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私のまわりの宗教

生家は仏教だった。東本願寺系のお寺が菩提寺で、お寺さんが近所、祖母が暇な時間、せっせとお寺に通っていた。
大きな仏壇があり、ごはんをたくと、お仏飯(おぶっぱんと呼んでいた)をお供えし、在家経というのを唱えていた。くみょうむりょうじゅにょうらい、なむふかしぎこう、と祖母が唱えるをの覚えて、一緒に唱えると、仏壇に供えられたお菓子をもらえる可能性が高くなるので、神妙にそばに座っていた。

ところが、キリスト教の影響もでてきた。同居していた叔母と長姉が、ルーテル教会へと通い始めたのだ、まだ小学校にいくか行かないかのころで、それがどうこう、という変化ではなかったが、叔母と姉がなにかハイカラな雰囲気になるのがわかった。
そしてハイライトはクリスマスである。教会の若い人たちがグループで、信者の自宅を訪問、クリスマスキャロルを歌うのだ。各人の手にはキャンドル、なんという豊かなクリスマスだったろう。
若い人たちの声はのびやかで、パートごとの練習もしているのだろう、とてもハーモニーがきれいだった。
歌うのは、きよしこの夜や諸人こぞりて、などである。
教会の牧師様は外国人、アメリカ人かカナダ人だったと思うが、だからキャロルも日本語の歌詞と英語の歌詞で歌われ、小さな私にとっては夢のようなキャンドルサービスだった。

教会に戻られたら召し上がってください、と母が用意したお菓子を受け取ると、若い人たちは楽し気に次の信者家庭へといった。
大都市ではないけれど、信者の家はそれぞれ離れていただろうに、キャロルのメンバーは徒歩での移動だった。

私も大きくなったら、ルーテル教会に通って、キャロルのメンバーになるのだ、とその時は思っていた。
中学生になると、教会の英会話クラスに通ったことはあったが、日曜日の朝起きができなくて、ミサにはあまり通っていなかった。

宗教とか信仰とか、とても抽象的で、生活の上でのアクセサリー程度に考えていた。

しかし、あとで、我が家には新興宗教の犠牲者になった人がいる。
伯母と従姉だ。
伯母については、一時期同居していたが、父より年長、よく理解できない人だったが、兄がいうには、ある宗教にいりびたって、彼女の財産はすべてその宗教に渡してしまったのだとか。
その結果、無一文になって、我が家に戻ってきたのだそうだ。
しかし、あるとき、その伯母は再婚して、我が家を出たので、とうとう詳しくは知らないままだった。

叔母と一緒に長く同居していた従姉は、結婚して京都に住んだのだが、そこで何かの新興宗教にはまってしまった。
毎朝、6時とかそれ以前にとか始まる集会に参加、などと京都であった私に誇らしげに言っていた。
朝起きができない私にはとても無理な話だ、と思ったものだ。
その後、どういういきさつかは知らないが、せっかく購入したマンションを引き払い、その宗教団体の本部に移り、従姉のつれあいと息子は京都の賃貸アパートで暮らしたのだそうだ。

結局、彼女も財産というほどのものではなかったかもしれないが、すべてを宗教に捧げつくし、最後は息子と一緒の生活、とうとう貧しい生活から抜け出せないままで亡くなった。

とてもやさしい人柄で、小学生、中学生のころ、月曜日になると宿題が見つからない私が困っていると、探すのを手伝ってくれた。姉はそんな私をみながら、遅刻したくない、とさっさと登校するのだったが、従姉は最後まで付き合ってくれたものだ。

その宗教団体の名前もきちんときかず、というのか、知りたくなかった。
一生、貧しいままで終わった従姉、その宗教にかかわらなければよかったのに、と今でも思う。
宗教に打ち込んでいた従姉、幸せの時間もあったのだろうか。今でも11月の命日に考えることだ。
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