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幻の百合園

昨日はヒマワリのことを書いた。今日は百合だ。

花の名前の漢字は、だれが決めたのだろう。向日葵、フランス語ならtournesol, tourneが向でsolがsoleil(太陽)ということになるのだろう。葵の部分がないけれど。
百合はなぜ百と合の合体なのか、そしてそれがなぜユリとなるのだろうか。

暑さにうだりながら、庭の花をみながら、いろんなことを考える。
百合は簡単、バラだと薔薇と書けない、読めないこともある。百合もなれているからユリと読めるのだが、なんでユリなのだろう?

もう20年近く前のことだが、夏場のスキー場に色とりどりの百合が植えられ、百合園となっていた。
今もそうなのか、スキーもしないので夏のスキー場など、縁もない。
そのころ、スキーのリフトに夏場に乗れるというので、百合園を見に行った。
色とりどり、いろんな種類の百合が植えられ、なかなか見ごたえがあった。そしてその百合が売られていたのだ。
色のきれいさに惑わされて、いくばくかの株を買い、庭に植えた。
数年間は花を咲かせてくれたけど、だんだん、花がみすぼらしくなり、株だけになり、そして消えた。

それで百合は忘れてしまっていたけれど、今、我が家には3種の百合が咲いている。
ずっと以前からのはウバユリだ。庭のまんなかに大きなウバユリが、家を建てたときから咲き、ウバユリなるものを知らなかったので、何がどう咲くのか、期待をもって見守っていたものだ。

オレンジの小さい花をつけるのは、ヤマコオニユリ、花は1年に1つ増えていく、というのだが、20個を超えたことはあったが、その翌年、忽然と消えて、花はどこへいったの?と不思議に思ったものだ。

白のヤマユリ、これはカサブランカ並みに花が大きくて、見ごたえがある。ヤマユリというから驚きだ。これが庭には生えなくて、欲しいと思っていたところに、ご近所の方が種をくださった。
花が終わったあと、茎に黒い塊がつくのだが、これが種らしい。
それをぶんぶん振り回すと、種が落ちて、いつか花がさきますよ、となんともしまりのない、不確定要素ばかりの説明付きで、種というか、茎をくださった。
ぶんぶん振り回しておいた。

それから幾年すぎただろうか。とりきれない雑草のなかから、見慣れないものが成長してきた。そしてだんだん百合らしい様相をみせてくる。
ヤマコオニユリとはまったく違う。
もしかして、と残して置いたら、そのもしかして、だった。

百合は本当に気まぐれだ。
百合の名前のつく女性もそうなのだろうか?
特にウバユリがそうなのだが、今年咲いた場所に来年でてくるとは限らない。
思いもかけないところから出てくるし、花の数が年齢だというが、初めて出たところでもいくつもの花をつけている。

ウバユリの名前の由来を隣人に聞いたことがある。ウバ、女性にすれば、あまり好ましい名詞ではない。
説明しがたいわね、見てればわかるわよ、と言われた。その通りだった。
白いつぼみのときは可憐だ。しかし、つぼみが大きくなるにしたがって、葉っぱは茶色に汚くなってくる。そして花が開いた思っても、フルに開花するのではなく、中途半端な開き方、そしてそれですぐに落ちてしまう。

白いヤマユリは、百合の正道を歩む。大きく、花芯は強烈だ。決して可憐でもない。白い花だから、弔事にも百合はよく使われるけれど、花粉がひどくて、扱いが難しい。
オレンジのコオニユリには、黒アゲハチョウが好んでくる。花の入り口をふさぐように花芯を探るクロアゲハ、写真写りは抜群だ。

あまり手をかけない北側の庭に、百合園とは言えないが、百合がたくさん咲いている。

これだけの百合があれば、ゆり根を食べられるか?と思うが、どうもこれらの百合の球根は食に適さないらしい。試す人は広い世の中、ちゃんといるらしいし、SNSあたりにその食後感も乗っているらしい。ウバユリの球根は毒があるのだとか。その毒を除いて食べるには、大変な努力がいるらしい。
北海道で、食糧難のとき、トライする人もいたらしいが、今、そうして食べる人は、よほどの変人とか。

ヤマユリとヤマコオニユリは、花が落ちてしまえばそれまで、だが、ウバユリは一種のドライフラワーになる。花の数だけ、丸い塊になるのだが、最大23個のドライフラワーがある。
中に種ができていて、羽がついたように飛ぶ。枯れた幹を振り回すと、花の割れ目からふわふわと種が飛び散る。まるで、春のタンポポのようだ。

百合はそういえば、フランス、ブルボン王家のシンボルでもあった。
あの絵でみれば、ウバユリではない。やっぱりカサブランカあたりだったのだろうか。

わが庭は、気ままな植物園ではあるが、百合園というにはほど遠い。
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