード3世の戴冠式では、まだどの王冠も今の形で用いられるだろうが、ウィリアムが継ぐときは、小粒のダイヤモンドだけの王冠になってしまうのかも。
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思い出はプライスレス

先日、公民館で古物の買い取りをする、という。
もちろん、行政で買い取りをするのではなく、業者が出張買取をするだけだ。

買取といわれると、こころが動く。家の中には処分を待っているしながたくさんある。
ただ、普通ごみでは出すにはばかられ、粗大ごみで出すのはなんだか惜しい、と何かしら、ごみに出すのはね、という心理が働いている。

まずは取り扱われる品々の一覧表を見せていただく。
金、プラチナ、貴金属から始まって、高価引き取りだろうものは、宝石、ダイヤモンド、金貨・記念硬貨、アクセサリー、インゴット、と続く。

テレビでよく、金製品や未使用あるいは使用していても、ブランドのハンドバックなど、えー、こんなにお高く!!!とびっくりする引き取り価格が出る場面があるが、ああいう場面がしっかりインプットされていると、自分の持っているものも、もしかしたら高価引き取りの対象になりはしないか!と期待を持つ。
骨董品と称されるものもそうだ。親がこれは高価なものだ、とか家代々の、などと言っていたから、きっと高いに違いない、なんて思い込んでいる。

そう思い込みのある間に、一度、骨董商に自宅まで来てもらったことがある。
母が自慢していた陶器や漆器、茶道具、長持ち、茶箪笥、骨董商の気を引いたのはほとんどなかった。
2時間もかかるところから来てもらったことが悪くて、本当は売却予定にはいれていないものまで、これなら査定できます、と言われると、どうぞお願いします、と売却対象にいれたのだった。

そんな経験を持っているにも関わらず、高価買取、と旗がたっていると、それならば、と思ってしまう。

もう骨董品として価値のあるものはないはず、徐々に処分していきましょう、と決めてもう10年近くなる。
つれあいも亡くなった。一人で決めていける。なのに、どうしてどうにもならないのか。

お金が欲しいわけではない。だから、業者のかたがつけられる価格に文句を言う気もないはずだ。

邪魔するものは思い出だ。
なにかにつけて、思い出がまとわりついている。
簡単に換金できる金製品にしても、これはだれからいただいたもの、あの日、あの場所で買ったもの、今更、どうしようもない思い出が、手放すことを邪魔している。

もうずいぶん金や宝石こみのアクセサリーをプレゼントした。
さあ、これはどこでどう入手したもの、と説明し、もらうほうも、大切にします、と言って受け取ってくれたはずだが、こちらの思いが全部伝わっているとは思えない。

二束三文になっても、と業者はいわないが、なんせ、処分しておかないと、死後は大変ですよ、ごみで出すにしたって有料なんですからね、と決定的なことを口にする。
そうなのだ。そういう形で処分するとき感じる罪の意識、これをあとの人に味合わせるわけにはいかない。自分の代で、と思うのだが。

もう一年、執行猶予だ。プライスレスの思い出にプライスをつけて、100円、200円でも納得できるようにしていこう。
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エリザベス女王崩御にかかわるいろいろ

9月8日、英国のエリザベス女王崩御後、ただちに王太子リチャードが王位を継ぎ、リチャードIII世となった。
日本のメディアはリチャードのことを皇太子と表記し、その弟たち、アンドリューやエドワードについては王子と表現している。
イギリスは王国であって帝国ではない。それでも継嗣を皇太子と称するのだろうか。これについては、そういう申し合わせができているのだろうか。

女王崩御の報道で、改めてイギリスはイギリスではなく、連合王国であることを確認した。
イギリスという呼び名は、たしか、江戸末期、開国したとき、英国をエゲレスと聞き取った、それがのちにイギリスと変わって呼び名わされている、というふうに記憶している。

これで恥をかいたことがある。無知が故の恥なのだが、初めてのヨーロッパ行、イギリスはEnglandというのだと覚えて行った。ロンドンからエディンバラへと移った。そこで、何度となくEnglandという表現を使うのだが、ここは違うといわれる。どうして違うのか、スコットランドという表現は知っていたが、イギリス全体を話題にしているとき、なんでイングランドで通じないのか、とうとう、わからないまま、イギリス旅行は終わった。
なんのことはない、イギリスはUK, United Kingdom連合王国と言わなければならないのだ。

これがいつまでもUKであり続けるかはこれからの問題だが、つまりは大ブリテン島のイングランド、ウェールズ、スコットランド、およびアイルランド島の北アイルランドからなっている。
英国と簡単に呼べる国ではない。

きっと、エディンバラで一夜を過ごした女王のお棺の上に、スコットランドの王冠が置かれたという場面、そんなものか、と聞き流した人もあれば、あれ?なんでそうなの?と思った人もいるはずだ。
(せっかく昔はイギリスの略称をUKとしていたのに、2002年、外務政務官に任命された河野太郎氏は、国名、地名の表記変更を言い出し、連合王国を英国に変えたそうだ。)

死とは厳粛なものだ。
それが70年も在位の上で亡くなった96歳の女王の死ともなると、全国民(とみえる群衆の数である)が弔意を示しているようにみえる。
また国家あげての行事となる。古めかしい、歴史を感じさせる衣装や行動、まるで映画のシーンであある。
いいこと尽くしの女王の統治であり、王族であり、私生活であり、飼い犬であり、国中に散在する住居であり、ここでなにか責めることはない。

今晩、BS1,0時から王朝が保有する宝石類をみせる放送がある。これらの宝石が、どこから、どんな形で王室に運ばれ、その所有となったのか、語られるのだろうか。



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beloved

9月8日、英国女王のエリザベスII世が亡くなられた。
その前日、テレビでは、新しい保守党の党首となったリズ・トラス氏を首相に任命される場面が流れていた。
その夜、海外ニュースを携帯で見ていると、女王陛下の健康が思わしくなく、医師団が見守っている、というような報道があった。
前日、ちゃんと立ち姿で、いつも通り、きちんとした服装で、新首相を迎えた姿をテレビで見ているだけに、きっと一時的なご不快であろうと思っていた。

ところが、翌日、NHK BS1の朝の海外ニュースをみていると、BBCは黒い服装のアナウンサーがでて、沈痛な面持ちである。バッキンガム宮殿が女王の崩御を発表した、という。

それから、報道はこのニュース一色になった。イギリスはもちろん、ほかの国の報道もエリザベス2世崩御で占めている。

その中で、私が気になったこと、報道で知りえたこと、など書き留めてみた
まず、後継者は、長く王太子として待たされたPrince of Wales Charlesである。これは問題ないのだろうが、その妻であるカミラはどうなるのだろうか。
これはすぐに、エリザベス女王が生前から、カミラ夫人がla reine consoirt王妃となれることを希望するといわれていたということが報道された。
亡き女王のお気持ちであれば、反対する人はいても黙っているだろう。

それでは、彼女の亡くなった夫、フィリップ殿下の称号はなんだったのだろう、と思った。reineをroiに置き換えればいいのか、つまりle roi consortだったのか、と思ったのだが、そうではなかった。
Son Altesse Royale le Prince Philippe, duc Edimbourg、つまりエディンバーグ公爵フィリップ殿下であった。

チャールズ王太子は直ちに即位、フランスでいう、王様はなくなられた、新王バンザイ、である。
チャールズIII世となられた。73歳の王である。

即位宣言というより、その前のエリザベスII世崩御直後の発言でもそうだったが、女王陛下というより、Beloved Motherという表現がとても印象的だった。
最愛の母、と女王というより、家族の中の母としてのエリザベスをまず口にしたのだ。

日本であれば、こういう私の部分は出されないだろう。
愛する、という表現はどういえばいいのか、そしてどんな場合に出せばいいのか、そんなことを気にしていたのだが、もう最初からbeloved motherであった。

70年の在位というのは、ルイ14世に次ぐ2番目の記録なのだとか。
近代になって、絶対王政ではないけれど、王室の存在、ヨーロッパでは多くの国がそうであるが、が民主主義とは相いれないのでは、という考えを持つ私としては、イギリス王室についてももろ手をあげての賛美はしないのだが、エリザベス女王の笑顔が好きだった。
本当に美しい、心からの笑みを表現していらした。

崩御直後のフランスの放送で、歴代フランス大統領全員とお会いになっている、という回顧を出していたが、ルネ・コティから現在のマクロン氏まで、つまり、コティ、ド・ゴール、ポンピドゥー、ジスカール・デスタン、ミッテラン、シラク、オランド、サルコジ、マクロン、これだけの大統領を迎えて、公式晩さん会のシーンがでた。
もちろん、女王は主賓の大統領の隣合わせ、右から左の政治思想の持主がいて、年齢もいろいろ、その時々で気に入りの大統領もいれば、いやなやつ、と思う人もいただろうに、と思ってみていると、どの大統領とも、本当に楽し気に、満面も笑みをもって会話していらっしゃるのだ、これには感心した。

そして、あの笑みは、えらい人たちだけに向けた特別仕様ではなく、民衆とあっているときも、つねに(ではないかもしれないが)、相手に向けられていた。

日本の皇族がみせられる、半ば強制されたようなこわばった笑みを見慣れていたので、こういう自然なこぼれるような、という表現がぴったりの笑顔がもうみられない、それは外国人にとっても悲しいことだ。
(続く)
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日本生命からのお知らせ

昨日、日本生命から「社員(ご契約者)の皆様へのお知らせ、が届いた。
内容は、中期経営計画の概要、」2021年度決算、保険金 給付金のご請求、相互会社の仕組みとあり、社員投票の実施について、と投票用紙がついてきている。

いくつかの点でおやっと思うことがある。
まず、社員ということば。普通社員といえば、その会社で働いている人を言うとおもうのだが、この場合は契約者が保険加入と同時に会社の構成員である「社員」となるのだそうだ。
次に「社員」が選出する総代で構成する総代会では、経営に関する重要事項の審議と決議を行う、とのこと・
その理由は日本生命が相互会社であるため。契約者同士が助け合う相互扶助の考え方にもとづく「相互会社」の携帯をとっているからだ、という。

会社の形態に、株式会社、合名会社、相互会社、あるいは個人経営の会社など、がある、というのを学んだのは、高校の社会の授業でだっただろうか。
今ではもう、その知識もうろ覚えで、どういう組織で、どう運営されているか、わからなくなってしまった。

株式会社であれば、上場、非上場の違いなど、時々新聞でみかけるけれど、話題になる会社に相互会社というのはあまりない。

日本生命といえば、日本トップクラスの生命保険の会社、とは承知しているし、まあ、そんなこともあって、保険に加入しており、「社員」ということでこの書類も送ってきたのだが。

総代を選べ、という。その候補者のリストがお知らせの中にある。新たに99名が選出され、非改選の総代101名とあわせた総代200名で構成されるのだそうだ。
今回、新しく選ばれるべき99名のリストがあり、番号がつけられている。
選出に同意しない場合、その人の番号にばってんをつける、何もつけないのは同意の印、全員に同意なら、投票用紙の返送は不要という。

この選出方法、最高裁判所判事の審査に似ている。
衆議院選挙の際に行われる、最高裁判事の審査、これは、対象となる判事のこれまで下した判決の例などが、選挙公報と一緒に配られるので、評価の判断材料になる。

しかし、この総代の選出については、住所(市町村名)年齢、性別、職業、区分だけがあって、なぜ候補になっているのか、どんな経歴なのか、というような、個人をしる材料はない。
99名、だれもしらない。
何も知らない人を勝手に否定するのは、その人に対して、失礼にあたるのではないか?といって、何も知らないのに、承認というのも納得いかない。

たとえば、株式会社であれば、株主総会があって、その場で、議題に持ち込んだり、役員人事に異議を申し立てすることも株主には許されているだろうが、この総代選出、なんとも納得のいかない方法だ。

今頃、相互に助け合うというスタイルで、会社が経営できるのか?
なんだか、古い昔、相互扶助で講などを作っていた、そんな時代の名残では?と思ってしまう。

会社を経営するのに、不都合はないのだろうか?

なんとも納得のいかない、このやり方だが、一社員、発言の機会はない。
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野鳥の餌付け

先月末ごろから、野鳥、といってもヤマガラだけだが、手にのせた餌(ヒマワリの種)をつつくようになった。
夏の間は、もっと高度のあるより涼しいところにでも行っているのか、姿をみせない。
旧盆あたりから、戻ってきて、翌年の春までご滞在なのだ。
我が家の餌場にくるのは、雀(カラ)類で、ゴジュウカラ、シジュウカラ、ヤマガラ、コガラの4種がくる。
一番多いのがヤマガラだ。そして、一番、人なれしている。

野鳥に餌を与えては、野生を損なうのでよくない、と学者の先生方はおっしゃるし、それも正しいのだろうが、冬場、そもそもの餌が存在するのか、もし、自然の餌が得られないとき、彼らは飢えに苦しみ、果ては餓死するのか、それはわからないが、餌を求めて、冬の間も住んでいる我が家に食を求めてくるとなると、それは無視できない。

しかし、この2年間、かれらが私の手から餌をつつく、ということはなかった。
今年もそうか、とあきらめていたのだが、先日、別荘滞在の方がベランダに座って、その手にあるヒマワリの種をくちばしにくわえていくヤマガラをみて、我が家でもやるべきだ、と気づいた。

最初は偵察みたいな行動をとる。すぐ近くまでくるのだが、手にはのらない。ちょっと頭をかしげて、手にのろう、としながら、飛び去って行く。
そのためらい、奥ゆかしくもあり、じれったくもある。

最初は2羽から始まった。ためらいつつ、手の先にちょんとつかまって、とりあえず掌の一番近い種をくわえていく。
それが気に入らないときは、またすぐに戻ってくる。そして、さんざ、選んで飛び去る。

それが今や、何羽いるのやら、次から次へと現れる。何羽いるのやら、鳥別ができない。
手にヒマワリの種をのせて、突き出していると、次々に現れるのだが、彼らにも階級があるらしく、早くきたから、すぐに餌をくわえられるのではなく、別の大きいものが現れれば、ホバリングしたり、別のところに控えるといった、しっかりした身分制度があるようだ。

鳥の間にもそうである。ゴジュウカラ、シジュウカラ、ヤマガラ、コガラ、この順序は厳然と存在する。

こちらが暇だと手から、それでなければ、餌台におく。これをしなければ、ヤマガラは手から食べるけれど、ほかの3種は手から食べないから、餌にありつけないことになる。

野鳥が近場で餌を食べることもめずらしい、と都会の人はいうけれど、村の人もいうけれど、手から食べるのは本当にまれなことなのだろう。

思い出すのはつれあいが亡くなった年のことだ。12月だった。
明け方になると、鳥の鳴き声が高くなるな、と思っていたら、それはヤマガラの餌を求める鳴き声だった。
雨戸をあければ、物干しやベランダのわくに、餌を求めて、数羽のヤマガラが待っている。
おはよう、といえば、頭をかしげてしっかり目をむけてくる。
そのしぐさのかわいいこと!
一人暮らしになれず、寒い中、どうしようもない孤独感を慰めてくれるのは、このヤマガラの訪問だった。
当時はコガラも餌を食べた。

その中の一羽に、連れ合いの名前を付けてみたけれど、どれと特定できるわけではなかった。
数年経過、鳥の寿命を知らないので、その鳥もきているのか、あるいは子孫になっているのか、
まずは鳥の区別が模様でもできず、足の感触に違いが見えるけれど、これが、と決める技はない。

以前には他の大きい鳥用に、グレープフルーツをつるしたり、真冬には牛脂をおいたりもしたけれど、こちらもそうそう付き合える年齢ではなくなった。向日葵の種だけで悪しからず、である。
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宗教って何?(7):日韓トンネル

今日の朝日新聞に「日韓トンネル、教祖の悲願」という記事が載っている。
前統一教会の記事がいろいろ展開する中で、日韓トンネルが出てきたときにはびっくりした。

福岡県出身として、韓国は近い。このトンネルの話がでてきたときには、単純に、日本列島と大陸がトンネルでつながる、ヨーロッパへも鉄道でいける時代になるのだ、と期待した。
その裏にこんなスキャンダルが絡んでいるとは思いもしないし、疑いもしなかった。

記事によると、構想なのか、もうプランはできていたのか、「国際ハイウェイ」なる団体が1982年に設立されという。

それより先か後か、ヨーロッパでは、英仏海峡にトンネルを作って、大陸と英国を鉄等で結ぶというプランがもう実現したか、しつつあったか、記憶も定かでないが、検索すると1994年5月6日開通式とある、そうしてみると、1982年なら着工していることもありうる。
冬場の厳しい気候条件にある英仏海峡、地下にトンネルを掘れば、気候に左右されることはない。
フランスから英国へ最後に行ったのは、母と一緒にウィンブルドンテニスを観戦するためであったが、たしか、フェリーを使った。一度もこのトンネルを使ったことがない。

英仏海峡ですらトンネルができたのだから、韓国までのトンネルができないことはなかろう、と単純に壮大な計画を喜んでいた。
そのあと、話題にあまり上らないこともあって、記憶から失せていき、今回の旧統一教会騒ぎで、亡き教祖の悲願であった、などという事実を知ったのである。

最初の海外旅行は横浜からナホトカまで船旅であった。そのあとシベリア鉄道に乗り換え、途中から飛行機でモスクワ入り、という、当時もっとも安価なヨーロッパ行だったけれど、それが、近場の福岡(当時、トンネルができるなら福岡と信じ切っていた)からであれば、西鉄で福岡に行きさえすれば、ヨーロッパまで行ける、と単純に思い込んでいた。

鉄道にしても、いろんな規格があって、日本で乗った鉄道でヨーロッパまで行けるわけではないが、世界一周80日間ならぬ、実家からパリまで何日間で行けるのか、想像していたものだ。

単なる資金集めの大がかり詐欺だったのか、日本からお金を吸い上げるための絵空事だったのか、1982年から2022年にいたる期間の推移をもっと知りたいものだ。
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恐るべき値上がり、実感です

先日、前橋の病院から帰宅するとき、以前よく利用していたセルフの店でガソリンをいれた。
そこが最安値というわけでもないだろうが、大きな道路にあり、給油したあとも出やすい。
久しぶりの利用、リットル160円でいれられて、病院帰りに一つ得をした、幸せ心境になった。

今日はガソリンの量を示す矢印が2個になり、やっぱりいれるべき、と村のスタンドに行く。
ここは有人のスタンド、価格が高いことは承知だ。それでも村のスタンドを残しておくべき、と思うので、だいたいはこのスタンドで給油している。リッター178円であった。

いつもなら、仕方ないか、と思うのだが、ほんの1週間前、160円でいれたことが記憶に新しいだけに、すごくめげた。

現在の世界の状況にあって、物価の高騰もやむなし、と思うようにしているのだが、急に電気代が気になった。
というのも、昨日、今日と冷え冷えしていて、日中でも暖房が欲しい。
小型の灯油ファンヒーターをつけながら、電気ストーブにするか、と考えたりする。

ところで、電気代はどうなっている?
引き落としになっているから、金額はわかるのだが、それがどう変化しているか、あまり気にしない。
当地では、特に冬場だが、電気代と灯油代については、目をつぶらざるを得ないのだ。
昨年の12か月分、今年は8月までの電気代を書きだす。
そして、今、引き算をした。

ショック!
毎月、前年比でプラスになるのは仕方がないとしても、その額の大きさ!
7月は1300円台で増加分が一番低い。最大は3月の6500円だ。
冬の間、水道管の凍結予防のための装置は通電している。もちろん、節電装置はつけているのだが、マイナスの日が続くのだから、日中でも通電しているのはどうしようもない。
それにしても、3月、真冬日などは少なくなっているはずなのに、6500円も高くなっているとは!!

こまめに消すなど、節電にいっそう気を遣うようにしているけれど、冬場の節電はむずかしい。
これ以上、電気代があがるのか?

食料品の値上がりは、一人暮らしの場合、高いものには手をださない、というような選択の余地があるけれど、暖房はなかなかだ。
ドイツは、家庭の暖房温度を19度に、と言っているらしい。

どういう冬になるのだろうか?
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