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日記帳買いに丸善へ

昨日、東京へ行った。日帰りだ。
目的は、この7月に配偶者を亡くした友人に会うこと、そして日記帳を買うことである。
この目的は、前回(11月)、東京へ行った時も主たる目的であったけれど、そのとき、友人は出張で不在、そして、丸善行は、ほかの用事があまりにexcitingで、もう丸善まで足を運ぶことができず、そのままになったのだ。

毎日、日記を認める。もうずいぶん昔からの習慣で、一時期、外国にいたときはその習慣を貫くことができないときもあったけれど、帰国してからはずっと続けている。
日記帳は、原則として、高橋書店の5年(横線)当用新日記というのを使う。
ときに1年物、あるいはただの大学ノートを使ったことがあるけれど、そういうときは続かなかった。

日記を書いてどうする?と問う人もある。私も自問する。
しかし、書く。そして高橋書店の5年日記でなければならない。
と信じての丸善行であった。

なぜわざわざ丸善へ?ほかの場所を知らないからだ。
今、書いている2018-2022はどこで買ったのだろう?記憶にない。
それでも、書店もない田舎暮らし、どこか都会、おそらくは前橋の書店で買ったのだろう。

去年、丸善で手帳を買った。そのとき、あまりの品ぞろえに、前橋に行くなら、いっそ東京、丸善で、と頭にインプットされた。

社会的生活のなくなった高齢者、日記に何を書き、その日記はのちのちどうするのだろう?と思う。
きっと、日記も写真と同じで、とても私的なものだ。だから、死んだら、遺品整理をするものにとって、重いものになるだろう。

それがわかっているから、2017年までの日記帳は処分した。
5年日記を処分するのはとても大変だ。装丁が立派なので、分解が難しい。1年365日、表裏だから全部で180枚ほどの枚数がある。しっかり綴じられたものを一枚ずつでははかがいかないから、2,3枚ずつはぎとるのが、とても大変だった。

前の冊になるが、2012-2017年の日記は、最後の2017年につれあいが亡くなり、その当時の入院記録でもあった。
その分だけでも残そう、と思っても、その期間を5年分残すことになる。ばらばらにした日記、いつしかどこかに紛れてしまうだろう。
そして、だれが読むのか?9月末日に入院して、年末に亡くなった。病状記録でもない。娘たちも欲しがらないだろう。と、結局、焼却したのだった。

それにしても、この頃話題になっている、初代宮内庁長官田島道治氏の拝謁録はすごい、あの詳細な記録、それだけの貴重さがあるから評価もされようが・

なぜ、人の役にもたたない日記をつけるのか?
きっとボケ防止なのだろう。
ボケの症状はでている。人名、地名、普通名詞、日記を書いていて、出てこないことが多々ある。そうすると空欄で残す。そして翌年、同じ日を書いていて、前年の空欄に、適切な言葉を思い出すこともあり、思い出さないこともある。
天気、気温、そして今はコロナ陽性者数、全国、東京、群馬を記録する、ただただ、自分のためだけだ。

大学で史学を専攻したとき、自分自身で歴史を書き記し、後世の役にたちたい、などと理想を持ったこともあるけれど、いまでは昨日のこともちゃんと思い出さないし、社会的に意味をもつ内容などゼロに等しい日記を習慣として書いているだけだ。

丸善に私の欲しい、高橋書店の日記はなかった。
あれだけの品ぞろえをしている丸善にないなんて!
信じられなくて、売り場にいる担当者っぽい人に聞いてみる。いえ、私は丸善の人間ではなくて、某社のものです、と言われる。事務用品を製造している会社の方だ。売り場の自社製品を管理するために来ているらしい。それは失礼しました、と別の売り場にいくと、またその人に巡り合う。
高橋書店さんの日記はこの辺にまとめてあります、と売り場を教えてくれる。
もうチェック済みなのだ。買い物センスに富んだ友人もいろいろ見てくれるが、みつからない。

わざわざ新幹線で来たのに、とぶつぶつ言う。といって、もう他のところに行く気もなく、他の出版社の5年日記を購入した。
日記を変えれば、人生も変わるかもよ、と友人は根拠のない応援をしてくれる。

箱入り、上質の紙、5年日記、とくると、”重い” 

ショルダーバックにいれて、丸善から八重洲口まで歩く。
これから5年、この重たい思いはしなくてすむ。
ちなみに22年までの日記は、1年間、参照用に保存である。
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