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トリクルダウンの嘘

今朝(11月6日)の朝日新聞、天声人語を読んで、久しぶりにウンウンとうなずいた。
「トリクルダウン」のいかがわしさを分析したものだった。

故安倍氏が唱えた経済理論だ。トリクルダウンというのは、シャンペンやワインのグラスを積み上げ、上からそれらの飲み物を注ぎ続けると、上が一杯になれば、下のグラスへと滴り落ちていく。最後には最下段のグラス、つまりは最貧クラスにも飲み物、現実には収入ということになるが、がまわる、という経済理論を言う。

このトリクルダウン、シャンペンで実演されている場面を何度か目にしたことがある。
モナコのカジノか、なにかのパーティの折か、大勢の人が集まる華やかな場であったことは確かだ。
数段にセットされたグラスの一番上の一つからずっと滴り落ちるシャンペン、あるいはワイン、シャンペンの場合は、泡もたって、なかなかショーの効果があった。
その飲み物はフリーというので、最下段まで飲み物が落ちていくのを、大勢の呑み助たちが待っていた。

ただというのに弱い時代で、そこに並ぼうとすると、同行者が、トリクルダウンで高級飲み物を提供するはずがないだろう、と止めたのを覚えている。

それが経済で、上から下までまわっていくのか、典型的な社会経験を積んだわけではないが、それがとても嘘っぱちに見えるのは体感した。
トリクルダウンで、最下段のグラスまで満たすには、どれだけの量が必要なのだろう。もちろん、どれだえのグラスをセットするかにもよるけれど、倍、倍ではすまない。

天声人語では、トリクルダウンの理論を説明する英国の大学では、「馬とスズメ理論」と言っていたらしい。
「馬に麦をたっぷり与えれば、その排泄物でスズメがおこぼれにあずかるという考え方」なのだそうだ。

果たして、富は滴ることができるのか?
私は、富は一か所にとどまる、という信念を持っている。
つまり、「富は偏在す」である。

金持ちの家に生まれた友人は、ずっと生活をしてきた今もお金持ち、金持ちだったけれど、貧しくなった、という人を知らない。もちろん、生まれたときの環境より、少しはランクが落ちた人もいるかもしれないが、なぜか、常に、デパートでは外商が相手であり、銀行にはいかなくても、銀行員がきてくれる、という状況を保っている。

もし、トリクルダウンは可能、という人は、少なくとも、グラスを組んだ3段目あたりに位置しているのだろう。

円高不況とか、円安だから輸出産業がもうかっている、株価がいくらを割ったから大変だ、などと経済のニュースをみていて、この外貨の高い、安いの観念を理解するのに、ずいぶん年数がかかった。
1ドル100円から105円になったとき、5円の円安、などというのが、どうしても理解できない経済感覚だったのだ。
どちらかといえば、海外旅行には円高が利となるから、円高希望だし、株価が上がろうと下がろうと、なんの影響も感じない、非株主の人間には、どちらかといえば、株安のほうが、それみたことか、と思うものだ。

お金は額に汗して得るもの、一攫千金は狙わない、かけ事はご法度、別荘とお妾はもつものではない、こういったことを祖父は口にしていたらしい。
祖父は私が生まれる前に没していたので、直接、これらの教えを聞いたことはないのだが、我が家は、そういったことに手をだす余裕もなく、ただひたすら地道に働いた。

トリクルダウンの2段目、3段目くらいまで上がってみようという気概もなかったということか。

経済はこういったミクロの論理だけでは動かない。
でも納得のいくマクロ経済論、体感できないのだが、岸田首相の言われる「新資本主義」どうなるのだろうか?
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