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割り勘はみっともないですか?

林真理子氏の「女はいつも四十雀」を読んだ。
この本は、彼女がStoryという女性誌に書いていたエッセイをまとめて、単行本にしたものだ。
この雑誌がそもそも、ちょっとリッチな、あるいはリッチになりたいと思う若い女性、ちょっと前まで若かった女性を対象にしたものだ。
だから、書いてある内容が、少しならずスノッブである。
そんな読者を対象にしていることを意識して、林氏は彼女のやり方でずけずけもの申されている。
妥当と思うこともあれば、ちょっと感覚がちがうような(それは私個人の意見なのだが)、と思うことがある。

その一つに、彼女が、食事などのあと、女性たちが割り勘をするのがみっともない、といったことを書かれていることだ。
まず、席でお金を出してやりとりをしている場面、あるいは、出口の支払い場所で、店員を煩わせて一人一人が支払う場面、など、時間をとること、などもあげて、みっともないといわれる。
ああ、そういう場面も昔はあったっけ、と思うが、今はどうなのだろう。

今、高齢者になって、人と会い、食事を共にするとき、割り勘が原則だ。
そして支払いは、それぞれが行う。もちろん、会費制で、会計担当というか、集金する人がいるときは別だが、だいたいが、自分の好きな料理を注文して、それぞれに飲み物をとり、同時に散会という場合は、レジで各自が払う。
以前は、幹事役の人が席でまとめることもあったけれど、それこそ、税金や端数の金額をどうするか、などと、大きな声で話したりで、外からはみっともない場面であったかもしれない。

彼女は、そういうみっともない場面を避けるためには、自分が全額払うこともいとわない、と大変に太っ腹でもある。

そういえば、昔、もう大昔なのかもしれないが、現役で働いているころなどは、食事となると、ほとんど相手が払うものだと思っていた。まだ、経済が右肩上がり、マッチョな時代、そして一緒に食事をする人は、おおむね、年長者、社会的ポジションのある、時として見栄っ張り、経費で落とせそう、高給取り、いくつもの条件が重なって、薄給、独り暮らし、食べることは好き、会話は巧み、といったこちらの条件ともあいまって、またグルメであることが必須条件ともなっていたし、いろんなところでの会食というのがあった。
年を経て、経済は沈みっぱなし、ほとんどの友人が退職者となり、おそらくは年金暮らし、異性よりも同性のほうが気が張らない、ということで、食事はほとんどがランチである。そうなると、メニューがうんぬんより、定額のランチ、あるいはそれぞれに支払い能力にあったところで食べることになる。

どんなに気楽なことだろう。
これには、カードの普及も大きいと思う。
以前はまだ女性の場合、現金で支払うことが多かったけれど、今、主婦だってカードは持っている。
それでそれぞれに決済すれば、あとくされもない。
おごり、おごられる、ということもなくなった。
たまに、デパートでのお茶など、買い物券があるから、などと気前のいい友人がいると、ご馳走様と甘えてしまうけれど、例外ケースだ。

もう高いレストランでの食事に招待する、招待される、ということがなくなった。
ああ、レストラン三国に行きそこなった。一度は行きたかったけれど、あそこはやっぱり招待されるか、招待するレストランだった。
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