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新旧、ことばがわからない

今日(11月27日)の朝日新聞に、「オタク」用語辞典、という言葉があった。
もうオタクという言葉で突っかかるのだが、辞典の名前は「大限界」というそうだ。新聞によると、「日本初の近代国語辞典『言海」を増補改訂した「大言海」と「痛々しさが許容度の言海を超えたオタク」を指す「限界オタク」を掛け合わせたタイトルで、129ページにわたって821語を収録している、という。

収録されている言葉の意味・用例として、「尊い」、「リアコ」、「DD」、「同ペン」といった言葉が紹介されている。

この4つの言葉、初耳、初見である。オタクという言葉すら、正確にわかっているとは思えない。
それでも、会話の中で、あの人はおたくっぽい、などとは使うことがある。偏執的に、こだわりを持っている人、その道一筋の人にもつかったりすることがある。

もう新語としては古い方に入るかもしれないが、「萌え」や「推し」、そして、「親ガチャ」、メディアではもう当たり前に使われているけれど、こちらとしてはついていけてない。

表現の仕方にも違和感を感じる。最近読んだ、いわゆる近刊の著作なのだが、「がっつり」食べる、とか、「こじゃれた」店、なにかとなにかをマリアージュさせる、コラボする、こういった表現はもう小説の中でもめずらしくないけれど、これが大学の論文などのなかで使われても、通用するのだろうか。
こういった言葉が、はたして、広辞苑に載っているのか。

広辞苑に載ったか、乗らないか、これが日本語として使ってよいかどうか、判断の材料としていたけれど、いまや、年末の「現代用語の基礎知識」でも間に合わないように、新語が出て、それが浸透していく。ただ、その浸透は、年代や、使われる場所(SNSなど)によって大きな違いがあるのだ。

今日は新語についてもがっくりきたけれど、日曜日とて、朝日歌壇を読んでみれば、「政治とは言葉なのだとしみじみとにれかむ野田氏の追悼演説」(中原千絵子)の「にれかむ」、これは「反芻する」という意味らしい。
ほかに、尉鶲(じょうびたき)もルビがふってあってそうなのか、と思い、漸うとあるのは「やうやう」とルビがついてようようと発音したり、「羨し」はうらやましではなく「ともし」とルビうたれ、もうついていけない。

知らなかったことを一つ一つ知っていくのが人生だが、あまりに知らないことが多すぎる。
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切手の行先が決まった

連日、郵便局には顔を出す。コンビニでの新聞購入、郵便局、会館の図書室、これが毎日のルーティンになっている。
今日は郵便局である発見をした。透明のプラスティックボックスがあって、使用済み切手入れとある。

局員の一人に、郵便局で集めているのですか?と問うと、いえ、これは社会福祉協議会の依頼でおいてます、という。
そうか、社協がその活動の一つで使用済み切手を集めているのか、と納得する。
自宅には、この頃数少なった郵便物だが、個人の場合、だいたい記念切手を使用しているから、その切手を必ずとっておく。

数年前までは、フランスの知人が、またその知人であろうが、切手収集をしている、というので、年に1回、送っていたのだが、その知人が亡くなって、切手はたっだ残しておくだけだった。
もう5年前に亡くなったパリの代父が、ある慈善団体で、切手係をしていた。使用済みの切手を寄付してもらい、それをコレクター向けに分類して、教会の行事などで売るのだ。
その収益など、彼が定期的にしている寄付などに比べれば微々たるものであろうが、彼はこれは奉仕なのだ、と毎週1回の切手の日を、とても勤勉に通っていた。
フランスへ行くときは、かならず、集めた切手をお土産に持参する、そんなこともなくなってしまった。

そうやって、郵便物からとっておいた切手のほかに、我が家には昔の切手コレクションがある。
これもどうにかならないか、と思っている、処分に困っているものだった。
先日、村にも古物商がみえ、切手も扱いますよ、というので、どんな切手は引き取れるのですか?dと問うと、まあ、見返り美人のシートとか、と我が家にはありそうもない切手を例に挙げられる。

結局、切手も扱うといわれても、我が家にある切手はその対象ではなさそうだ。
もうすっぱり未練を捨てて、ごみで処分するか、という気持ちになりかかっていた。

社協の方が、どうにかしてくれるそうだ。
切手のマーケット自体は、社協であれ、他の慈善団体であれ、営利の団体であれ、決まっているだろうし、こちらの思い出分が換算されるわけではない。
お金の問題ではないのだ。
やっぱり思い出はお金に換算できない。これがもし、社協を通じて、なんらかの役にたつのなら、それで本望なのだ。

切手のコレクションブックの埃をはらう。パラパラとページをめくると、昔なつかし、の切手が並んでいる。未使用のものも多い。
そんな時代があったのだ。切手コレクションがブームで、発行日に郵便局で並んで買った、そんなこともしたのだろうか、外国の切手のシートもある。

切手が使われなくなってきた今、ノスタルジーでしかないかもしれない。
今日、そのノスタルジーとお別れする。

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これからクリスマスの飾りつけ

クリスマスまでまだ1か月以上あるのだけれど、今日はクリスマスの飾りつけをする。
気鬱がいやますうっとうしいお天気、何か、気分転換をしなければならない。
サロンの飾りつけ空間は、夏からずっと変わらない。秋をすっとばして一挙にクリスマスだ。

しかし、なぜキリストは12月24日深夜に誕生されたのだろう。もう少し、日にちが違っていたほうがよかった。
日本では、新年の飾りつけも大事だから、クリスマスが終わると、すぐに片付け、そして新年用に変わる。
となると、やっぱり少し早めにクリスマスの飾りつけを始めないと、ということになる。

クリスマスの飾りつけは、毎年新しくしなければならない、というのはないから、毎年、なにかすこしづつ加わっていく。
去年は、巨大リースをいただいたり、ウィーンのクリスマス市で購入したというクレーシュ(キリスト生誕の馬小屋シーン)が送ってきたり、新しいものが増えた。
長く持ち続けたもの、たとえば亡き母が作ったリース、あるいは、サントン人形のクレーシュ(南仏の思い出の品)、単品のクリスマスグッズも数が増えている。
それらをいろんな場所に散らして、クリスマスの雰囲気を作る、以前は楽しい作業だった。
今では、そうでもない。

今年の地球を考えると、クリスマスを祝う、喜ぶ、という雰囲気がでてこない。
クリスチャンではあるが、やみくもに、ご生誕おめでとう、とお祝い気分にはなれないでいる。
まだ早いからかもしれないが、それにしても寒い中、電気のないウクライナ、食べ物のないソマリア、気候異常による災害の場面、それらの災害が終了して、以前の生活に戻りました、という報道はないから、彼らが相変わらず悲惨な状態にあるだろう、と想像するだけだが、そんな中で、クリスマスですべてが好転する、なんて心境になりえない。

それでもクリスマスの飾りつけをするのは、クリスマスによって、なにか好転する、という希望を捨てられないからだ。
誕生というのは、そんな意味もある。イエスの生涯も、平坦ではなかったし、最後は磔刑で生涯を終えられた。
それでも、救い主と言われるからには、彼に救いを求め、救われた人が多いからだろう。

さあ、ピアノのカバーを赤と緑のクリスマスカラーにして、クレーシュは丸いテーブルの上に、ダイニングテーブルの上に赤いキャンドルは年間を通じて出しっぱなしだが、せめてクリスマス用のクロスを敷こう。
置く場所のみつからないものは、吊り下げることも考えなければ。

幼子イエスの登場は12月24日の夜までお待ちいただく、これを忘れてはいけない。
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世界トイレの日

今日は国連の定める「世界トイレの日」なのだそうだ。
トイレの話というのは、一般に避けるものだ。枕詞に、「尾籠な話で恐縮ですが」などとつけてちょっとだけ話していたことを思い出す。

トイレ、あるいは排泄というのは大切な問題だ。食べることと同じくらい大切なことだ。
年齢とともに、排泄に問題あり、という状態になってきているので、排泄する場所としてのトイレ環境は気になってしかたがない。

今でも続いているウクライナの戦争、春に、東部の住民が、製鉄工場の地下に避難してすごしていた、という話のときに、トイレはどうなっているのだろう、と気になってしかたなかった。
そういう尾籠な話が、あまりニュースでは取り上げられなかったけれど、バケツで用をたし、それがいっぱいになると、表に捨てにいった、という話であった。

おなかがすくのもいや、寒いのもいや、眠れないのもいや、清潔でないのもいや、といやなことは多いけれど、きれいなトイレで用がたせない、というのの優先度は高い。
今でも、停電1000万世帯、などと聞くが、トイレをどうしているのだろうか。

今は昔で、この頃は昔のことを思い出すこと、しきりだが、若いころは、旅行の場所選びにトイレ問題はあまり重要ではなかったように思う。
だから、パキスタン旅行の折、イスラマバードからヒマラヤのフンザへと出かけたとき、トイレの有無のチェックをしなかった。
イスラマバードから車で出かけたのだが、昼ご飯を食べるレストランあたりに当然ある、と思ったのが間違いで、ガイドに問うと、ない、という。
どうすればいいの?と聞けば、川の向こう側に適当に場所をみつけてすませてください、というのだ。
なんてこった!そんなの聞いていない!と叫んでも、今更、どうしようもない。
川の向こう側にわたって、しかるべくすませた。

アフリカに住んでいたときも、同じようなことがあった。
なるべく、遠くへ出かけない、どこかでトイレが使えるような場所を確保する、という原則はもっていたが、原則があっても、それが通じるところばかりではない。
野の花つみ、などと、上品に表現しても、その行為のするところ、お尻をむき出し、となるのは変わらない。虫に好かれるのもこういうときだ。ハエはアブ、蜂、名もしらぬ虫どもが表敬訪問に現れる。
苦しうない、近う、近う、などとは決して言わない。あっちへ行け、と叫んでも、なかなか去ってくれないのだ。

アフリカではたとえトイレがあっても、その状態は安心できない。
ある村で、シスターたちのお住まいだからきっとちゃんとしたトイレだろう、と安心して案内されたところは、深い穴が掘られているだけ。そこがトイレなのだ。
もし、足をすべらせて落ちたらアウト、それより、下には蛆虫がうようよ、もうすぐにトイレをすませるのはあきらめる。

アフリカ経験者から言われていた。外出する日は水分をとらない。あまり食べないでいる。
そして、帰宅するまでトイレは我慢。
20年前の経験でなのだが、果たしてもうこれらの問題は解決しているのだろうか。

衛生的なトイレを使用できる人口は、80億人中どれくらいだろう。5億人近いひとたちがトイレなし、だというし、またトイレがあっても、衛生的であるかどうかはまた別問題だ。
80億人全員が水洗トイレなどを利用し始めたら、水がどんなにあっても足りないだろう。
今の我々が使っているトイレが、そういう問題に対処しているとも言えない。

だが、自宅の慣れたシャワー式トイレ、これにしくものはない。
戦争や災害でもトイレは使えなくなる。

今日は、せめてと、トイレットペーパーを1カット分、使用を減らしている。

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そうだ、金沢へ行こう

先日、金沢へ行った。JRの広告、「そうだ、京都へ行こう」に習ったわけではない。
日帰りで行けるところ、昼ご飯、海鮮のものが食べられるところ、と考えた結果が金沢になった。

車で行くには遠いけれど、新幹線がある。同行してくれる友人、まだ新幹線に乗ったことがない、という。
私も金沢まで乗ったことがない。上越新幹線、それが長野新幹線と呼ばれていたころから、行くのは東京であって、逆方向には乗らなかった。
一種の日本探訪にもなる。いつも車でいけるところ、としていると、運転席でもたとえ助手席であっても、景色というより、交通標識をチェックすることに神経をとがらせている。
車窓から景色を楽しみながら、目的地まで快適にいける、なかなか楽しみなことだった。

日本の中央には大きな山脈があって、太平洋側と日本海側を分けている、というようなおおざっぱな知識を持っていたのだが、日本というのは、どこも山だらけ、というのを実感する。
大きい山、小さい山、山の場合は高い、低いで表現するのだろうが、なんだか大小で言いたいような山々がずっと続いている。
我々は上田から乗ったのだが、上田駅を出るや、長い長いトンネルにはいった。まるで、「トンネルを過ぎるとそこは雪国だった」と川端氏が表現したように、トンネルを過ぎたあとの風景が違う。
ああ、日本海側になったのだな、と思う。
山の中に住んでいるので、山の風景には慣れているのだが、山そのものが違うのだ。

金沢に行く、と話したとき、友人は観光?と聞く。昼ご飯食べに行く、というと、贅沢な話ね、とかえってきた。
そうなのだ、とても贅沢な話だ。しかし、今、政府はそんな贅沢をしろ、と勧めている。
普段、政府のいうことには反抗ばかりしているのに、こういうときには政府のいうことを聞くの?と追及される。

まあ、遅きに失した日本探訪、でもある。
金沢には10年以上前に行ったことがあるけれど、それきりの日本海側だ。
日帰りだから、金沢探訪はできない。昼ご飯を食べ、1,2か所の名所を訪ねるくらいが関の山だ。
同行友人の希望で、ひがし茶屋街を歩こうということになる。
金沢は100万石の大名がいたところ、なんとも優雅ゆとりのある町にみえる。
金箔カバーのソフトクリームが売りだというので、金箔を食べるなんて、なんと贅沢、と思いながら、今日は贅沢デーなんだ、とトライする。
これを食べたあと、レントゲンをとれば、きんきらきんの映像が出てくるかしら?
食べたあと、貴金属店で、胃の中の金箔を売りたい、と言えるかしら?などとくだらない冗談をいいあう。

金沢というのは、気候的にも特殊なのだろうか。積雪はあまりなく、だいたい、雨で住んでいるらしい。だからなのか、日本家屋でありながら、3階建てというのが、茶屋街には多いのだ。
近江町市場はカニの解禁ともあって、カニ、カニ、カニ。貧乏人には手がでない、と値段も見ない。

金沢に住む知人が案内役をしてくださったので、迷うことなく、歩き回れた。
帰りの新幹線では、友人との合言葉は、「そうだ、また金沢に行こう」ということになった。
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後悔先に立たず(1)

10歳上の姉が一時期、しきりに口にしていたことがある。昔を思い出す、というのだ。
私もどうもその年齢に到達したらしい。やたら、昔のことを思い出す。
そして、今日は新聞が思い出させる記事をのせた。

朝日新聞11月12日、be版で「じいじ・ばあば、使いますか?」という記事だ。
ああ、じいじ、ばあばでは苦い思い出がある、と思い出した。
記事によると、じいじ、ばあば、という呼び方は新しいものだという。新しいといっても1990年代のころからなのだろう。記事によると、「広辞苑」の第6版以降には「祖父(祖母)を親しんで呼ぶ幼児語」とあるが、第4飯、第5班にはないので、2000年代に浸透した可能性もある、とあるが、1990年代にすでに我が家に現れていた。

というのは、つれあいにとってただ一人の孫になったのだが、孫がなにか言葉を発するようになったとき、われわれの呼び名がじいじ、ばあば、となったのだ。
この呼び方は私にとっては、初耳であり、あまり感じがよいものではなかった。
すぐにというのではないが、格調高く、おじい様、おばあ様、と呼ばせたかったのだ。

実家では、小さいとき、二人の老女がいて、一人はおっかばあちゃん、もう一人はちんかばあちゃん、と呼ばれていた。おっか、は大きい、ちんか、は小さいという意味で、おっかばあちゃんのほうが年上だった。
とても親しみのある呼び方だった、と今では思うけれど、どちらのばあちゃんも苦手であったし、やさしくされた記憶がないこともあって、ばあちゃん、という呼び方もいやだった。

かっこづけもあって、できればおばあちゃま、あるいはおばあさま、と呼んでほしかったのだ。

婿サイドの祖父母はおじい様、おばあ様と呼ばせている、と聞いて、どうして、こちらはじいじ、ばあばなのか、と気分を害したのだ。
それには、もう一つ理由があった。
義娘は出産数か月後、新生児を飛行機にのせることが可能になると同時に、当時、南仏に住んでいたわれわれのところにきた。1年の出産・育児休暇をとっており、彼女にとって、海外に長期に滞在するチャンスでもあったのだ。

まだ乳児、呼び名がどうのこうの、といってわかるわけではないが、私はフランス風におじいさんはパピー、おばあさんはマミーと呼ばせたかった。
だから、赤ん坊がわかろうとわかるまいと、さあ、マミーですよ、とか、パピーが帰ってきましたよ、などと話しかけていたのだった。
ある日、義娘から手紙を渡された。「マミー」という呼び方は使いたくない、というのだ。つまり、その呼び名は、亡くなった彼女の母親を思い出すから使いたくない、使ってほしくない、というのだ。
そういわれれば、あえて使うというわけにはいかない。

そのときは、そのまま、別になにとよぶこともなく、終わってしまったのだと思う。
そして、われわれが帰国し、孫と会う機会も増え、孫も小さいながら、言葉を理解するようになったときに示されたのが、じいじ、と、ばあばだったのだ。

結局、なにかしらのわだかまりが残ったまま、孫がどう我々を呼んでいたか、ちゃんとした記憶がない。
つれあいに対してはじいじ、だったようだし、私に対しては何だったか。名前で呼ばれていたかもしれない。

今になっては、ばあばでもいいじゃないか、ばばあ、と呼ばれるよりはよほどましじゃないか、と思ったり、上皇后さまが孫娘の眞子にあてた手紙で、「ばあば」を使っていらしたという事実から、そうか、雲上人もお使いになる言葉だったのか、と思ったりもする。

血がつながってはいないけれど、まあ、孫と呼べる存在は彼女だけであったから、ほかにはよばれることもない。
英語のおばちゃんに相当するアンティ、という表現を使ってね、ということですませている。

今更悔やんでもしかたない。狭量な自分だったのだ、と思うし、無知がゆえ、とも思うが、やっぱりじいじ、に、ばあば、という音がしっくりこないのは、今でもそうだ。

この調子でいくと、後悔の種は浜の真砂のように、次から次へとでてきそうだ。


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トリクルダウンの嘘

今朝(11月6日)の朝日新聞、天声人語を読んで、久しぶりにウンウンとうなずいた。
「トリクルダウン」のいかがわしさを分析したものだった。

故安倍氏が唱えた経済理論だ。トリクルダウンというのは、シャンペンやワインのグラスを積み上げ、上からそれらの飲み物を注ぎ続けると、上が一杯になれば、下のグラスへと滴り落ちていく。最後には最下段のグラス、つまりは最貧クラスにも飲み物、現実には収入ということになるが、がまわる、という経済理論を言う。

このトリクルダウン、シャンペンで実演されている場面を何度か目にしたことがある。
モナコのカジノか、なにかのパーティの折か、大勢の人が集まる華やかな場であったことは確かだ。
数段にセットされたグラスの一番上の一つからずっと滴り落ちるシャンペン、あるいはワイン、シャンペンの場合は、泡もたって、なかなかショーの効果があった。
その飲み物はフリーというので、最下段まで飲み物が落ちていくのを、大勢の呑み助たちが待っていた。

ただというのに弱い時代で、そこに並ぼうとすると、同行者が、トリクルダウンで高級飲み物を提供するはずがないだろう、と止めたのを覚えている。

それが経済で、上から下までまわっていくのか、典型的な社会経験を積んだわけではないが、それがとても嘘っぱちに見えるのは体感した。
トリクルダウンで、最下段のグラスまで満たすには、どれだけの量が必要なのだろう。もちろん、どれだえのグラスをセットするかにもよるけれど、倍、倍ではすまない。

天声人語では、トリクルダウンの理論を説明する英国の大学では、「馬とスズメ理論」と言っていたらしい。
「馬に麦をたっぷり与えれば、その排泄物でスズメがおこぼれにあずかるという考え方」なのだそうだ。

果たして、富は滴ることができるのか?
私は、富は一か所にとどまる、という信念を持っている。
つまり、「富は偏在す」である。

金持ちの家に生まれた友人は、ずっと生活をしてきた今もお金持ち、金持ちだったけれど、貧しくなった、という人を知らない。もちろん、生まれたときの環境より、少しはランクが落ちた人もいるかもしれないが、なぜか、常に、デパートでは外商が相手であり、銀行にはいかなくても、銀行員がきてくれる、という状況を保っている。

もし、トリクルダウンは可能、という人は、少なくとも、グラスを組んだ3段目あたりに位置しているのだろう。

円高不況とか、円安だから輸出産業がもうかっている、株価がいくらを割ったから大変だ、などと経済のニュースをみていて、この外貨の高い、安いの観念を理解するのに、ずいぶん年数がかかった。
1ドル100円から105円になったとき、5円の円安、などというのが、どうしても理解できない経済感覚だったのだ。
どちらかといえば、海外旅行には円高が利となるから、円高希望だし、株価が上がろうと下がろうと、なんの影響も感じない、非株主の人間には、どちらかといえば、株安のほうが、それみたことか、と思うものだ。

お金は額に汗して得るもの、一攫千金は狙わない、かけ事はご法度、別荘とお妾はもつものではない、こういったことを祖父は口にしていたらしい。
祖父は私が生まれる前に没していたので、直接、これらの教えを聞いたことはないのだが、我が家は、そういったことに手をだす余裕もなく、ただひたすら地道に働いた。

トリクルダウンの2段目、3段目くらいまで上がってみようという気概もなかったということか。

経済はこういったミクロの論理だけでは動かない。
でも納得のいくマクロ経済論、体感できないのだが、岸田首相の言われる「新資本主義」どうなるのだろうか?
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