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宗教って何?(6)お墓のあれこれ

お盆が過ぎて、ご先祖様たちをあの世に送り返した、と思ったら、今度は自分の行く先を思いやらねばならないことにもなってくる。

年齢を重ねた人間が集まると、話題は持病、孫となり、それをもっと過ぎると、葬式、墓となる、と言われるが、この頃、親の墓をどうする、もあるが、配偶者や自分の墓はどうなる?という問題が身近になってきた。

ウクライナの埋葬シーンをテレビでみる。
たくさんの戦死、あるいは爆撃の犠牲者、年齢を問わず、多くの死者が出て、その埋葬の場面がでてくる。
穴を掘り、そこにご遺体のはいった棺を埋め、故人の名前をいれた十字架を建てる。
身元のわからない人は、DNAの検索番号が記されている。
まだまだ土葬の国なのだ。

とはいえ、襲撃のあと、一挙に多数の死者がでて、その身元が判明しない、ご遺体の区別がつかない、というとき、まとめて埋葬、という手段もとられているような。
墓を作れるというのは大変に恵まれている。

フランスの父と母のお墓を思い出す、
母が先に亡くなった。
彼女はとても保守的な人だったし、あとを夫にまかせっきりで、なんの注文もつけなかったと思う。
パリ郊外のコミューンの墓地に、父の母方の墓があり、そこに埋葬された。
そして父は、その2年後に亡くなったのだが、その墓にもう一つの棺をいれるだけの余地はなかった。
予知だけの問題ではなく、彼はとても合理的な面があり、フランスではまだ少数派の火葬を選んだ。
カトリックの保守派のなかでは、まだ火葬は受け入れられていない。父が96歳での死去で、火葬を選んだというのは、スキャンダルだという甥や姪もいた。しかし、それは遺言に記されており、お棺に呉べれば小さな骨壺は難なくお墓に収まった。

これで本当に満杯だ、と姓を同じくする甥が言った。
父には赤ちゃんのときに向かい入れた娘と息子がいるが、娘は嫁ぎ、別家庭だ。息子は南仏で暮らしている。この墓地を最後に選ぶことはない。
甥は、自分の父と母は別のところの墓地に埋葬しているから、と、父の墓を管理する気はない。
お墓ははかないものよ、と言葉で遊ぶ。

モーツアルトの時代に戻りたい。
あの時代は、共同墓地どころか、死んだら、大きな穴にポイと捨てられて、そのままだったようだ。
だから、もし、ここにモーツアルトが埋葬されています、などとあれば、眉唾どころか、真っ赤な嘘になりそうだ。

私はナポレオンの墓も疑わしく思っている。
現在は、アンヴァリッドに、大理石のお棺、2重になっているらしい、にうやうやしく入れられているというけれど、中に本当に入っているのだろうか。
大西洋のセント・ヘレナ島で死んで、彼自体は火葬を望んでいたらしい、灰をセーヌ川にまくように、というのが遺言にあったとか、それはさすがにされずに埋葬されていたものを、パリに持ち帰り、パンテオンに収めた。

世界で一番豪華なお墓はどこだろう。ピラミッドか、ルクソールの王家の谷のどれかか、アスワンか、中国の廟か。

この頃、墓はめんどうくさい、散骨がいい、樹木葬で名前をいれない、もうお参りしてもらう必要もない、という人たちが増えているけれど、法律がそれについてこないのか、制約が多いようだ。

つい先日、友人の配偶者が亡くなられた。
ずいぶん以前に、僕はタイのプーケットの海岸に散骨してほしいのだ、と言われていた。
プーケットには毎年出かけて、第二の故郷でもあったのだろう。

私は地中海がいい、と思っているが、それこそ、散骨のために足を運んでくれる人がいるかどうか、また、それがフランスで認められるかどうかも未調査だ。

地中海はともかく、東京湾なら認められるらしいわよ、海はつながっているから、といってくれる友人もいるけれど、海流を考えると、太平洋から地中海への旅は難しい。
浅間山の噴火が、フランス革命の原因の一つともなった、という説があるけれど、浅間山の噴火口に捨ててもらって、噴火が起きたとき、大気の流れでフランスへ渡るというほうが可能性はありそうだ。

浅間の火口にポイ捨てできるはずはないし、それが原因で噴火、などとなったら成仏できない。
と、すぐに仏教用語がでてくる。
お墓も「家」単位から「個」に変わってきた時代、やっぱりモーツアルト時代に戻るか。
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