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感謝の拍手より賃上げを

「感謝の拍手より賃上げを」、この表現は、今朝、BBCの放送でみたものである。
イギリスでは、今、看護師など、医療従事者がストライキをしている。
激しいインフレにも関わらず、また、厳しい労働環境にも関わらず、賃上げは行われず、やむにやまれずのマニフェストを行っているという。

日本語でチェックしたので、この表現が原語で正しく、そういわれたのかどうかはわからないが、ああ、彼らの実感なのだろう、と思った。
最初は”感謝の拍手”がわからなかった。放送の最後のところで、ああ、感謝の拍手とは、コロナ流行の初めのころ、治療法、対処法も確たるものがない中で、厳しい状況に献身的な治療をしている医療関係者に対し、夜の8時だったろうか、全国で、外に向かって、感謝をあらわす拍手をする、という行為だった。

これはこれで、とても感動的だった。
拍手ならずとも、音をだそうと、鍋窯を打ち鳴らす人もいた。音のでるもので感謝の意を伝えたのだ。

感謝の意を表するのには、音響的なものばかりでなく、日本では飛行機も飛んだ。
ローマ法王は、全世界で、定時にお祈りをささげる、という呼びかけもされた。私も祈った。

イギリスの彼ら、彼女らは、もう感情的なものより、現実的なもので、と今回は言っている。

その昔、日本のテレビで、「同情するなら金をくれ」というタイトルのドラマがあったことを思い出した。ドラマ自体は見なかったけれど、このタイトルの直截的な表現が面白かった。
口の悪い友人から言われたことがある。私が「いつもあなたのことは気にしているのよ」というと、「口先ではなんともいえる、形にしてくれないと自分には通じない」と。
口先だけのご挨拶はもうけっこうだ、ということだ。

まあ、なんてことを言う人だ、と思ったが、反面、口先にすぎない、挨拶であることを見透かされた、とも感じた。

世界中で起きている悲劇に対し、かわいそう、気の毒、どうにかならないのかしら、同情する。
しかし、その同情、やっぱり形にしなければ、相手には通じない。
塵も積もれば、だが、塵では小さすぎる。

イギリスの医療従事者は賃上げを要求している。その要求は、政府が解決する問題なのだろう。
それ以外のいろんなところで起きている要求については、一人ひとりが答えることで、よい方向に進むことがあるかもしれない。
よきサマリア人になりたいものだ。

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