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宗教って何?(2)

「宗教」を広辞苑で引いてみた。
「宗教」神またはなんらかの超越的絶対者、あるいは卑俗的なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連環的体系。また、それらの連環的体系。帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。アニミズム・自然崇拝・トーテミズムなどの原始宗教から呪術崇拝・多神教などの携帯を経て、今日の世界的宗教すなわち仏教・キリスト教・イスラム教などに至るまで、文化段階・民族などの違いによって多種多様。多くは教祖・経典・競技・典礼などを何らかの形でもつ。
とある。(広辞苑第4飯)

これにあるが、仏教・キリスト教・イスラム教は3大宗教と呼ばれ、世界史などではこれを習って以来、簡単に3大宗教だけが宗教で、あとは邪教というように、簡単にとらえていた。
というのも、私の場合、中学、高校の段階では、せいぜい仏教、キリスト教しか身近になく、イスラム教は紙上の宗教であったし、具体的にモスクや信者に接することはなく、知識に過ぎなかった。

さあ、旧統一教会はどうなるのか?キリスト教系となっているようだが、カトリックのシスターに言わせると、とんでもない、あんなのは宗教ではない、カルト集団です、と断定される。

宗教、私は宗教とは人間の精神を扱う形のないもの、だと思っている。
よろこび、悲しみ、悩み、物質では補えない、感情の深い部分を、救ってくれる、軽くしてくれる、そんなものだと。

新興宗教、ほとんどがカルトと言われる。フランスはカルト(フランスではセクトと呼ぶが)を取り締まる法律がある。1970年代だったか、それに関する法律か、あるいは関連資料を読んだとき、日本では創価学会もカルトの扱いだった。現在はどうなのだろう。
当時、フランスに行ったとき、パリで高校時代の友人と会った。
その人は、まひかり という宗教を信じていた。
まひかり、真光と書くのだろうか、はたとえば、痛いところ、があれば、そこに手を当てる。直接ではなくちょっと話しておくのだ。そしてなにか経文のようなものを唱えていると、その掌からまひかり様の力がかかって、治癒するのだという。

同行していた母も私も、何も言葉は出せなかった。
当時、パリではけっこう信者がいるのだと、その人は言っていた。

信ずるものは救われる、でなければ、宗教は存在できない。
無神論者もいるけれど、また日本人の多くがそうであると思うが、多神教者もいるけれど、これだけの宗教が存在し、信者がいるというのは、救われている人がいるからだ。

ただ、宗教で思うのは、宗教者から金銭、物品の要求があってはならない、ということだ。
強制してはいない、というのだろうが、そうさせる何らかのものがあるのだ。

苦しいときの神頼み、その神とはなんなのか?人によって対象は違う。
私はカトリックの信者だが、神に何を求めているのだろう。平和、平安、よく祈りの言葉に使う。この平和は、自分自身のものでも、世界の平和でも、平和という言葉は共通している。

今のところ、神様は平和を私に与えてくださっているが、その対価はお求めにならない。
白磁の壺、数珠、カトリックの場合はロザリオか、月収の10分の1か、なにも買えとか、捧げよなど、言われることはない。

アダム国、イヴ国、いやな言葉だ。
旧統一教会の教義というものをちらりと読むだけで、これが教義なのか、と思う。
といっても、イスラム教、仏教、シーア教、などの経典もだが、聖書すらちゃんと読んでいない私がいうのもおかしいかもしれないが。

神様、今日一日の平安に感謝いたします。
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