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野鳥の餌付け

先月末ごろから、野鳥、といってもヤマガラだけだが、手にのせた餌(ヒマワリの種)をつつくようになった。
夏の間は、もっと高度のあるより涼しいところにでも行っているのか、姿をみせない。
旧盆あたりから、戻ってきて、翌年の春までご滞在なのだ。
我が家の餌場にくるのは、雀(カラ)類で、ゴジュウカラ、シジュウカラ、ヤマガラ、コガラの4種がくる。
一番多いのがヤマガラだ。そして、一番、人なれしている。

野鳥に餌を与えては、野生を損なうのでよくない、と学者の先生方はおっしゃるし、それも正しいのだろうが、冬場、そもそもの餌が存在するのか、もし、自然の餌が得られないとき、彼らは飢えに苦しみ、果ては餓死するのか、それはわからないが、餌を求めて、冬の間も住んでいる我が家に食を求めてくるとなると、それは無視できない。

しかし、この2年間、かれらが私の手から餌をつつく、ということはなかった。
今年もそうか、とあきらめていたのだが、先日、別荘滞在の方がベランダに座って、その手にあるヒマワリの種をくちばしにくわえていくヤマガラをみて、我が家でもやるべきだ、と気づいた。

最初は偵察みたいな行動をとる。すぐ近くまでくるのだが、手にはのらない。ちょっと頭をかしげて、手にのろう、としながら、飛び去って行く。
そのためらい、奥ゆかしくもあり、じれったくもある。

最初は2羽から始まった。ためらいつつ、手の先にちょんとつかまって、とりあえず掌の一番近い種をくわえていく。
それが気に入らないときは、またすぐに戻ってくる。そして、さんざ、選んで飛び去る。

それが今や、何羽いるのやら、次から次へと現れる。何羽いるのやら、鳥別ができない。
手にヒマワリの種をのせて、突き出していると、次々に現れるのだが、彼らにも階級があるらしく、早くきたから、すぐに餌をくわえられるのではなく、別の大きいものが現れれば、ホバリングしたり、別のところに控えるといった、しっかりした身分制度があるようだ。

鳥の間にもそうである。ゴジュウカラ、シジュウカラ、ヤマガラ、コガラ、この順序は厳然と存在する。

こちらが暇だと手から、それでなければ、餌台におく。これをしなければ、ヤマガラは手から食べるけれど、ほかの3種は手から食べないから、餌にありつけないことになる。

野鳥が近場で餌を食べることもめずらしい、と都会の人はいうけれど、村の人もいうけれど、手から食べるのは本当にまれなことなのだろう。

思い出すのはつれあいが亡くなった年のことだ。12月だった。
明け方になると、鳥の鳴き声が高くなるな、と思っていたら、それはヤマガラの餌を求める鳴き声だった。
雨戸をあければ、物干しやベランダのわくに、餌を求めて、数羽のヤマガラが待っている。
おはよう、といえば、頭をかしげてしっかり目をむけてくる。
そのしぐさのかわいいこと!
一人暮らしになれず、寒い中、どうしようもない孤独感を慰めてくれるのは、このヤマガラの訪問だった。
当時はコガラも餌を食べた。

その中の一羽に、連れ合いの名前を付けてみたけれど、どれと特定できるわけではなかった。
数年経過、鳥の寿命を知らないので、その鳥もきているのか、あるいは子孫になっているのか、
まずは鳥の区別が模様でもできず、足の感触に違いが見えるけれど、これが、と決める技はない。

以前には他の大きい鳥用に、グレープフルーツをつるしたり、真冬には牛脂をおいたりもしたけれど、こちらもそうそう付き合える年齢ではなくなった。向日葵の種だけで悪しからず、である。
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