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捨てられないもの

亡夫の遺影の前に、2つの赤い小さなボックスがある。
革製、金色のラインがはいっていて、かわいらしい。
そう、指輪のケース、2個ある、つまりは結婚指輪のケースだ。

亡くなった連れ合いとの結婚は遠隔結婚だった。
つれあいが送ってきた結婚届を、私の住居地であったところに提出した。
実際につれあいと合流したのは3か月後であった。
つれあいの赴任地で、最初の土曜日、街に出た。
宝飾店で結婚指輪を買った。

結婚指輪とはフランス語で何というか、知らなかった。結婚はマリアージュ、指輪はバーグ、それならbague de mariage(バーグ・ド・マリアージュ)かと思いきや、allianceアリアンスという。
正式にはanneau d'allianceアノー・ダリアンスというらしい。
つれあいは再婚、2度目の結婚指輪なのだ。

結婚指輪を作ったものの、つれあいはほとんど身につけなかった。
どういう理由かしらない。外国であるから、結婚指輪をつけないほうが異端視されるのに、なぜかつけなかった。強いて理由は聞かなかった。
ときに、その理由をそれとなく聞く、好奇心の異常に強い人もいたけれど、答えをしらないから返事はしない。
つれあいの指輪は、いつしか私の宝飾品と一緒になっていた。

6年前、つれあいは亡くなった。
お棺にはいれなかった。近年、金属はいれられないとかで、眼鏡をダメだった。
私も指輪をはずした。もともと、外出の際にはつけるけれど、庭仕事、畑仕事時には邪魔になるので、つけないことのほうが多かった。

赤い革のケースにそれぞれしまい込んで、引き出しの中にあった。
夫を亡くした妻たちに聞きたかった。おつれあいの指輪はどうなさいましたか?
なかなか聞けることではない。

つれあいに聞きたかった。あなたの最初の結婚指輪はどうしたの?と。
最初の妻が唯一・無二の存在だったの?だから、指輪を身につけなかったの?
今更、知りようのないこと。

結婚指輪について、小説で記憶にある、といえば、「風と共に去りぬ」で、スカーレット・オハラが、義妹のメラニーが南軍の軍資金拠出のために、彼女の結婚指輪を寄付するのにあわせ、自分もはずして寄付してしまう、という場面だ。メラニーの夫アシュリーはまだ生きていて、スカーレットの夫は戦死していた。彼女は未亡人だった。
それをレット・バトラーはメラニーの分だけ買戻し、スカーレットの分は知らんふり。
結婚指輪のエピソードとしては、とても面白い話だ。

ウクライナの戦争で、ロシア産の金が禁輸になっている、という。市場では金の価格が高騰しているのと、量的にも不足しているのだとか。

果たして、結婚指輪は愛の証か、愛の誓いか?

考えてみれば、昔々は結婚指輪などしなかった。
西洋の、基督教の模倣でしかない。
カーテンのわっかでも愛の印といえば、ありがたがった時代もある。
さあ、どうする?

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ちょうどお昼になったころから雪が降ってきた。
最初はひらひら舞うという感じの降り方だったが、すぐにシャワーのように、というかすだれのようにというのか、音もなく、雪が音を吸い込んでしまったように、視覚だけの降り方だ。

たった3日前の大雪、まだその後遺症から抜けていないというのに、また積もりそうな雪降りだ。
普段でも人の動きのない、山の中の家、一軒家ではないけれど、住人のいる家、つまり夜になるとあかりがともり、それが見えるのは一軒しかない、そんな場所では、ひとしお孤独感がわく。

アダモだったか、シャンソンで「雪は降る、あなたはこない。。。。」という歌詞があったけれど、人の気配はない。と書いたところで、郵便屋さんが来た。はがき1枚の配達だ。
うれしい郵便だが、階段に積もった雪を踏まれてしまった。

今降っているこの雪は、なんと呼べばいいのだろう。
「雪」とつく言葉を書き留めたノートをみる。沢内風土記の天牢雪獄の部分からだ、とメモしているが、これが何なのか、調べてはいない。

薄雪、銀雪、小米雪(こごめゆき)、粉雪、細雪(ささめゆき)、粗目雪(ざらめゆき)、残雪、春雪、深雪、新雪、人工雪、根雪、白雪、初冠雪、花弁雪(はながらゆき)、氷雪、風雪、万年雪、夜雪(やせつ)、綿雪、とある。
今、降っている雪はこのなかのどれに当たるだろう。
特別の呼び名などなく、ただの雪なのかもしれない。

これらはきっと土地土地での呼び方、あるいは時代、または文学的呼び名なのだろうか。
ゆき、と呼ぶこともあれば、せつ、と呼ぶのもあるが、その呼び名がさだかでない(私にとって)もある。
細雪は、谷崎潤一郎の作品の名前でもあるが、あの作品に雪の降る場面があったっけ?
先日、写真がない時代、雪の結晶を描いた人の話を読んだ。何か、出版社の月刊出版案内の一冊であったが、雪片などすぐに解けてしまうものを描く、というのは大変な苦労だったろう。

小学生のとき、九州にいたが、雪そのものが降るのが珍しい土地で、雪の結晶をみてみましょう、と先生から言われて、むなしくはしゃいでいたことを思い出す。
今なら、こんなに降り続く中で、結晶を見ることもできるかもしれないが、寒い中、外にでるのもおっくうだ。

マルセイユに住んでいたとき、エックスの学校に通っていた。冬の悪天候でも、オートルートで出かけたが、途中で道路閉鎖となった。一般道路は通行可であったが、ナビのある時代ではなく、オートルートを使う道順しか知らなかった。一般道路の標識で、マルセイユというのをひたすら探しながら走った。
マルセイユのどこに入るのか、マルセイユの町自体を十分知っているとは言えないのに、標識をたよりに、雪道になりそうな道を避けなが走った。まさか、マルセイユで冬タイヤにする、とは考えていなかったのだ。
無事に帰りついたとき、もう疲労困憊だった。

寒冷地に住んでいるから、10月末には冬タイヤに変える。
高速道路に1日以上止められる、そんな異常事態もおきるのだ。
世の中、災難はいつでも思いがけないものだ。
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フランスのストライキ

今朝の海外ニュースを見た。7時からのフランスのニュースは欠かさないようにしている。
またしても鉄道ストがトップで報道されている。
先週は、全国的、全職業できスト、かつdemonstrationが話題だった。

ストライキ、あるいはデモの理由、それは年金改革である。
現行では、フランスの退職年齢が62歳、いずこも長命になって、年金の原資が枯渇しようとしている。
マクロン政権は、年金開始の年齢を、つまりは退職年齢だが、62歳から64歳へ、そして納入期間を42年から43年へと延長しよう、と言い出したのだ。

その昔、年金制度はいくつかに分かれていたが、今は単一の制度になっているのだろうか。
受給の年齢をあげるというのは、そこまで働かざるを得ない、ということにも通じるが、フランスの皆さん、働くことがあまりお好きではない。働くということば、travailler、あるいは労働travailという表現は、古代の奴隷労働につながり、苦役を意味するのだそうだ。
日本のように、労働はよきもの、という意識ではない。
また、一日も早く仕事から解放され、自分の好きなことをする、というのが楽しみで生きてきているから、苦役の期間が延びる、というのは認められない、というのだろう。
年金支給年齢を2歳延ばすとともに、納付期間も42年から43年へと延長される。

先週のデモのすごかったこと。全国で100万人とも120万人ともいわれるデモ、および、全職種にわたるストライキが行われ、マヒ状態になった。
そこには現役の人のみならず、もうとっくに年金生活者とみえる高齢者の姿もあった。
ある高齢女性は、自分はもう受給しているけれど、子供や孫のために参加している、といった。

私はどうも口先人間らしく、いろいろ政治の在り方に一人で苦情、苦言を言っているのだが、参加engagementをしない。
フランスに住む友人は、日本に帰国するたびに、永田町に一人デモをしている、といった。私は彼女よりたびたび東京に行くけれど、永田町周辺には足をはこばない。

このフランスの老婦人は、あのウン万人という人込みをいとわず、デモに参加している。
ある老婦人は、家事手伝い(フランスではいくつもの家庭の家事を時間割で受け持つ)だったが、最低年金を受け取りたいから、といった。最低年金pension minimaleは1200ユーロらしい。日本円にすると16万以上になる。
もちろん、これは納付をきちんとしていなければ受け取れないのだろうが、日本で厚生年金はともかく、国民年金の満額だって、この半分にもならない現実から考えると、うらやましい。

すべての交通機関、病院、学校(先生たち)、国全体がマヒしてしまった先週だった。
今日のテレビでは、鉄道のストを報道していた。利用者の支持もあるのだろうか、報道で見る限り、利用者の不平もラディカルではないようだ。
日本では、全国的大寒波による各種のマヒを報道している。

日本でもこの物価上昇がすさまじい時期に、年金にたよる高齢者の不安は大きい。
しかし、その原因の一つに、年金制度をきちんと理解せず、納入を怠った、あるいは年金の制度の最下層にいた、といった制度の不備の犠牲者でもあるケースが多い。

若いころ、制度にはたよらない(フリーランス的に働いていた)、自分の力で人生を送るのだ、と恰好つけていたが、やっぱり制度にのっかっての生活になった。
国の制度や国民性の違いもあるけれど、フランスの労働者諸君、正当な権利は大声で主張しよう!


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1月23日は電子メールの日

1月23日は電子メールの日、なんだそうだ。
今朝、車のエンジンをかけると、そう言った。
毎朝、というのか一日の最初にエンジンをかけたとき、今日は何日、なんとかの日です、と自動的に流れる。
祝祭日やある程度認知された記念日ならいい。
しかし、えーっと思う記念日もある。

気になったのは1月14日、愛と希望と勇気の日、という。
次に1月20日、玉の輿の日、1月21日、ライバルが手を握る日、そして今日、23日は電子メールの日という。ちなみに22日はカレーの日だった。

一体全体、これはだれが決めたのか、祝祭日を知らないのは無知といわれても仕方ないが、これらは知っておくべき記念日か?一般道路にのりいれても、なんだか頭にこの記念日が残る。

愛と希望と勇気の日、すばらしい日だ。元気がでそうだ。でも元気は出ない。愛、だれから?だれに対して?どのくらい?と疑問が出てくるし、希望に勇気、縁のない生活だ。
玉の輿の日にはびっくりした。今頃、玉の輿、という言葉を知っている若い人はいるだろうか?
逆玉もあるけれど、経済的なもの?社会的身分?どのていどの差をもって玉の輿と称しうるのか?

たとえば、サラダ記念日とか、あるいは2と9を組み合わせて29日は肉の日、なんていうのであれば、一般化しているかもしれない、
しかし、毎日いわれる記念日を、テレビのクイズ番組に出して、どれだけの正解が得られるのだろう。
一体、だれが決めているのか、毎日、それを考える。
この記念日、この車を買ったときから言っているけれど、車種で決まっているのか、自動車会社が決めているのか?
私はこの記念日を、車購入時に選んだのか?もう忘れた。

毎朝、ちょっとした目覚まし行事にはなっているけど、これだけ記念日を思いつくというのも大したものだ。
来年の大学入試試験に雑学の部で出すところはないだろうか?
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割り勘はみっともないですか?

林真理子氏の「女はいつも四十雀」を読んだ。
この本は、彼女がStoryという女性誌に書いていたエッセイをまとめて、単行本にしたものだ。
この雑誌がそもそも、ちょっとリッチな、あるいはリッチになりたいと思う若い女性、ちょっと前まで若かった女性を対象にしたものだ。
だから、書いてある内容が、少しならずスノッブである。
そんな読者を対象にしていることを意識して、林氏は彼女のやり方でずけずけもの申されている。
妥当と思うこともあれば、ちょっと感覚がちがうような(それは私個人の意見なのだが)、と思うことがある。

その一つに、彼女が、食事などのあと、女性たちが割り勘をするのがみっともない、といったことを書かれていることだ。
まず、席でお金を出してやりとりをしている場面、あるいは、出口の支払い場所で、店員を煩わせて一人一人が支払う場面、など、時間をとること、などもあげて、みっともないといわれる。
ああ、そういう場面も昔はあったっけ、と思うが、今はどうなのだろう。

今、高齢者になって、人と会い、食事を共にするとき、割り勘が原則だ。
そして支払いは、それぞれが行う。もちろん、会費制で、会計担当というか、集金する人がいるときは別だが、だいたいが、自分の好きな料理を注文して、それぞれに飲み物をとり、同時に散会という場合は、レジで各自が払う。
以前は、幹事役の人が席でまとめることもあったけれど、それこそ、税金や端数の金額をどうするか、などと、大きな声で話したりで、外からはみっともない場面であったかもしれない。

彼女は、そういうみっともない場面を避けるためには、自分が全額払うこともいとわない、と大変に太っ腹でもある。

そういえば、昔、もう大昔なのかもしれないが、現役で働いているころなどは、食事となると、ほとんど相手が払うものだと思っていた。まだ、経済が右肩上がり、マッチョな時代、そして一緒に食事をする人は、おおむね、年長者、社会的ポジションのある、時として見栄っ張り、経費で落とせそう、高給取り、いくつもの条件が重なって、薄給、独り暮らし、食べることは好き、会話は巧み、といったこちらの条件ともあいまって、またグルメであることが必須条件ともなっていたし、いろんなところでの会食というのがあった。
年を経て、経済は沈みっぱなし、ほとんどの友人が退職者となり、おそらくは年金暮らし、異性よりも同性のほうが気が張らない、ということで、食事はほとんどがランチである。そうなると、メニューがうんぬんより、定額のランチ、あるいはそれぞれに支払い能力にあったところで食べることになる。

どんなに気楽なことだろう。
これには、カードの普及も大きいと思う。
以前はまだ女性の場合、現金で支払うことが多かったけれど、今、主婦だってカードは持っている。
それでそれぞれに決済すれば、あとくされもない。
おごり、おごられる、ということもなくなった。
たまに、デパートでのお茶など、買い物券があるから、などと気前のいい友人がいると、ご馳走様と甘えてしまうけれど、例外ケースだ。

もう高いレストランでの食事に招待する、招待される、ということがなくなった。
ああ、レストラン三国に行きそこなった。一度は行きたかったけれど、あそこはやっぱり招待されるか、招待するレストランだった。
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清く正しく、美しい生活

去年の後半から、急に人生をどう終えましょう、ということを考え始めた。
これまでは、自分より高齢の方の末期を分析し、よりよい生活のための解決方法、などを勝手に設計していたのだが、急に自分の身を考え始めたのだ。

精神面では、なにかしら、指針になりそうな本はあるが、現実の生活の面、あるいは死に方についての詳細、というのはガイドブックが見つからなかった。
ところが、昨年末、「死に方がわからない」(門賀美央子著、双葉社)という本を新聞の読書紹介の中で見つけた。
これは大変に参考になった。当時、死に方を模索していたからだ。

しかし、立ち返ってみると、死に方ももちろんだが、そこにいたるまでの生き方、というのか生き終わり方、も研究しなければならない。
特に、独居老人としては、少ないお金で、人の助け(公助、共助も含め)を得るまで、あるいは得ながら、どう生き終わるか、それも先に解決すべきか?と思うにいたったのである。

村の図書館で見つけた。
1冊は「87歳、古い団地で愉しむひとりの暮らし」(多良美智子著、株式会社すばる舎)であり、もう一冊は、「71歳、年金5万円、あるもので工夫する楽しい節約生活」(紫苑、大和書房)である。
最初の本は、新聞での広告も割と頻繁に出ていて、版を重ねていることは知っていた。
興味はあったけれど、まだ手にとるまでの気持ちになれなかったのだ。
しかし、現実、図書館にあれば話はちがう。すぐに借り出すことにした。

死に方の本もそうがだ、生き方の本も、それぞれにブログから本になおされたようだ。
多良氏はプロのライターだが、生き方本はアマチュアのブロガーというのだろう。

本になるほどだから、彼女らの生き方は見事だ。
特に年金5万円で生活している紫苑さん、まだ信じられない。

まあ、月5万円で生活というのは、だれにもできることではない。
両人ともに、大変工夫をされている。そして、その工夫を苦労とは思わない精神の潔さ、がおありになる。
紫苑さんは最後に「老後に必要なのはお金ばかりではない」と締めくくっている。
おっしゃる通り、でも、今月の灯油の代金は3万6000円だった、と私はつぶやく。
節エネルギーは心掛けても、寒冷地は健康維持に、どうしても暖房は欠かせない。

87歳の多良さん、「できることは自分で。でも、頼れるところはありがたく頼って」といくつかのサービスを受けていらっしゃる。
思えば、2年前に亡くなられた90歳をすぎた女性も、お一人暮らしだったけれど、最後の1年のお付き合いのなかで、極めて効果的に公助を使い、公助にはならないところを、私的な関係のなかで、自立を続ける努力をされていた。

実際にそういう方の生活をみれば、清く、正しく、美しく、の生活だった。
不正は働かないが、清い生活と言えるだろうか?雑然とした、紙ばかりあふれた机まわり、動かせば読む順番がわからなくなる、と本の山が2つ、3つ、整理整頓されているとはいえず、メモも散在、食事となると、それらを崩れぬように、動かして、食卓にする。とても美しいとは言えない。
物事もシンプルに、という両氏の説はごもっとも、しかし、年取ったウェルテルも悩みます。

87歳の本の後ろには、「74歳、ないのはお金だけ。あとは全部そろってる」(牧師 ミツコ)、「死ぬまで、働く」(97歳・現役看護師)という本の広告もある。
それぞれに版を重ねて、ベストセラーにもなっているという。

悩む人間、我一人にあらず、悩みは多種多様、本の数も限りがないようだ。

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家庭菜園は楽にできるか?

今年初出の週刊誌を読んでいた。発行は去年だったのかもしれない。
行きつけの整骨院で、もう読む人いないからいいわよ、と言われ、借りてきたものだ。

ある政治学者のエッセイを読んで、ちょっと頭にきた。
人生の楽しみ方、それも今を楽しむ方法について書いてある。
そこの一部に、自宅の菜園で土いじりをすることが楽しみだ、とある。今の季節は大根やミズナなど、6,7種類を育てている、という。レモンも育てていて、収穫にいたったとのことだ。

自宅に菜園を設けることができる人は少ない。特に都会では難しいだろうし、ベランダ菜園というのは土で楽しむにはほど遠い。
そういう人には、郊外にちょっとした菜園を借りることができます、という。そして月に1,2度通って世話をすればよく、買ってきた苗でもあまり苦労しないで育ちますよ、とのこと。
そして、菜園はやろうと思えばだれでもできます、ということばもある。

そうだろうか?疑問はいくつもある。
まず菜園、そんなに思い通りに借りられるのだろうか?
月に1,2度通って世話するくらいで、野菜作りができるのだろうか?
買ってきた苗であまり苦労しないで育つのだろうか?買ってくる苗は、成長率というのは高い。それなりの遺伝子操作もされているらしく、虫や異常天候にも耐性があるように作られている。しかし、そんなに簡単にいえることではない。

私は、都市部の借り家庭菜園ではなく、別荘地でやったことがある。
広さの単位も違うだろうが、それはそれは大変だった。
せっかくの家庭農園だから無農薬を心掛け、虫よけの消毒も最小限を心掛けた。
いやはや、雑草がすごい。最初は野菜の芽のように、かわいい、新緑ででてくる。
かわいいのはそのころだけだ。あっというまに成長する。なにかの野菜かしら?なんて言っていると、次に畑にいくと、居座ったやくざだ。

雨が降り続けば根腐れ、足りなければ枯れる。週末農家では足りない。やっぱり毎日一度は手入れする必要がある。
月に1,2回、それで済むなんて信じられない!!!

と、この政治学者の意見に反論したいのだが、そんなの読み流すもんだよ、と友人からは言われた。
そうなのかもしれない。
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おかえりなさい、別府さん

昨日の朝8時、いつものようにBS1のキャッチ世界のトップニュースをみていた。
おや、キャスターが違う、と思ったら、別府さんであった。
知人でもなんでもない。一方的に知っているだけだ。
しかし、別府さんと呼びたくなる親近感をもっている。

なぜか?それは彼が南アフリカの特派員をしていたからだ。
ずいぶん長い間、アフリカにいたように思う。
南アフリカなら、おそらくヨハネスブルグに支局があったのだろうが、どうもサハラ以南のアフリカ全体を担当していたような気がする。
マグレブ3国、エジプトは担当外だったようだが、大西洋側、内陸部、太平洋側、の広大なアフリカ大陸を今日は東で、明日は西、あさっては真ん中のジャングルから、というように、東奔西走していた。

そして、去年はあっと驚いた。
ウクライナにきていた。ロシアの攻撃が始まって、ウクライナの人たちがポーランドをはじめ、近隣の国々へ避難を始めた。その報道に別府さんの顔が写ったのだ。
まだ3月、ウクライナは寒い、アフリカから転勤したのか?と思った。暑い(アフリカといえばすぐに暑いと思うが、南アは違うのだが)アフリカからウクライナへ、まあ気候も違って大変なこと、と思ったが、ああ、応援にはいったのかもしれない、と察した。

彼は落ち着いた語り口がいい。ゆっくり、文章をほどよく区切ってルポをする。
言葉をいい加減に切る、日本の現首相に教授してほしいと思うほどだ。
変にドラマティックにしない。ゆっくり加減だけれど、決して間延びすることはなく、高齢者にも聞き取れる速さである。

このまま、ウクライナ応援をするのかな?と思っていたら、チュニジアでのTICADにはきちんとアフリカ駐在の記者として報道している。
よしよし、アフリカに戻ったのか、と安心もする。

アフリカの報道については、記者によって、定型の知識でまとめられたものが多いことがある。
いつも、ちょっと違う、という違和感をもつことが多いのだが、別府さんの場合、ちゃんとわかっているな、と納得いくことが多いのだ。

キャッチ世界のトップニュースは、キャスターに外信部(NHKは外報部だったっけ?)の記者がなるようだ。ここのキャスターをして、外国の支局長、そして本社に戻って論説委員、といったコースをたどるようにみえるが、別府さんもこれでいきそうな気がする。

ワシントンやロンドン、北京といった重要ポストを経験しているのかどうか、は知らないが、彼のジャーナリストとしての感覚の鋭さをしてみれば、またその表現力をみて、これからNHKのニュースが楽しみだ。

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大学入学共通テスト

この土・日に全国で、大学入学共通テストが実施された。
え、センター試験じゃないの?とか共通一次試験というんじゃないの?という質問をしたくなる。
日本のバカロレアであることは違いないだろうが、名前と内容も変わってきたらしい。

土曜日の試験問題と正解は日曜日の新聞に、日曜日の分は、今日月曜日に掲載されている。
一応切り抜いた。切り抜くといっても、今日の分で15ページから32ページまで、新聞の半分はテストだ。

昔はやってみた。どこまでできるか、チャレンジしてみていた。
今はもうやらない。もう字が小さすぎて、頭痛がする。

それでも切り取ったのは、パリの父親に見せるためだ。
といっても、彼ももうあっちの世界なので、ただ、彼の写真の前にお供えするだけだ。

彼の生存中、96才でなくなったが、90才になるまでくらいだったか、彼の注文で、この日本版バカロレア、そして東京大学の入試の問題を、英語と数学に限ってなのだが、彼に送ったり、フランスに渡航するとき持参したりした。

彼はフランスのグランド・ゼコール、大学校と訳されるが、その一つ、超難関の理系の学校、エコール・ポリテクニクを卒業していた。それも首席で入学、卒業だったのだそうだ。
数学は大得意、歳はとっても、日本の大学程度はできるはずだ、と、日本の入学試験の程度をみたいという好奇心もあったようだ。

さすがに東大の試験は難しいんじゃない?というと、ポリテクニクと東大では比較にならない、日本には比較できる学校がない、という。
彼の意見では、東京大学は難関かもしれないが、年に数千人が入学する。かたやポリテクニクは数百人にすぎない、難度が違う、というのだ。
劣等生で、東京大学の入試など、みたくもない私としては反論の余地はない。

彼がこれらの問題を解いた(解けた?)かは知らないが、10年以上、送り続けたのを思い出す。

この父のように、向学心、というのか向上心?チャレンジ精神?に富んだ人に、義兄がいる。
彼自身は東大卒なのだが、常に、学ぶ気持ちを失わない人で、これらの日本の大学試験ももちろんだが、フランスのバカロレアの問題にも取り組んでいた。

今、リスキリングという言葉がよく出てくる。リは再び、スキリングはスキルをアップするというような意味らしい。

私は一度トライした。働きながら、大学の通信部で学ぼう、と思ったのだ。
当時、白金に住んでいたので、通信学部の夏季講習に行きやすい慶応大学を選んだ。
慶応大学に正規に入学しようとすれば、それこそ入学試験を受けて、合格しなければならない。
しかし、通信であれば、まず入学はできるのだ。
慶応大学ではない、別の大学で文学部であったから、次に学ぶには法学部か経済学部、と望みを高く、経済学部を選んだ。
マクロだ、ミクロだというその違いを知りたいと思ったのだ。

まあ、いい加減な熱意だった。夏期講習か、語学の試験だったか、近いがゆえの油断で、時間を間違い、あわてて大学へいったけれど、入室を許されなかった。
がっくりきた。熱意を失った。もともと持っていなかったようだ。
それでやめた。

意欲が湧き出ることもある。
日仏学院の通信教育、立教大学の第三世代大学?(Universite du troisieme age)、いわゆる老人大学、資料を取り寄せたこともある。
しかし、結局は実現させなかった。

この大学入学共通テスト、ちょっと若返るチャンスでもある。
これをトライして、半分でもできたら、1年間、真剣に勉強して、テストにトライ、大学受験までしてみよう、という夢もみる。
枕の下に、数日間敷いて寝てみよう。
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新成人に贈ることば

いつからだったろうか、成人の日が移動祝日になり、1月の第二月曜日にかわった。
そして、今年は、法律の改正で、成人が18才ということになり、その適用初年で、20,19,18歳が同時に成年となる。
成人ではあるが、今年は20才だけを成人の日と呼ぶのだとか?あるいは大人の日とした、などとそれぞれの主催者団体で、やり方が違っていたようだ。

20才は1月、19才は2月、18才は3月にお祝いをするという。
18才は社会人もいるだろうが、だいたいが高校生で受験があるから、1月はとてもできない、3月であれば、進路が決まっているだろうから、といった配慮がゆえのことらしい。

まあ、今年の成人式、これはメディアで報道されている部分だから、いやが上にも強調されているのだろうが、式に参加する若人、女性は大振袖、男性も和装と、派手派手しい。
ママ振袖とかで、母親が着た振袖を今風にアレンジしてきている人も相当数いる、という話であったけれど、ほとんどが貸衣装だとか。
一生に一度のことだから、それはそうだろう、その年齢は一生に一度しかない。大振袖を着る機会はあとは結婚式の披露宴か?
貸衣装の費用は30万円以上はするらしい。
本人が払うことはないだろう。親が払うのか?なんという無駄な出費と、思わないでもない。

ところで、親族内ではないけれど、知人の中に、今年成人式という娘がいた。
日頃、会うわけではないが、生まれたときから知っている。戸籍外の孫とも思う子だ。
お祝いをした。

お礼がメールできた。
これからの生き方に助言を、という。
お祝いの中に手紙をいれておいた。それに、一応、これからの生活の基本的な助言は書いていた。
つまり、成人というのは、社会的責任を負うこと、親の束縛は受けなくてもよくなるだろうが、それに伴っての責任は自分自身で負うことになるから、心せよ、という抽象的な助言である。

彼女は私のことを、成功した人間だと思っている。
だから、そういう成功への道を歩むにはどうしたらいいか?と聞いているらしい。

後期高齢者の私には答えるすべはない。世界観、人生観、大変化を遂げている。
私の時代はがむしゃらに生きた。社会が貧しい中にあって、助け合いもあったが、自助努力というのが一番大切だった。菅前首相のいう、自助、共助、公助で、公助というのはほとんどなかった時代である。
今の社会的不公平は、本当に救いがない、ようにも思うが、私の若いころも、格差というのは厳然と存在していた。

みんな、それぞれに頑張った。社会も右肩あがりで、それも幸いした。

しかし、今、やっぱり頑張る人もいて、しかし、その頑張りが実に結びつかないのだという。そして疲れて努力をあきらめる人たちが多数を占めるようになり、またそれが是認されるようになった。
がんばらなくていい、と言われると、私は背中が寒くなる。
がんばらなくて、それで解決するのか?他の方法があるのか?
頑張った世代の感じ方だ。

20才だと、もう学業も終盤戦、これまでをがんばってきたのだろう。その学業で実社会にすぐに力が発揮できるわけではない。

私は時に、私より年長の、曽野綾子氏、佐藤愛子氏、あるいは今すぐに名前がでないが、先人たちの人生訓を読んだりするが、できる人たちの、成果を享受している、余裕ある発言だな、と思う。
人生かく生きるべき、他人をうらやむな、ただのものをもらうな、いろいろ言われていて、それはすべて正しいと感じるが、そんなにうまくはいかない、と思ったりだ。

その子は、もう子ではない、その成人は、近々我が家にきて、しばらく滞在したいという。
人生、後期高齢者となって、あがいた時代もなつかしく思えるようになった。そんな人生の過ごし方を実際に一緒の時間をすごすことで、彼女が感じ、批判するもよし、参考にするもよし、としたい。
だから、贈ることばなどはない。
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