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Capitalisme and Gambling

Capitalisme & Gamblingという本を読んだ。もちろん日本語でだ。
日本語のタイトルは、「ギャンブリング害、貪欲な業界と政治の欺瞞」という。
出版社はビジネス教育出版社、2021年の刊行だ。
著者はレベッカ・キャシディ。

本屋でちょっと見つけて、というのではない。おそらく、とっている新聞の土曜日に出る出版情報あたりでチェックしたのだ思う。
というのも、ギャンブルに対して、いろんな疑問があったからだ。

この本は主として、イギリスの賭博について書かれていた。
イギリスは今は、賭博は有名だ。どことかにある賭博専門のお店でのオッズがどうだ、というようなニュースが、この間のカタールのサッカーでも話題にでた。
日本の対ドイツは、2対0で日本の勝利、というオッズが対戦が決まってすぐに出た、というので、プロたちの予想はそうなのか!と思い、結果がその通りだったことに驚いたものだ。

私はあまりギャンブルは好きではない。ギャンブルがなんであれ、自分が持っているお金を僥倖に預けるわけにはいかない、というより、そのドキドキする感情が耐えられない、とか何かしらの罪の意識をもつことに耐えられない、といったいろんな感情から、ギャンブルはしない、という決心にいたった。

ギャンブルとは何なのだろう。どこまでをギャンブルというのだろう。
この本で、ギャンブルの歴史から範囲、どういうプロセスで裏から表に姿を現したのか、などを知ることができた。

私がギャンブルと聞いて、思いをいたすのは、日本での競馬、競輪、競艇、競の字のつくもの、日本全国、山村にもあるパチンコ、テレビでもおおっぴらに広告をしている宝くじ(多種になったものだ)、などがあるけれど、世界をみれば、まだまだあげられる。
カジノでのスロットマシーンや、カードゲーム、ルーレット、これも以前は制限された場所にしかなかったし、特殊な場所という意識があった。

著者のあげるギャンブルはえーっ!と思うほどに広い。
イギリスでいえば、ラッフル、トンボラ、ステークス競馬、サッカー賭博、ゴルフラウンド、コイントス、こういったものが挙げられている。
ラッフルというのは、とてもつましいもので、慈善の行為として行われることが多い。
寄付で物品を集め、それを景品としてのくじを発行するのだ。田舎の慈善団体などがやたらやっているという。
トンボラも似たようなもので、富くじの一種という。これは私も経験したが、東京で働いていた折、在京のリセ・フランセでのトンボラだ。くじを1枚500円だったか1000円だったかで購入する。
半券に名前を記入しておく。
抽せんが行われ、あたりのものがあとで届く。
当時、エールフランスから東京ーパリの往復チケットもあれば、フレンチレストランのディナー券、少しバブルの時代だったせいか、やたら豪華賞品があった。
私は何も当たらなかったが、ハンドバッグ(ブランドもの)が当たった友人が、好みではないから、とプレゼントしてくれた。

ギャンブルの定義というわけではないが、再分配というのがギャンブルの基礎にあるという。
そういう意味で、日本のお年玉付き年賀はがきもギャンブルなのだそうだ。
納得いく。たとえ、切手のシートだけでも当たれば、というような意識があって、年賀状はお年玉付きならうれしいけれど、それ以外の年賀状はちょっと楽しみがない、というような気持ちになるものだ。

でも、世界各国、そういう傾向にあるのかもしれないが、ギャンブルが公然化しすぎているのではないだろうか。
日本ではRIが認められてし、海外旅行でマカオにいく、ラスベガスにいく、韓国のなにやらに行く、といった、賭場で有名な場所に行くことが恥でもなんでもなくなった。

とても若いとき、モナコのカジノに行ったことがある。ちょっと禁断のリンゴを味わう気分で、恐る恐るだった。昼間、社会見学を、という言い訳だった。
映画やテレビでみるルーレットを体験してみたかった。
昼間、人は少なかった。いくらの現金を変えたのだろう。ルーレットのそばにいるのは、年取った男性ばかり、やけに皆さん親切だった。偶数と奇数とか、いろんな賭け方があるようだったが、一発勝負、数字にかけた。誕生日の数字を言った。
ルーレットが回り始めた。きっと当たるよ、とおじさんが言ってくれる。?????
当たった!!!!!!

そんな思いでがあって、カジノはきらいではなかった。が、大人になって、また行った。
つれあいと一緒に12月31日、大みそか、カジノは華やかなドレスの人で混んでいた。
映画のシーンのようだし、そのなかの一人になったような心境だった。
私はもうそのころからギャンブルは否定するようになっていた。カジノで賭ける人はかければいい。
つれあいも度胸はない人だった。同行者たちが、スロットマシーンだ、ルーレットだ、カードルームに行こう、などとうろうろするのに、くっついていくけれど、賭けはしなかった。

賭け麻雀もしない。石部金子の生活、しかし、15日のお年玉付き年賀はがきの当選発表は楽しみだ。
あまり多くない年賀状なのだが。
ギャンブルは必要悪か?私はギャンブル不要論を言いたい。ギャンブルで幸福になった人などいやしない。
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