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郵便サービスの無くなる日

来年秋から、郵便料金が値上げだ、というニュースが今日は出ている。
基本的なところで、はがきが63円から85円に、封書は84円から110円に上がるのだそうだ。

友人は言う。値上げっていやね、もうあまり使えないわ、と。
30年前、それがこれまでで最近の値上げということになるが、その時もみな同じようなことを言ったし、きっとそれ以前に比べ、利用することも少なくなったのかもしれない。
その好例が、年賀状であろう。

私はこの値上げに反対ではない。もう必然のことだと思っている。
というのも、郵便の赤字というのは、だれがみても明らかで、サービスの削減、利用者からみれば、それによるサービスの低下も目に見えているからだ。

小泉氏が首相のとき、郵便の民営化をとなえ、またそれは実行された。
当時、郵便サービスが世界的に国営から民営と変わっていったのだ。
日本もその趨勢におされ、民営化はやむをえないのだろう、とは思ったけれど、それがいくつかの新分野でのサービスを生んだこともあるが、効率化の名のもとに割愛されたことも多かった。
もうその現実になれすぎて、昔はあったことが民営化になくなってしまったこと、など忘れてしまった。

郵便制度、そして、それが全国均一の条件で実行されていること、これは近代国家の証である。
日本にくらしていると、日本国中、この田舎でも、現在、月―金の配達はあり(ほとんどの日は郵便物がなくてパスされているが)、郵便局にいけば(これが小さくてもちゃんとある)、普通の郵便物については、全国均一の料金体制になっている。
同じ関東なら、普通郵便であれば、だいたい翌日に、この頃は翌々日になることもあるが、配達される。それも自宅までだ。

日本の郵便局でありがたいこと、それは現金が送れることだ。現金書留という制度を使ってではあるが、現金が安全に確実に送れる国、日本のありがたさだ。
それにゆうちょ銀行の存在もある。
ここに口座を持っていれば、全国各地で、入金、出金、送金、振り込み、いろいろできる。

25年前のアフリカを思い出す。
中央郵便局に私書箱を設定、そこに届く郵便をチェックしてもらうことで、自分でとりにいくのだ。
当時、本を出版する予定で、原稿を送り、校正された原稿を受け取る、これは、フランスへ行く人をつかまえて、フランスから郵送、あるいはフランスの住所に届けてもらったものを受け取ってくる、
当時はまだネットでの交信がなかった。
費用はかかるが、アメリカの民間サービスを使うという手段もあった。

いわゆる第三世界といわれる国々での、郵便制度の不備をよく知らず、そっちへ行くわよ、という手紙を1週間前に出して、それで連絡がとれると思い込んで、空港で迎えがないと、不安で身の細る思いをしたこと、アフリカでは、地方との文書のやりとりに、人の往来を利用すること、いわゆる幸便にて、ということだ。

来年秋、ほとんどのサービスの値上げはこれからの詳細を見るに待つけれど、郵便が無くなるよりは、値上げを是とする。
もちろん、値上げをすれば、利用も減り、減収となり、またサービスの低下、あるいは再度の値上げとマイナスのイタチごっこになるのはわかっているが、私の生きている間に郵便は死にました、ということになってほしくない。
本来なら国営に戻してもらいたいほどだ。
鉄道をみよ、国鉄からJRに変わり、赤字路線の廃線、本数を減らす、人員削減、鉄道のないところが増えた。
電話サービスを見よ。公衆電話がみあたらない。個人の端末をもっていなければ、通信手段はないのだ。

いま、フランスからの小包が届いた。これも国の保障する郵便制度のおかげである。
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