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私の小公女

あけましておめでとうございます。

この年末年始は、思いもよらず、楽しいものだった。
孫はきてよし、帰って良しというが、孫でもない小一の女の子がきてくれたのだ。
なんとたのしい年末年始になったことか。

つれあいが亡くなり、一人きりのお正月に慣れてはいた。一人もまたよし、という心境でもある。
しかし、人のいるぬくもりを忘れてはいない。

この子は、小一、1月生まれなのでまだ6歳だ。
以前、この別荘地に短期間住んでいた。そのときに知ったのだが、当時は幼稚園生、我が家の前が通園バスにのるための通り道だった。
ある日、幼稚園からの帰路に話しかけ、それから、平日は毎日、おはよう、おかえり、の会話をするのが楽しみだったけれど、引っ越していったのだ。

このお正月休みは、祖父母とともに母と子2人で来るという。
さあ、どのくらい私との時間がとれるのか?もうドキドキして待った。

30日に到着、その日のランチはみんなで一緒にとった。
その帰り、この子だけ我が家により、いつものお遊びをすることになった。
いつものお遊び、それは百人一首での坊主めくり、それにトランプだ。
1対1での遊びだから、勝負はわかりやすい。駆け引きはあまりできない。
小一の子と後期高齢者の私、まだ私にいくらかの有利さがあるけれど、彼女も少しずつ駆け引きを覚えてきている。
中途でたっぷりカードをため込んでも、坊主札がでれば一発ゼロとなる。ギャ、とかキャーといった悲鳴をもし通りがかりの人が聞けば、幼児虐待を疑うかもしれない。

31日は午後、お菓子作りに来た。マドレーヌを作るのだ。
5人家族の彼女は、すでに留守番をしている父親、長姉の好みを聞いてきている。
一緒にきている祖父母、母、次姉の好みも調査させ、注文票を完成させる。
もう数回、我が家で一緒にマドレーヌ作りをしているので、手慣れた部分、そして、まだまだという部分がある。この年齢の子はまだ握力がついていないのか、粉を振ったり、練り合わせをする、といった作業がとろい。
マドレーヌが焼きあがって、袋詰め、そしてトッピングで誰のもの、と名前のタグを貼っていく。
一人2個あて、製造者の権利は主張できない。彼女も2個だ。
焼き上げたマドレーヌのほとんどをもって、意気揚々とかえっていった。

さて元旦、なんで我が家に引き寄せようか。
ピアノの初演奏を持ちかける。グランドピアノの蓋をあけて、がんがん弾こうと誘う。
本人はピアノを習っているけれど、そう好きでもなさそうだ。が、祖父がのった。彼は80才をすぎてもなおピアノを習っていて、毎日練習を欠かさないという。
祖父母と母親、小一の女の子、4人で午後にきた。
弾き初めの一番手になったが、あまり乗り気ではないため、あっという間に演奏が終了する。
ピアノはもう口実だったので、あとは祖父母に母親もいれて、5人での坊主めくりだ。
この遊びを知らない祖父に説明している。
まずは実践とばかり、坊主めくりがスタートする。
いつもは私と二人だけでの勝負だが、5人となるとまた違う。

毎日、なんで引き寄せようかと私は考える。
2日は書初めを提案した。この子は書初めを知らない。しかし、母親が乗った。
子供にとって、なにかしら、初めての体験をする、というのはすばらしいことだ。
そして、その初めてというのが、ほとんどに当てはまる。若ければ若いほど、初の体験となる。
こっちにすれば、もしかしたら、最後の体験にいなるかも、というのと正反対の位置にある。
なにをするのかわからないまま、それでも私の家にこれるから、という楽しみもあるのか、元気に表れた。
まだ小一では、お習字の時間はなく、筆をもつのも初めだ。

もう15年以上、筆をもっていない。処分しようと思いながら、未練たらしく残しておいた書道の道具の中から、初心者にも使える筆を出す。
紙は普通の半紙だ。色紙も短冊も新しものが残っているけれど、まだ様子をみてからのこと。
座卓がないので、ふつうにテーブルとイスでしたが、小一の子にはちょっと高かった。

何を書きたい?知っている漢字から選ぶ?と問うと、小さいを書きたいという。小という漢字を覚えたのだそうだ。大は?と聞くと、知っているという。じゃあ、大きい、小さい、と書きましょうね、とする。
あとで考えてみると、大小、と書かせてもよかったし、中という字も知っているというから、大中小と書いてもよかったのだが、まず、小さい、と書きたいということに気をとられた。
なんだか、書初めらしい言葉ではないけれど、と思うけれど、書きたいという字を書かせるのが一番だ。

朱墨でお手本をかき、それなりにコツを教え、筆に墨汁ではあるが、墨を含ませる具合を教え、半紙は処分したいほどためていたので、何枚も書かせる。

その昔、私がこの子の年齢のころは、同じ紙に何度も書いて、新聞紙にも書いたし、こんなに書き放題とはいかなかった、と回想する。最後の一枚に名前を書き込ませ、私の印でも押してあげよう、と思っていたのだが、印をおすのは忘れた。

この書初め、大変楽しかったという。
こういうふうに、なにもかもが初めての体験、なんと素晴らしいことだ。

彼女が我が家にくると、100%彼女のために時間を使う。それは返してみれば、彼女も私のために100%時間を使っている。
こうして、この年末年始の4日間、私は孤独どころか、楽しくて、刺激的で、愛情あふれる時間をすごすことができた。
こんな年末年始はこれまでにもなかったし、これからもなさそうだ。

2023年、明るい始まりだった。


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