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IVG(Interruption volontaire de grossesse) :人口妊娠中絶

今朝、海外のニュースをみていて、フランス2の放送で、IVGが憲法に記載される、ということを知った。
決定事項ではないけれど、マクロン大統領がSNSに投稿しているのだそうだ。
フランスでは、憲法改正は手続きさえ踏めば、わりと簡単だ。それは日本に比べれば、ということでもあるが。
最終的な手続きは、その憲法改正部分が両院合同議会にかけられて多数を得るか、あるいは国民投票に付される、その結果、多数を得られれば改正されるというわけだ。

その手続きうんぬんより、人工妊娠中絶、が憲法に記載される、ということに驚きだった。

フランスでは、カトリック信者が多数を占める国として、長く、人工中絶は禁じられていたけれど、1975年、時の厚生大臣、シモーヌ・ヴェイユの尽力のもと、5年の時限で人工中絶を認める法律が成立、そして1979年に最終的に成立した経緯がある。
当時は妊娠後10週目まで、その後、12週、と延ばされ、今、何週までなのか、フォローしていない。

中絶手術のほかに、医薬品による中絶も認められていて、本来なら避妊薬であるものを、事後に服用すれば避妊が可能であることから翌日服用ピルなどと呼ばれている。

しかし、カトリックが主流であるフランスでは、人工中絶にも根強い反対があり、中絶は殺人である、と主張する人々も無視できない勢力であった。

その後、どういう経緯で、この人工中絶が憲法に書き込まれることになったのか、ニュースをフォローしなければならないが、憲法の条項になる、ということは、そう軽々しく訂正、あるいは取り消しができなくなるわけだ。

私自身は、この問題に自分をさらすことはなかった。
女性運動に関与しながら、本来であれば、逃れることのできない問題であるにもかかわらず、距離を置いたままだった。
フランスの親からは、中絶は殺人と言われ、そうかもしれない、と思う一方、それでは、その殺人は、女性だけが負う罪なのか、と反発していた。

生命という問題、あるいは人権という問題、いくつもの問題をはらむ人工中絶、これはLGBTの問題や、日本の憲法の”結婚は両性の合意においてのみ”の両性の意味することを変更するか、解釈を広げるか、そういった複雑な問題の一つなのだ。

もっとこの問題を調べなければ、と心した朝だった。
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イスラエルとパレスチナ

またイスラエルとパレスチナの間で戦闘が行われた。
またか、という思いとともに、どちらに正義があるのかわからない、というもどかしい思いが起きる。
今回はハマスから攻撃を仕掛けている。攻撃をするにいたった原因、なんなのだろう。
そういう長い、深いことについては、メディアも報道していないのでわからない。

もう相当昔になるが、若いころ、一度イスラエルに行ったことがある。
当時は少し冒険っぽいことが好きで、まずはエジプトを一人で旅行したのだが、陸路でイスラエルに入れるという情報を得て、歴史上にも、時事的にも話題満載のシナイ半島を横切り、スエズ運河を渡り、そしてイスラエルに入るというコースをとった。

このルートにはバス便があり、カイロでそのバス会社を探すのも一仕事であったが、定期運行のバスチケットを予約した。
当時、7,8時間はかかってような記憶がある。
シナイ半島のどこかが国境で、いったんバスを降りて、イスラエル入国手続きをする。そのとき、パスポートに入国のスタンプは押されない。別の用紙に押されるのだ。
これは、イスラエル入国の記録がパスポートに残ると、アラブ系の国々での入国が拒否される、という現実によるものだった。
これが一つの現実チェックだあった。

そしてあとでわかったことだが、イスラエル行のバスは、イスラエルの会社経営のものであった。とても設備の整った、つまり冷房がきき、トイレもついていた。条件のいい方のバスをまず使った、ということで、帰りはさんざんだった。

国境のチェックをする建物も、エジプト側は粗末、そしてイスラエル側は冷房のきいた、コンクリートのしっかりした建物であった。

そういうわけで、国境以前に、そして国境で、この2国の違いというのを見せつけられた。
双方の事情にうとい私にとっては、イスラエル側が好ましく映ったことは当然かもしれない。

スエズ運河は、バス自体がフェリーに乗せられて、すんなり渡った。
これがスエズ運河だ、とドラマチックに、歴史を思い出し、幾多のエピソード(たいして詳しくもないのに)を紐解き、一人、感激していた。
女の一人というのは私だけで、ちょっと奇異にみられていたかもしれない。

そのあとの行程はよく思い出さないが、いつしか、テルアビブにはいり、バスセンターみたいなところで終了であった。
おそらくホテルはそのセンターにあるインフォメーションで紹介されたのだと思う。
海岸際にある中級のホテル、という記憶があるが、シーツがとても古かったことを今でも覚えている。
不潔というのではない。洗濯され、糊もきいているのだが、なにせ繊維が古い印象があった。
そして、幾多の開発途上国旅行を経験して、それは国の貧しさを、そしてイスラエルが戦争状態のままであることを表していること、それに気づいたのだ。

テルアビブから観光バスに乗車して、国内観光をした。
その観光バスはすばらしい設備で、心地よかった。
ガイドは中年の男性、硬い英語を話した。硬い英語で、二言目にはアラブをけなした。
当時、私は世界情勢に感心はあったけれど、このイスラエル旅行は、第二次戦争当時、虐げられたユダヤ人が建国した、という歴史だけを確認したくてきたのだった。
それまでに見た映画は、イスラエル建国の苦労や国民の努力など、イスラエル側にたったものばかりで、このガイドさんの説明にも、すこし違和感は覚えつつ、自分のもつ知識を確認するおもいだった。
また同乗者たちは、世界各地からのユダヤ人で、特にアメリカ人が多かった。
だから、バスの空気はプロユダヤで満ちていた。

パレスチナという固有名詞や知っていても、当時は、イスラエルに反抗する存在、イスラエルを受け入れない悪人だった。

テルアビブからエルサレムに移ると、この国がどういうふうになっているのか、わけがわからなくなった。
旧市街の入り口近くにある近代的なホテルに宿泊しよう、とはいると、それはそれは豪華で、フロントの黒服の男性は、とてもにこやかに迎えてくれた。宿泊費をきくと、1泊100ドル(正確ではないが)と言われる。とんでもない金額だ。
あとで知ったが、このホテル、ユダヤ系アメリカ人が顧客のホテル、宿泊が高額なことも当然だった。
それでも、この黒服さん、とても親切に、旧市街の中に、宗教団体(カトリック)が宿泊施設を持っている、と教えてくれた。

エルサレムの不思議は、この宿泊先でも感じた。
ガイドブックで、この旧市街、宗教の巣窟(決して適切な表現ではない)だ。
キリスト生誕(それは近くのベツレヘムだが)、死亡の地であるというので、基督教の団体、とくにカトリックと東方教会、そしてユダヤ教徒の聖地であり、またイスラム教徒にとっても同様である。
私が泊まった女性信者のドメトリーは、イスラム教の勢力地区にあり、早朝から拡声器でお祈りが唱えられていた。
教会では、朝7時にミサの鐘が鳴らされた。
嘆きの壁の上は、金色のモスクがあり、キリストが十字架を背負って歩かれた道路の両脇は、アラブ人経営のお土産屋さんが並んでいた。

混沌、この言葉がぴったりの町だった。

テルアビブあたりで、あれほどパレスチナ人を制限しているのに、ここではどうしてパレスチナ人がこんなに多くいて、商売もできるのだろう、と不思議で仕方なかった。

死海やその他、いろいろな旧跡をたどるかたわらには、貧しいパレスチナの人々の家と、入植したユダヤ人のぴかぴかした新築の家がみえた。

エジプトへの帰路のバスは、エジプトの会社のもので、8時間の長距離を乗るにはお粗末、空調もなく、シナイの砂漠のなかで、窓を開けられないし長時間をトイレなしで乗らなければならない、悲劇直前の旅行となった。
往路が快適だったので、帰路も当然、そうだと思いこんだ、経験値のうすさが身にしみた。


矛盾を矛盾とわかるのは、エジプトに戻り、日本に帰国したあとのことだったが、その矛盾がいまなお、イスラエルとアラブの対立、救われないパレスチナの存在、その疑問はいまでも解明されない。

今回の紛争、まだ戦争とまで呼ばれてはいないようだが、どうなるのか、どれだけの犠牲者がでるのか、もう胸が痛い。
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巧言令色鮮し仁、首相の施策にみる

岸田首相、就任2年が終了、3年目にはいったとのことだ。
就任時、”聞く力”を強調されたけれど、発言の能力については言及がなかった。
さもありなん、である、彼の発言のひどいこと、巧言はあっても、仁がみられない、仁というか、真実が感じられないのだ。
またその発言テクニックのみじめなこと、発言内容についてはライターがいるだろうけれど、発言の仕方については、アドヴァイザーはいないのだろうか。

記者会見においても、その発言は、記者質問に対する答弁においても、おそらくは準備されたもののはずなのだが、口ごもり、目は空を泳ぎ、一つの文章を一呼吸で言い終わることができない。長文でもない、とても切り取りがされている文章なのにだ。
”そして”の多様、なにか、中学生の作文を聞かされているような気分になる。

キャッチフレーズの幼さは、彼の幼さなのか、ライターの幼さなのか、発想が単純すぎる。
言葉というのは、きれいであればいい、というものではない。
たとえば、”今日よりよい明日を迎えられるように”、というフレーズ、この基本には、昨日より今日はどうにかよかった、だからもっといい明日にしよう、という意思があるはずなのだが、昨日よりいい今日を迎えられたという実感のある人はどれだけいたのだろう。
明日という未来に期待を、夢を、ということだろうが、今日を無事に終えることができるかどうか、不安の中にいる人にとって、空事に感じられる。

物価上昇以上の賃上げを、というフレーズについても、賃上げに与れない人々を無視している。
賃金を得られない、つまり働いていない人間の存在を無視している感じが強くでてくるのだ。
賃金を得ている人にしても、今回、最低賃金(県別)がアップしたけれど、その額の少ないこと、全国一律ではなく、県別であり、満足のいくアップとはいえない。

耳にやさしい言葉であれば、受け手も喜ぶとでも思っているのか?と思うのは、「幸齢社会」である。
高齢の高を幸いに置き換え、高齢でも幸せに過ごせるように、という意図は伝わる。
ただ、そんなに漢字一つを置き換えただけで、どうにかなる、という問題ではない。
その実現会議はオレンジチーム、で認知症施策推進5か年計画を策定、それはオレンジプランと呼ばれるらしい。
そうか、色できたのか?
高齢者にふさわしい色は何か?いろいろ考えたのだろう。
オレンジ、なんだか若向きの色だが、ピンクというわけにはいかないし、ブルー、グリーン、レッド、ヴァイオレット、外国語でいろいろ検討したのだろう。
具合が悪いと、日本語や漢字より、外国語やイニシアルを使うのは常套手段だ。

認知症という言葉そのものがようやく浸透してきたけれど、ボケと言われるほうが症状がわかるような気がする。何でもオブラートにつつみ、はっきりしないように表現することで、物事は深刻さを隠すことができる。

その昔、ドゴール大統領(彼は将軍と呼ばれることを好んだが)の演説集というレコードをテープにダビングして、気持ちが滅入ったときの励みにしたものだ。
当時はゴーストライターなどいたのだろうか?
あるいは、ケネディ大統領の就任演説、あの力強さ、心ひきつけられる言葉、そんな演説を聞かせてくれる政治家は、日本に生まれないのだろうか。アジだけの政治家はご免だが。

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