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ロッキード事件を読みながら

今、ロッキード事件の本を読んでいる。
真山仁著「ロッキード」(文藝春秋、2021)、591ページある大物だ。まだ読み終わっていない。
これを読みながら、以前から、政治、あるいは政治家とお金という、わけのわからない関係を理解しようと思っている。

このルポでは、どうも田中角栄を全否定していない。金権政治家として烙印をおされたまま、公判途中で亡くなった。

日本では、死者を貶めないという美風?があるからか、死んでしまえば、功績ばかりが、功績がなくてもそれらしいものを作って称賛されるけれど、毀誉褒貶の厳しさは、田中角栄の場合は死後も毀誉では毀のみが褒貶では、貶だけがのこったような気がする。

以前の政治の世界、お金の動きがよく取沙汰された。
そんな中での、ニッカとサントリー、という表現もお思い出すが、よくウィスキーの名前が使われていた。
思い出すのは、新聞記者をしていた友人が、田中角栄からは、盆暮れにジョニーウォーカーの黒ラベルが、信濃町の田中邸に出入りする記者全員に配られていたこと、しかし、三木武夫氏にかわると、何も配られないんだ、と言っていたことだ。
ジョニーウォーカーの黒ラベルというのは、当時は最高級のウィスキーで、赤ラベルは見たことがあっても、黒となれば、なかなかお目にかかれない代物だった。
そして、そのとき、だから田中時代はよかった、という、その友人に、それでいいのか?という疑問を抱いた。

田中角栄の事件は、民間機、それも全日空が黎明期で、成長しようとするところへの機種選定にかかわる問題だったことがよく言われるけれど、それとは別に、軍用機の問題が大きかったという。

この本を読んでいると、裏金事件なんて、小さい、小さい、と思ってしまいそうだ。

安倍さんはなぜ、このキックバックをやめようと提案したのだろう?
彼は違法なやり方であることを十分承知の上で、清話会のパーティを主催していたのだろうか?
なんのきっかけがあって、やめようと言い出したのだろうか?
清話会のリーダーとして、やめたくないという意見を受け入れたというのは、どうしてだったのだろうか?
観桜会前夜のパーティの話なども絡めて、全容がわかるまでには、ずいぶん時間がかかるのだろう。
死者に口なし、安倍さんはまた、暗殺されるという劇的な死であったため、毀誉褒貶の誉と褒の部分がアップされがちだ。

ロッキード事件の本も読んでいて、当時の状況を理解できるわけではない。
政界は闇?なんだかわけがわからず、もやもやの時間ばかりが過ぎていく。
政治家用語集というのは、まだ出版されていないのだろうか?
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