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私のSDGs

SDGsという表現が一般化した。日本語ではどういうのか、またSDGsは正確にはどういうのか、なんだかわからなくなってきている。
Sustainable Development Goals、日本語では持続可能な開発目標なのだそうだ。
2015年に国連サミットで、加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標、なのだそうだ。

外国語で普及させようという政策は、どうもピンとこなくて、DXとか、それなに?といつも思ってしまう。
しかし、このSDGsについては、言葉の意味はなかなか分かりづらいのだが、この異常気象をもたらす諸原因を取り除くために、やるべきこと、と思えば取り掛かれないわけではない。

先日、フランスからクリスマスプレゼントが届いた。
その中にあった、ストールには、こんな注意書きが載っていた。
Je suis reutilisable, ne me jetez pas. Deposez moi dans un bac de collecte, je serai recycle, donne ou remis sur le marche de la seconde main pour une nouvelle vie.
つまり、私は再利用できますから、捨てないでください。私を収集箱にいれれば、リサイクルされるか、再使用されて、新しい命がうまれます、とでも訳できるのだろうか。

こういう運動は、日本でもできているらしい。たとえば、ユニクロなどは、古い製品をいれるボックスなどが設置され、もう使わないユニクロの製品をいれれば、再利用の方法がとられる、というような情報を耳に、目にしたことがある。
いつか、ユニクロにいくときは、数年前に購入して、型崩れ、あるいは古びてしまって、もう着ないけれど捨てるにすてられない、というものを持参したいと思っている。

こういう運動は、自社製品においてのみ、なのだろうか?
我が家のみならず、だれの家にもたくさんの、もう着なくなったけれど、ごみでは出せない、という衣類などがあるはずだ。
それらをどうするか?ずっと頭痛の種である。
つい先日だが、いくつかの衣料の行先が決まった。
カシミアのセーターやニットのコートだ。
もう着られないものではない。着たい気持ち、愛着、あるけれど、なかなか着る機会はない。おしゃれ着は、おしゃれして出かける機会がない、いったん着れば、季節の終わりにクリーニングに出すことになり、費用がかかる、としまいっぱなしになっていたものだ。
着てくれる人がみつかった。数日、ほっとした気持ちになった。しかし、在庫はまだまだだ。

そして数日前、亡きつれあいのものを残しているタンスの引き出しを開けた。
なぜ残しているのか。それはクリーニングから戻ったもの、私がいったん使ったのち、捨てましょう、という品々である。
その中に、DAMARTのズボン下があった。素材はThermolactylとなっていて、厚手のふわふわだ。
サイズはS,私にもちょうどよさそうだ。
今時、ズボン下、なんて言うのだろうか。ユニクロなどでは極暖とかその温かさよぶけれど、その品自体をどういうべきか、考えたことがない。
このダマール、この地に住み始めのころ、よく宣伝されていた。この地の冬の寒さに耐えていくため、いろんなものを購入したけれど、このズボン下は、厚手過ぎたのか、サイズが合わなかったのか、つれあいは使ったことがなかった。

昨夜、使ってみた。男性用だから、前にあいた部分がある。これはもう無視である。
パジャマのズボン部分と違い、十分足首まであって、足首の部分はゴムで絞めるようになっている。
暖かかった!
つれあいの衣類は、上半身のものは、たとえばセーター、ワイシャツ、などは残して、私が利用していたけれど、どうも下半身のものは具合が悪かった。
樹木希林さんは男性ものをすべて再利用された、というような話であったけれど、私はそこまでいかない。
このDAMARTという会社、今でもあるのだろうか?テレビなどではちっとも見なくなった。

こうして、この1か月内に、SDGsに叶うことがあったけれど、この程度では、あと50年はかかりそうだ。
もちろん、繊維製品だけをいれるボックスがあることは知っているが、そこにいれたものは、裁断、細分化されて、その原形のまま、利用されるわけではない。だからそのボックスにはいれられないのだ。
道ははてしなく遠い。
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