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1999年の大みそか

今日は12月31日、静かな、寒い一日をすごしている。
日中は、小学1年生の児童がきていた。二人してマドレーヌを作るためだ。
もう何度かマドレーヌ作りは経験し、母親から別のお菓子作りは教わっているので、手慣れたものだ、といいたいが、こちらは人と働くことがないので、共同作業で神経をつかう。

その子をお迎えにきた母親からは、一人用のおせちが差し入れされた。
今日は特別に、このおせちでいっぱいやるか、と思いながら、1999年、つまり2000年になろうとする大みそかを思い出した。

その時は、つれあいとともにアフリカの某国にいた。
2000年問題といって、数字が一挙に変わるため、コンピューターが誤作動するかもしれない、ということが全世界で言われ、またここはアフリカ、何がおきるかわからない。コンピュータが動かくなって、全国的に停電し、そのときを狙って、国中で暴動がおきる、とか反政府軍がもう配置についている、などといった、いわば流言飛語であるが、実にアフリカでは起こりそうなことが言われていた。

そういう不安というか、不確定材料があるから、この年末・年始は休暇をとらず、任地に残る、というつれあいの意思に基づき、年越しの準備をした。

しかし、12月31日は任地国の某大臣の私邸で、外交団も含めた年越しパーティが行われる、という招待をいただいた。
行っていいものか、いけないものなのか、夫人仲間で情報を仕入れると、クリスマスから年末年始にかけて、この地に残っている外交団のほとんどが参加するのだという。
ご招待だけれど、各自、自国の料理をご持参いただければ、ということで、私は太巻きを作った。
日本からのコックさんはとうにやめて、その地のコックさんがいたけれど、日本料理はできない。
私もほとんどできないのだが、太巻きならどうにか、というので、キッチンにある一番大きい炊飯器一杯にご飯をたいた。

何本巻いただろう。もう覚えていないが、一人であれだけのすし飯をまいたのは最初で最後だ。

パーティの始まりはおそい。9時かそれより遅いか、そんなものだった。
つれあいは、12時の瞬間には事務所にいく、という。

持ち寄りが半分というので、お料理は多種多彩、100名ほどのパーティだ。
私が持参した太巻き、一人2つあてとしても20人がそこそこだ。
アメリカの友人は、プライベートコックを連れているので、その人に作らせたのか、数品、多量に持ち込んでいる。この地でこんなに材料がそろうのか、とその力に驚いた。

2000年という飾り物をつけて、その瞬間を待ったけれど、つれあいは席を外している中で、なにか不安で落ち着かなかった。
ちょっとした騒音が聞こえると、いざ暴動かも、と心配そうにあたりをみまわすのは私だけではない。

電気もきえず、暴動も起きた様子はなく、つれあいもすぐに戻ってきた。
大丈夫、2000年問題は起きなかった、ということが皆につたわり、それから、リラックスしてのパーティになった。

2022年から23年へ。ウクライナ国民の不安はいかばかりだろう。戦乱の予想ではなく、現実に戦乱のなかにある。
アフリカでときたま砲撃、あるいは銃撃戦、それだけでも恐ろしかったのに、それが日常なのだ。

今日も寒い、日中はどうにかプラスの気温だったが、4時をすぎると、もうマイナスだ。
節電、節油、と心がけてはいるけれど、この寒さには耐えるのもむずかしい。

この地ではあの、つかみどころのない不安感、逃げ場のない絶望感、それがない。静かでお菓子づくりを楽しめる平和な大みそかだ。

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