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後悔先に立たず(1)

10歳上の姉が一時期、しきりに口にしていたことがある。昔を思い出す、というのだ。
私もどうもその年齢に到達したらしい。やたら、昔のことを思い出す。
そして、今日は新聞が思い出させる記事をのせた。

朝日新聞11月12日、be版で「じいじ・ばあば、使いますか?」という記事だ。
ああ、じいじ、ばあばでは苦い思い出がある、と思い出した。
記事によると、じいじ、ばあば、という呼び方は新しいものだという。新しいといっても1990年代のころからなのだろう。記事によると、「広辞苑」の第6版以降には「祖父(祖母)を親しんで呼ぶ幼児語」とあるが、第4飯、第5班にはないので、2000年代に浸透した可能性もある、とあるが、1990年代にすでに我が家に現れていた。

というのは、つれあいにとってただ一人の孫になったのだが、孫がなにか言葉を発するようになったとき、われわれの呼び名がじいじ、ばあば、となったのだ。
この呼び方は私にとっては、初耳であり、あまり感じがよいものではなかった。
すぐにというのではないが、格調高く、おじい様、おばあ様、と呼ばせたかったのだ。

実家では、小さいとき、二人の老女がいて、一人はおっかばあちゃん、もう一人はちんかばあちゃん、と呼ばれていた。おっか、は大きい、ちんか、は小さいという意味で、おっかばあちゃんのほうが年上だった。
とても親しみのある呼び方だった、と今では思うけれど、どちらのばあちゃんも苦手であったし、やさしくされた記憶がないこともあって、ばあちゃん、という呼び方もいやだった。

かっこづけもあって、できればおばあちゃま、あるいはおばあさま、と呼んでほしかったのだ。

婿サイドの祖父母はおじい様、おばあ様と呼ばせている、と聞いて、どうして、こちらはじいじ、ばあばなのか、と気分を害したのだ。
それには、もう一つ理由があった。
義娘は出産数か月後、新生児を飛行機にのせることが可能になると同時に、当時、南仏に住んでいたわれわれのところにきた。1年の出産・育児休暇をとっており、彼女にとって、海外に長期に滞在するチャンスでもあったのだ。

まだ乳児、呼び名がどうのこうの、といってわかるわけではないが、私はフランス風におじいさんはパピー、おばあさんはマミーと呼ばせたかった。
だから、赤ん坊がわかろうとわかるまいと、さあ、マミーですよ、とか、パピーが帰ってきましたよ、などと話しかけていたのだった。
ある日、義娘から手紙を渡された。「マミー」という呼び方は使いたくない、というのだ。つまり、その呼び名は、亡くなった彼女の母親を思い出すから使いたくない、使ってほしくない、というのだ。
そういわれれば、あえて使うというわけにはいかない。

そのときは、そのまま、別になにとよぶこともなく、終わってしまったのだと思う。
そして、われわれが帰国し、孫と会う機会も増え、孫も小さいながら、言葉を理解するようになったときに示されたのが、じいじ、と、ばあばだったのだ。

結局、なにかしらのわだかまりが残ったまま、孫がどう我々を呼んでいたか、ちゃんとした記憶がない。
つれあいに対してはじいじ、だったようだし、私に対しては何だったか。名前で呼ばれていたかもしれない。

今になっては、ばあばでもいいじゃないか、ばばあ、と呼ばれるよりはよほどましじゃないか、と思ったり、上皇后さまが孫娘の眞子にあてた手紙で、「ばあば」を使っていらしたという事実から、そうか、雲上人もお使いになる言葉だったのか、と思ったりもする。

血がつながってはいないけれど、まあ、孫と呼べる存在は彼女だけであったから、ほかにはよばれることもない。
英語のおばちゃんに相当するアンティ、という表現を使ってね、ということですませている。

今更悔やんでもしかたない。狭量な自分だったのだ、と思うし、無知がゆえ、とも思うが、やっぱりじいじ、に、ばあば、という音がしっくりこないのは、今でもそうだ。

この調子でいくと、後悔の種は浜の真砂のように、次から次へとでてきそうだ。


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