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もう一度やりたい本当のマージャン

つれあい以外、話す相手もいない山の中の生活、遊びと脳の活性化を兼ねて、毎日、パソコンでマージャンゲームをする。レベルが10まであるなかの8段階、けっこう上級クラスで遊ぶ。つれあいはつれあいで、自分のパソコンでマージャンをやっている。私がときどき、イーピンほしいというと、”あげるよ”などと調子よく答えてくれるが、それぞれのゲームなので、それも不可能だ。

ほとんど負けてしまうのだが、何を賭けるわけでもない、会話もなにもしないで、途中で中断しても続く、ヴァーチャルなゲームである。とてもつまらない。

今は昔という表現で、思い出ばかり書いてしまうが、30年以上前、港区に住んでいたころである。我が家にマージャン仲間が集まって、月に1回は遊んでいた。常連のメンツを紹介すると、
H嬢:とてもおしゃれで、手入れの行き届いた細い指にマニキュアがきれいに施され、マージャンパイを混ぜたり、パイを捨てたりする動作が色っぽいといわれていた。ほとんど唯一の女性客だった。

Y氏:中央官庁の若いエリート官僚で、マージャン中も会話を独占。難しい話題を難しいまま話して、無知な私をけむに巻いていた。
S氏:経済団体で働く貴公子で、背広は英国屋製。総務庁に出向中、マージャン大会で総理大臣杯をとったというのが自慢。貴公子の割りにはせこい手であがることもあった。
B氏:石油技師。勝負師を自称。石油もここほれワンワンで掘れば当たるといいながら、おおきな手が好み。
殆どお酒のほうに神経がいっていた。白発中を泣いて上がるのはつまらないですよ、と教えてくれた。
T氏:ヨットマンで、会社経営。普段はもっと上手なメンツで遊んでいるのだが、気楽にできるマージャンもたまにはいいよ、と参加していた。
H氏:銀行員。理路整然のマージャン。メンバーの中で若手のほうだったので、気をつかったマージャンだったような。
K君:東大マージャン部卒業(自称)という経歴。一番若いので、メンツが多いときは控えにまわったり、H嬢や私の後ろでコーチをしてくれた。

このほかに、なぜか大蔵省主計局のエリートやら、高校時代の友人、海外旅行の帰りの飛行機の中で知り合った人、などいろんな人がメンバーになることもあった。

だいたい金曜日の夜7時くらいから始まるのだが、私は下手で、点数も数えられない。だからメンバーには来ていただくという立場で、夕食を用意し、待つ。みんな若いから、そんなに早く職場を出られないこともある。きちんと4人そろうかそろわないか、そろわない時は惨めなものである。最後の一人をまだかまだかと待つ。
だから、大体5-6人になるように声をかけるのだが、全員そろうと、人数が余ってしまう。家主の私は、マージャンがやりたくて席を設けたのに、マージャン屋のお姉さんとばかりに、酒係や食べ物係になってしまう。

マージャンをやりながらの会話が本当に面白かった。そうしてみると、それぞれ職業が違い、仕事の自慢や愚痴だけでも、社会が見えるようなものだった。若かったから、終電まで、ひどいときには徹マンもあったようだ。

数年は遊んだマージャン例会だったが、結局、マージャンをしない友人のためにも、別の集まりを準備するようになり、マージャンの集いは自然消滅していった。
しかし、あのじゃらじゃらとパイを混ぜ、テンパイたばこと、テンパイウイスキーなどと、席をはずしたり、年齢の差もあまり感じることなく、自由にものを言いながら遊んだことがなつかしい。

常連だった中で、H嬢、B氏、T氏は早々とマージャンだけでなく、当世から卒業してしまった。だから、あのマージャン例会はもう完全な形で再現できないけれど、でも、もう一度、卓を囲めたらいいなー、とヴァーチャルでするたびに思うのである。

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