SSブログ

ワン ヘルス One Health

この頃、新しい言葉に接することが多い。
毎年、年末の恒例行事の新語も知らないものばかりだが、先日、あるドキュメンタリー番組での新語が気になった。

それはワン ヘルスという語で、ワンはもちろん一つ、ヘルスは健康だ。一つの健康、つまり、人間、動物、そして植物をも含めた環境、これらが一体になって一つの健康を構築するのだ。

この3者がすべて健康でなければ、本当の健康は得られない、ということらしい。
それには、このところのコロナなどのパンデミックのこともあるし、あるいは人獣共通感染症という語もあったが、人間だけではなく、獣と共通したウイルスなどでの疫病もありうるというわけだ。

完全に自然の中というわけでもなく、水道、電気のライフラインは通じており、Wi-Fiもいれて、文化的な生活も可能ながら、高度1000メートルの環境にいると、自然との折り合いというものをつけていかないと生活はできない。
じゃあ、自給自足が可能かといえば、それは無理だ。

しかし、周辺には、夏場だけであるが、野菜を作っている人は多い。人によっては、市販の肥料を使わず、自分でたい肥を作る人もいる。市販ではないから、自然というわけではなく、動物の農場からの堆肥肥料などは、抗生物質がはいったものもある。
晩秋になると、道端の枯れ葉を集め、軽トラで運ぶ人もいる。
こういう光景をみると、自然の循環をうまく利用しての生活を感じる。
これこそ、理想だ、求める自然回帰の生活だ、と言いたいけれど、自分自身で労を惜しまないならともかく、自然の恵みだけで再生産をするというのは、規模が限られていて、とても他人にまで恩恵は施せない。

我が家も最初は無公害、自然農法、などと称して、小さな畑を作っていたが、雑草に負けた。虫にも負けた。結局、除草剤も防虫剤も使わないでいたが、収穫はみじめなものだった。
労力の成果が得られない、とつれあいはギヴアップ、つれあいの手助けなしではできない。
借地が使えなくなるのと同時に家庭菜園は終わった。

最初に借りていた土地の持主は、高齢の女性であったが、隣接する土地に野菜を植えながら、ここいらはイノシシがよく出るから、と言っていた。
電柵という、接触すると電気が通る柵をつける人が多かったけれど、この女性は、出たら出たとき、と言って、無策であった。彼女は、昔はこの土地はイノシシのもの、そこに入り込んだ自分たちが遠慮するべきだ、という考えだった。

人間と動物、イノシシ、シカ、猿、野生の動物を悪者扱いにするけれど、このワンヘルスでは、環境も含めて、一体として考え、共存あるいは、共通して防衛していくべきだ、という。

カーボンニュートラルなどというのもまっこと正しいけれど、これだけ人間が増え、その人間様は、生活の便利さを要求するのに、何を犠牲にしてニュートラルにできるのだろう。

石炭を使い始めたときは、それが産業革命と救世主であり、石油になれば、それがもっと便利なエネルギー源、あるいは化学製品の材料となり、ウラニウムにおいてもしかり、便利なものの裏部分にようやく気付き始めたのだ。
それならば再エネと、この頃、我が家の周辺は太陽光パネルであふれつつある。
これもその裏をかえしたとき、このパネル、耐用年数は?環境に負担なく処理できるのか?パネルを設置するために自然を壊した部分の負荷はどうなっているのか?

ワンヘルスを聞いて、大変結構だし、同調したい気持ちでいっぱいだが、どこまで可能なのか?
現実はつねに厳しい。
nice!(0)  コメント(0)