SSブログ

新成人に贈ることば

いつからだったろうか、成人の日が移動祝日になり、1月の第二月曜日にかわった。
そして、今年は、法律の改正で、成人が18才ということになり、その適用初年で、20,19,18歳が同時に成年となる。
成人ではあるが、今年は20才だけを成人の日と呼ぶのだとか?あるいは大人の日とした、などとそれぞれの主催者団体で、やり方が違っていたようだ。

20才は1月、19才は2月、18才は3月にお祝いをするという。
18才は社会人もいるだろうが、だいたいが高校生で受験があるから、1月はとてもできない、3月であれば、進路が決まっているだろうから、といった配慮がゆえのことらしい。

まあ、今年の成人式、これはメディアで報道されている部分だから、いやが上にも強調されているのだろうが、式に参加する若人、女性は大振袖、男性も和装と、派手派手しい。
ママ振袖とかで、母親が着た振袖を今風にアレンジしてきている人も相当数いる、という話であったけれど、ほとんどが貸衣装だとか。
一生に一度のことだから、それはそうだろう、その年齢は一生に一度しかない。大振袖を着る機会はあとは結婚式の披露宴か?
貸衣装の費用は30万円以上はするらしい。
本人が払うことはないだろう。親が払うのか?なんという無駄な出費と、思わないでもない。

ところで、親族内ではないけれど、知人の中に、今年成人式という娘がいた。
日頃、会うわけではないが、生まれたときから知っている。戸籍外の孫とも思う子だ。
お祝いをした。

お礼がメールできた。
これからの生き方に助言を、という。
お祝いの中に手紙をいれておいた。それに、一応、これからの生活の基本的な助言は書いていた。
つまり、成人というのは、社会的責任を負うこと、親の束縛は受けなくてもよくなるだろうが、それに伴っての責任は自分自身で負うことになるから、心せよ、という抽象的な助言である。

彼女は私のことを、成功した人間だと思っている。
だから、そういう成功への道を歩むにはどうしたらいいか?と聞いているらしい。

後期高齢者の私には答えるすべはない。世界観、人生観、大変化を遂げている。
私の時代はがむしゃらに生きた。社会が貧しい中にあって、助け合いもあったが、自助努力というのが一番大切だった。菅前首相のいう、自助、共助、公助で、公助というのはほとんどなかった時代である。
今の社会的不公平は、本当に救いがない、ようにも思うが、私の若いころも、格差というのは厳然と存在していた。

みんな、それぞれに頑張った。社会も右肩あがりで、それも幸いした。

しかし、今、やっぱり頑張る人もいて、しかし、その頑張りが実に結びつかないのだという。そして疲れて努力をあきらめる人たちが多数を占めるようになり、またそれが是認されるようになった。
がんばらなくていい、と言われると、私は背中が寒くなる。
がんばらなくて、それで解決するのか?他の方法があるのか?
頑張った世代の感じ方だ。

20才だと、もう学業も終盤戦、これまでをがんばってきたのだろう。その学業で実社会にすぐに力が発揮できるわけではない。

私は時に、私より年長の、曽野綾子氏、佐藤愛子氏、あるいは今すぐに名前がでないが、先人たちの人生訓を読んだりするが、できる人たちの、成果を享受している、余裕ある発言だな、と思う。
人生かく生きるべき、他人をうらやむな、ただのものをもらうな、いろいろ言われていて、それはすべて正しいと感じるが、そんなにうまくはいかない、と思ったりだ。

その子は、もう子ではない、その成人は、近々我が家にきて、しばらく滞在したいという。
人生、後期高齢者となって、あがいた時代もなつかしく思えるようになった。そんな人生の過ごし方を実際に一緒の時間をすごすことで、彼女が感じ、批判するもよし、参考にするもよし、としたい。
だから、贈ることばなどはない。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。