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新年に感じた違和感

毎年感じる違和感ではあるが、今年は特にえー、君も行くの?と思ったのが、岸田首相の伊勢神宮参拝である。
なんで、首相は元日早々、フロックコートを召して、閣僚やその他の要人をおともに伊勢神宮へといくのだろう。
これは例年感じていたのだが、私は岸田氏を誤解していた。「聞く耳」をもち、前任、前前任、つまり菅さんや安倍さんより、左寄りとは言わないにせよ、中道であろうと、勝手に思い込んでいた。

参拝の皆さん、全員がフロックコートを着用、これは東京からこの衣装でみえたのだろうか。
群れをなして、下宮、内宮をお参りなさったらしい。
これは公式の行事らしい。

となると、信教の自由はないのか?これらの参拝者たちは、全員がこの神宮を信仰しているのか?
まるで、国教扱いではないか。夏の靖国神社参拝と同じような構図ではないか?

もし、岸田首相が個人的に信仰していて、初詣をしたい、というのなら、それはそれでいい。首相だらから、それなりの警備もつくだろう。しかし、テレビでみた形であれば、これは公式の行事として行われている。

まるで神道は国教であるかのごとく、まるで戦前の皇国思想がまるまる残っているような感覚すらする。

そしてこの参拝、どのメディアも反対しない。批判しない。
もちろん、信教の自由が侵されたわけではないが、天皇家は神道が自家の宗教であろうが、なにか、政府の長となると、必ず伊勢参拝が行われるのは、奇妙、かつ違和感をもってしまうのである。

次なる違和感は、相変わらず、旧統一教会問題に関して、亡き安倍元首相の責任が追及されないことだ。
死去されてすぐは、死者を鞭打たず、とか、死者を静かに眠むらせる、などと、批判、非難を避けるのはある程度仕方ないのかもしれないが、元凶であったはずの彼あるいは安倍家、岸家の責任は追及されないで終わるのか?
なぜ、統一教会という、どこからみてもヘンテコな宗教が、宗教そして政治活動をする組織として、力を広げることができたのか?
統一教会問題をフォローしていた法曹家たちも、あまり安倍さんに触れていないように思うのだが。
これはモリカケなどより、もっと掘り下げるべき問題だと思っているのだが、だれも触れたがらないように思える。
野田さん、あなたはなぜ、弔辞のなかでこれに触れなかったのか?

昨年からの持越し違和感に加えて、違和感は年改まれば、次々に発生するのだ。
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