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栗の話

ようやく、栗拾いから解放された。
Nou3週間ほど、毎日、朝、夕と、庭の片隅に落ちている栗チェックに明け暮れた。
栗は拾いというだけのだろうか、栗についての表現を考える。栗狩り、という言葉は聞かない。初栗という表現も耳にしない。しかし、フランスにいたとき、新聞にNouveaux Marron est arriveという表現があった。
これはワインの新酒、Beaujolais Nouveau est arriveから使っているのか、こういう表現は新なになに、というとき、使われるのか、そこまでは調べなかったが、とても新鮮に感じた。
新栗到来、というわけだが、それはマロングラッセとして新栗を使った、ということだった。

フランスでの栗は、マロングラッセのほか、モンブラン、あるいは栗のクリームをあしらったケーキ、栗のジャム、砂糖漬けのマロン、いろいろ使われているが、コルシカが有名な産地で、コルシカ土産で栗の粉をいただいたことがある。これでケーキを作れば栗の味が満喫できそうだ、と勇躍、マドレーヌに、普通の小麦粉と半々でいれたが、大失敗だった。栗の粉末はまた性質が違うようで、膨らまないのだ。

日本では栗はゆでるけれど、フランスでは焼き栗、パリの焼き栗売りは冬の風物詩になっている。
平べったい鉄板の上で転がして焼いていく、焦げて割れた栗が食欲をそそる。
紙の袋にいれてくれた栗を、ポケットにいれて暖をとる、これはパリの寒い冬の思い出として、気分がほっこりする一つだ。

我が家の栗の食べ方、それはゆでて、二つに割り、スプーンですくって食べる、それだけだ。
以前は茶巾絞りにしたり、工夫もしていたけれど、もうその気力がなくなった。
栗おこわ、これは季節のマストであるけれど、ご近所の名人に頼っている。栗を届けて、栗おこわが届くという願ってもない関係だ。

しかし、今年は一つ、新しいことに挑戦した。新栗いりマドレーヌである。
ほじくりだした栗の実を、マドレーヌの生地に練りこむだけのこと、このマドレーヌ、おいしかった、という評と、あんまり栗を感じなかった、という評に2分された。
イガの痛さを我慢しながら、拾ってきた栗、虫食いもあるのを分別して、ゆでて、実をほじくりだして、という苦労には引き合わなかった。

山の中で拾う栗と、小布施などで菓子にあしらう栗は種類が違う。
今年も小布施に行った。
栗おこわ、そして、有名なモンブラン、これが目的だ。
我が家の栗とは一味も二味も違う。観光地の栗は、それ用に品種改良されて、甘く、大きく育つようになっている。
栗といえば小布施、気候などあまり変わりはないだろうに、群馬県ではあまり栗が話題にのらない。

しかし、今年、小布施の町中での栗畑が激減していた。どうも栗より、ほかの果実のほうがコスパがいいらしい。

栗が希少植物になる日もくるのだろうか?なくてはならない、というわけではないが、やっぱり秋を感じるには栗は必要だ。
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