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待て、しかして希望せよ

この言葉は、フランスの大作家アレクサンドル・デュマ(父)の「巌窟王」最後のせりふである。

フランス語でなんといいますか?と、その昔、フランス関係の仕事をしていたとき、問い合わせをもらったことがある。

Attendre et espererというのらしい。山内義雄訳「モンテ・クリスト伯」(岩波文庫)では、「待て、しかして希望せよ」となっている。

ようやくこの岩波文庫版の「モンテ・クリスト伯」7巻本を読み上げた。

昨年の夏前だったろうか、朝日新聞の読書欄にこの本が紹介されていた。訳者を存じ上げていなかったので、きっと新訳であろう、と思った。友人が版権の年数をすぎた「風と共に去りぬ」を新訳で出版したことで、そのように理解してしまったのだ。

ところが、新訳がでたわけではなく、この山内氏の版は延々、現在までも有効なのだ。新規の購入をせず、図書館を利用することにした。村の図書館の書庫に、初版1957年から20年後の1977年第21刷というのが、だれも読んだ形跡のないまま、書庫にあったのだ。

訳のみならず、すべての文体が古く、活字も小さく、1冊目から読む気を失ったのだが、それでも借りてきたという事実に、せめて1冊は読み上げようと頑張った。

面白かった。勧善懲悪、のちのモンテ・クリスト伯たるエドモン・ダンテスがかっこいい。かっこいいというより、その性格のよさが目立つ。

時代背景も面白い。ナポレオンが失脚して、エルベ島に流されていたときから、王政復古、100日天下、その後の王制に戻ったところ、時代が怒涛のような変化をしていたときだ。

この小説、私にとっては舞台もなつかしい。最初と最後はマルセイユの地が舞台になっている。
14年囚われていたのは、マルセイユの沖合にあるシャトー・ディフ、小さいとき、この小説、もちろんダイジェストだったが、母に読み聞かせてもらっていたので、このシャトー・ディフにはたびたび行った。

小説に書いてあるほど、隔絶した雰囲気ではなかったが、地下牢にとらわれたままのダンテスにしてみれば、たとえ、島からマルセイユがみえようと、みえまいと関係なかったろう。

この本、翻訳をかえて出ないものだろうか。岩波書店にお尋ねしたい。



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お米の国ラオス

旅行に出る前、ラオス旅行経験者にいろいろ聞いた。経験者といっても、たった一人しか身近にいなかったのだが。彼女いわく、「お米がとってもおいしかった」。ガイドブックにもそう書いてある。

お米があるというのは、日本人にとって、とても安心できることだ。私自身はあまりお米、ごはんを食べるほうではない。ワンカップのお米を4、5日かけて食べる。

旅行の前、同好する友人に、梅干しもっていこうか、などと聞いたが、途上国慣れしている友人は、そんなのいいよ、という。彼女に従って持参しなかった。

ラオスで出されるごはんは、主としてもち米(カオ・ニャオ)である。
いろんなお米の種類はあるのだろうが、私が食べたレストランなどでは、白いお米と赤コメであった。

この赤コメのごはんがとてもおいしい。小さな竹で編んだバスケット(ティップ・カオ)に入れられてくる。そのまま蒸されているのだろうか。

らーぷと呼ばれる炒め物料理がラオス料理のメインなのだが、肉や魚の種類が違うといわれても、使われる野菜や香辛料が一緒であれば、こちらにはなんだか同じものに感じる。

最初は違いもわかろうと努力したが、そうか、日本で外国のひとが、なんにしても醤油と味噌の味だ、というのと同じなんだ、と変に納得した。
この赤米は、これだけ食べていてもおいしい。日本でお赤飯にお塩をちょっとかけて食べるようなものだ。食塩もってくればよかったね、と同行者にいうと、彼女もそうだったね、と言っている。

こういうふうに、お米がある国というのは、主食に困らないから、飢えるということはないのだろうか。
この国のお米の生産量は足りているのだろうか。生産のやり方は陸稲なのか水稲なのか、なんの知識もない。
タイであればタイ米があって、少し長いお米であるが、このラオス米は特別特徴があるのだろうか。

このお米があるから、ラオスは長期滞在、可能かもね、と友人がいう。お米より副菜が問題だな、と私。あんなに香辛料の強い食事が好きだったのに、この頃では胃が受け付けてくれない。

このカオ・ニャオだけオーダーするってできるかな?食費がいらなくなるね、オバン二人の旅行はあくまでつつましい。


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ラオスは仏教の国

ラオスは予想した以上に仏教の国だった。首都のビエンチャンでまず目立っているのが、金色に輝くタートルアン大仏塔である。金メッキと思うのだが、本当の金箔を貼ってある、ともいう。貧者の一灯どころではない。国民所得からいえば、最貧国の下から数えていけるというのに、お寺への寄進にはためらいがないのだそうだ。

首都にして、観光名所というのはお寺さんがほとんどだ。黒の仏塔と呼ばれるタート・ダム、ヴィエンチャンの最も古いとされるワット・シーサケート寺院には、本堂をめぐる回廊に大小さまざまな仏像が安置されているが、その数は7000体以上という。

ただ、その数に驚いてはいけない。その形がほとんど同じというのに驚いた。日本では仏像といっても、阿弥陀様、如来さま、なにやらかにやら、仏教に通じていないにしても、形状の違いがいろいろあること、上品上生、上品中生、上品下生、といった手や指の違いが認められるのだが、ここではほとんど同じ形で、大きさの違いがあるだけのようにみえる。

国民はとても信心深いという。寺院には大勢の人たちが参詣していた。仏像の前で、うやうやしく拝礼する。手にはお供えものが握られている。長い線香、短い蝋燭、それに供花として作られた花、それらを手に、三礼三拝する。
それらの態度の敬虔なこと、ただの観光で立ったままいることが恥ずかしくなる。

ルアンプラバンではもっと顕著だった。中心の通りはずっとお寺さんが並んでいる。まさに寺町だ。
オレンジ色の法衣を着たお坊さんたちが朝の托鉢をすることでも有名だ。

東南アジアの国々の仏教は、はたして日本でも通じるのだろうか。というより、日本の仏教はグローバルなのだろうか、と考える。
西と東の本願寺、それに支配され、檀家制度に依存してきた仏教というものに、信仰の本質が残っているのか、また残っているにせよ、それを若い人にも浸透させられるのか。


ラオスについても、形式主義なのかもしれない。ビエンチャン郊外にあるブッダ・パークには、多種多様な仏像があるけれど、何のための仏像(つまり学問のためとか、薬師如来とか)かわからないまま、形の面白さで写真をとってしまう。

これが仏教国たるゆえんなのかどうかは、たった5日間の滞在で判断できることではないが、とげとげしい雰囲気が感じられないこと、また挨拶が両手をあわせて拝む形をとることも加わって、ラオスの魅力となっている。


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ラオス土産

ラオス旅行も魅力の一つに、お土産を買うことがある。まさにお土産、土地の産物だ。東南アジアの国々は、だいたい、民族固有の繊維製品がある。綿、麻、絹などが、民族それぞれの変化をもたせている。

どんなものがあるのか、期待はふくらむ。とはいえ、この頃、断捨離をモットーとしているので、不要なものを買うわけにはいかない。

ラオスは他民族国家である。ラオ族だけではない。タイダム、ミエン、モン、ブータイ、タイテン、カトゥ、ムーイ、タオイ、クー、アカ、クイ、外国人の私にはその区別がつかない。

製品には、刺繍、アップリケ、織、などでその違いがわかるようになっているらしいが、私にとっては、すべてがラオスの製品でひとくくりにしてしまう。

買う場所については、お店もあれば、モーニングマーケットやナイトマーケットと事欠かない。
そして、どの場所で買っても、そう間違いがないことだ。
もちろん、きちんとしたお店は、それなりの品質が確保されていて、価格もそれに比例する。かといって、マーケットの品が耐えられないほどお粗末というわけではない。

バッグに目のない私、今回バッグだけで4個購入した。木綿のバッグや、パッチワークのバッグである。ただでさえ、トートバッグを集めたりしているので、こんなにバッグはいらないのだが、味のある木綿の、素朴な雰囲気に、つい持ちたくなるのだ。

亡くなった母は布が大好きだった。海外にでると、その国の独特な風合いのある布をお土産に持ち帰ったものだった。
その癖が抜けない。しかし、もう布そのものではなく、ショールやテーブルセンター、クッションカバーなど、形になったものを選ぶ。

木綿の風合いが大好きで、また安価なので、木綿のものだけにしたが、ルアンプラバンに絹製品のお店があった。店主はフランス人との混血で、高級品のみを扱っている。
暖色のショールが目についた。色がいい。赤でもなく、臙脂でもなく、なんともいえないいい色合いだ。価格は100ドル、さあ、どうしよう。

舟でメコン川を上る。途中、民族的なものを売っている村落に立ち寄る。木綿ではあるが、1枚ワンドラー、というショールもある。町中の絹は100ドル、迷いはない。まずはワンドラーを購入だ。

ルアンプラバンのナイトマーケットは、毎晩5時から開かれる。その中を何も買わないで通り抜けることは不可能だ。

安い、安いと喜んでいていいのだろうか。ワンドラーのショール、綿の木から綿を収穫、糸にして、染色、そして織ってという工程を踏んでいるのに、100円ぽっちの金額でいいものか。
フェアトレードになるのだろうか、と考える。

それでも相手がその値段を提示しているのだから、とちょっと申し訳ない気持ちを抱きながら、購入する。

同行の友人も、もう買わない、もう買わないと言いながら、ナイトマーケットの1軒ごとに足をとめている。

とうとう100ドルの絹のショールは買わなかった。エレガントなショールをして出かける機会もなくなった。

そして帰国して思う。ああ、あのお店のあの品を買えばよかったのに、と。物欲は果てしない。

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確定申告にいきました

旅行中から気になっていた確定申告にいきました。本当はその必要はないのかもしれないのですが、還付目的です。

この税務署行き、年中行事でした。とくにこの村に移って、病院行き以外の冬場のキョウヨウ、キョウイクの種がなくなって、2月15日スタートの確定申告は楽しみの一つでした。
つれあいは特に還付期待で、1月になるとすぐ、その準備を始めていたものでした。私はこんな手続き、したこともなかったので、整える書類もあまりなく、適当なものでしたが、あるときから、つれあいより還付額が増えたりで、楽しみの種になりました。

還付額が多いほうが、昼ごはんをごちそうする、ということにしていたので、ごちそうするのか、されるのか、どちらにしても、たまの外食の機会ができて、いい気分転換だったのです。

また、これが都会生活とちがって、税務署での待ち時間が少なくてすむのです。

さて、今日は月に1回の病院通いのあとで、税務署に行きました。昼ぎりぎりの時間になり、受け付けていただけるかどうか、心配でした。
去年は、つれあいを亡くして、ほとんど直後の確定申告、つれあいの分もあって、緊張と悲しみの中で、がちがちになっていきました。その時、受け付けてくれた担当者が今日もいたのです。

お互いにおやっという表情、そしてお元気でしたか?と声がかかりました。昨年は、一言口をきくたびに涙があふれて、あきれられたのですが、彼女も肉親を亡くして、特に彼女の母親が私と同じ状態になった、と辛抱強く、てきぱき運ばない説明も聞いてくれたのです。

昨年の事情に通じているだけに、今年の事情についても理解が早く、私の疑問にもこたえてくれました。

たとえば、メインの収入であるつれあいの遺族年金の証明書(確定申告用)が来なかったというと、寡婦年金については、課税されません、したがって、書類はこないのです、という説明があったことや、昨年の医療費控除の対象にはならなかった、去年1月支払いのつれあいの入院費の扱いなど、どの費用は対象外であるか、などきちんと説明してくれる。もちろん、ほかの人が担当してくださっても、同じ説明なのかもしれないが、私のなかに浸透するものが違う。
一応、準備した資料だけで今日申告もできるというので、パソコン担当者のほうへとまわる。

去年はつれあいの分について、私以外の相続人の印鑑も必要というので、再度の税務署行きが必要だったが、今回はすぐに終了。

予定通り、還付は受けられる。あなた、すんだわよ、と帰途は二人でいつも寄っていたレストランで昼ごはん。ごちそうしてやりたいけれど、相手はいない。


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メコンの夕日

今回のラオス旅行では、ヴィエンチャンとルアンプラバンの2か所を訪れたのだが、そのそれぞれですばらしい夕日をみることができた。

私は日の出より日の入りの方が好きだ。そういうと、朝起き苦手の人だからね、とつれあいが言っていたことを思いだす。そう、朝起きは大の苦手で、アンコールワットのご来迎も、オーストラリアのエイヤーズロックの日の出もパスした。

日没というのは、これで夜の闇が訪れる、という意味では、大人の味がする。過ぎるほどに大人になった私には日没のほうがいい。

夕日そのものもきれいだが、赤い光が海や川に反射して、きらきら赤く光るさまがだいご味なのかもしれない。

ラオスで有名な日没をみた。一つはヴィエンチャン、もちろんメコンの川沿いからだ。川沿いに家のある友人が、夕日を自宅からみましょう、と誘ってくれたのだ。テラスに座って、対岸に沈む夕日をみつめる。対岸はタイなのだという。農村になっているのか、家があっても低いので、地平線ぎりぎりの感がある。

夕日の美しさは、そのものより、その輝きをかわって表現するものにあることがわかった。川面の光が場所を変え、明るさを変え、色彩を変化させていく。

そうか、この日没は、この川のいたるところでみることができるのだ。

そしてルアンプラバンでは、有名なプーシーの丘(山)に登った。町中にある標高150メートルほどの丘だ。日没時がラッシュとなる。われわれは6時11分の日没にむけ、5時頃のぼりはじめ、15分ごろには到着した。のぼりの階段がとてもつらい。しかし、後ろから人が来るので、追い越されるのはいやだ。というので必死で昇った結果が早めに着いたというわけだ。

もう人はたくさんいる。頂上のタート・チョムシーという寺院の基礎部分の段は、もうほとんど人が席を占めている。
我々もどうにかおしりをいれこんで座った。太陽はまだ地平線からは高い。次から次に人は昇ってくる。ある瞬間、あっというため息がみんなの口から洩れた。太陽の光が、川面に反射して赤いとも金色ともいえる光になった。

こういう光線をみると、仏様を信じる気持ちにもなりそうだ。これがキリスト教の教会であれば、手を合わせるかわりに十字をきっていることだろう。
光の位置が刻々と変わる。座っていた人たちも立ち上がって、その位置の変化を見届ける。

ヴィエンチャンの夕日もきれいだったが、ここではありがたみが加わる。もうあまり望みはないけれど、世の平安を祈る、という気持ちにはなる。

明日も来る?と友人に聞くと、ううん、今日だけでいい、という。その方が思い出に残る。そういえば、ヴィエンチャンの友人も、この夕日を365日見ていると、そう感激しなくなるのよ、と言っていた。

日没後のメコンは、薄墨のなかに沈んでいった。



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トイレの話

日本ほどトイレが整備されて、それも清潔なところはない。というのが外国人が必ず言うことだ。
先日はNHKのクールジャパンでトイレを扱っていたけれど、出演者のすべてが、自国と比較にならない、と絶賛であった。

私も同感だ。先進国でも、毎年行くフランスでも、トイレ事情はよくない。年齢が加わって、トイレの回数が増えた私としては、外出先にトイレがあることがその日の行動計画を立てる上での条件になっている。

さて、途上国のラオス、トイレの条件がいいとはいえない。それはガイドブックを読むより先に承知している。
若いころなら、朝、トイレをすませて外出、帰宅するまでトレイの世話にならない、ということも可能だったけれど、今や、1時間か2時間に1度はトイレ通いをする。

団体旅行ではない、ことは、こういう場合、大変便利でもある。行きたいときに行ける自由が確保さえているし、トイレタイムに大勢が一度に並ぶこともない。

さて、空港などはどうにかなるが、それでも合格点というには、よほどのおまけ加点されてのことだ。
ホテルの部屋はまずまずだけれど、ヴィエンチャンは新建のホテルだったので、万事にふつうのスタイルだった。

ラオスの常識であれば、トイレは水洗のようだ。昔の和式というのか、しゃがみ込むタイプがもともとらしいのだが、今では座るタイプも多い。ただ、ほとんどがシャワー装備で、ペーパーがついていても、脇のバケツに捨てるようになっている。
これはこれで、流れなかったらどうしよう、と心配することはないので、気は楽だ。ただ、大の場合がちょっと迷う。

私の場合、その時だけ、備え付けのシャワーを使用する。洗ったあとでトイレットペーパーで拭くのであれば、痕跡はペーパー上には残らないし、バケツも臭いということにはならない。

何度かの東南アジアの旅行でこの方式には慣れた。完全にというわけにはいかがないが、そう抵抗感はない。

東南アジアは水に苦労しないから、こういうシャワースタイルがとれる。水に流すというのがどんなに便利なのか。

そこで考えた。下水処理はされているのだろうか。首都のヴィエンチャンや北部の古都ルアンプラバンには下水がありそうな雰囲気はあるけれど、さてどうなのか。確認はしていない。

舟についてはどうだろう。仏窟への舟には、後部に2つのトイレがあり、やはり水洗で、シャワー付きであったけれど、もしかしたら、川に直接流している、という可能性も無きにしも非ず、だった。

途上国での経験をもとに、トイレットペーパー持参したけれど、結局、持ち帰った。ホテルはそこそこ高級であったこともよかったのだろうが、トイレットペーパーの質もよく、フランスよりよほど品質がよかった。

ラオスは製紙業も盛んらしいから、トイレットペーパーやティッシュについても、自国で生産しているのかもしれない。

唯一、現地式というのか、座るスタイルなのだが、ペーパーの装備はなく、ただただ水で処理をする、というトイレに遭遇した。それは滝の見物に出かけたときである。滝のそばだから、水が豊富、というわけでもないだろうが、トイレの床も水でびしょびしょに濡れている。大きなひしゃくがあって、それで洗い、かつ流すようになっている。タンクの水の清潔さもわからない。
このトイレには困惑した。どうしてトイレをすませたかはここには記さない。

日本の洗浄式トイレについては、利用者の絶賛を獲得しているようだが、こういうシンプルでもいいのかも、と思う。

日本に帰って、寝室のトイレが故障していた。13年も前に洗浄式にしたのだが、経年劣化で、温水装置がいかれてしまっていたのだ。
昨夜は、電気装置が働かないから、冷たい便座におしりを浮かせながら、夜中にトイレをすませることになった。

ラオスと違い、この冬の季節、便座が暖かく、お湯のシャワーというのは、日本では必須の条件なのだ、とつくづく実感した。ラオスに戻りたくなった。
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ラオスに行ってきました

先週月曜日に出て、今日帰国、丁度1週間のラオス旅行から帰国しました。往復ともに、夜行便を利用という年寄向きではない日程。どうなることか、心配していましたが、弥次さんも喜多さんも、おなかも下すことなく、無事に帰国です。

それぞれに異なるガイドブックは持ってきたものの、飛行機の中で読めばいいわ、と、事前の勉強はゼロ、そして、飛行機の中はひたすら眠る、という次第で、Vientianeに到着したときは、夜行便の睡眠不足(さすがに夜行便では眠れません)でガイドブックはバッグの中から一度も出ずでした。

ラオスというのはラオ族の国という意味になりますが、他民族国家です。英語での正式名称はLao People's Democratic Republic、ラオス人民民主共和国となります。人民民主共和制、つまりは共産主義の国家になります。

ラオスの政治家と接触のある友人は、そういう政治体制はひしひしと感じるというのですが、町中には、私が想像する、昔のタイプの共産主義的な雰囲気はなく、なにかのんびりした、農民国家というものでした。

東南アジアの国では、ヴェトナム、タイ、カンボジアには行ったことがありますが、雰囲気として、ヴェトナムやタイの首都ほどの賑わいや騒々しさはなくて、少し間の抜けたのんびりしたところを感じました。

文字がチンプンカンプンです。これは東南アジアの言語すべてに言えますが、アルファベットが全く異なります。
でも私の友人は、このラオス語を勉強し、文字も読めるようになっていました。脱帽です。

まずはお金について:
単位はキープといいます。覚えやすいです。ここで初めてコインがなく、紙幣のみ、という国に遭遇しました。もしかしたら、アフリカの国もそうだったような気もしますが、もう記憶がなくなりました。
500キープから10万キープまで、8種類の金額の紙幣が発行されているとのことですが、500キープというのには出会いませんでした。両替商のレートでは1円が70から74キープとでていました。とても金持ちになった気分はいいのですが、金額が大きすぎて、1万キープといわれると、高い!!と言いたくなります。
とうとう最後まで、肝心なことは、喜多さん役の同行友人にまかせていました。

東南アジアでは、まだユーロよりドル、円もあまり好まれないのか、両替商は扱いますが、お店などではドルならすぐに換算してくれ、受け取ってくれますが、円は流通していません。両替商も1万円札を丹念に確認していました。

2000キープからはお札の片面が国家主席のポートレートになっていて、ラオスの数字がまたちょっと読み取れないので、ちゃんと注意していないと、間違いやすいということもあります。

ガイドブックには10万キープのお札は使うところがないというような記載もあったのですが、とんでもない、ちょっと買い物したり、こじゃれたキャフェで、ラオス料理を食べたりすると、10万札は必要でした。

コインがないので、お財布は一つですみます。お札が割と小さく、それを二つ折にしてしまうのですが、小さな財布一つで済むのはとても便利でした。

クレジットカードについては、あまり使い勝手がよくないようです。使える店が少ないこと、3%の手数料はお店ではなく、客が負担することになっていること、またスキャンされる危険性もある、というので、なるべく現金で、それもキープにしたほうが有利な場合がおおい、という友人のアドヴァイスでした。

でも自国の貨幣をよく使っているという意味では、とても好感がもてました。外貨ばかりを欲しがるのか、と思っていたので、意外でした。
でもどうも、キープの価値がわからないので、朝、ホテルのベッドにおくチップは1ドル札にしたりしたのですが、それだと840キープ程度なのかな、と1000キープの方が喜ばれるのか、と思ったりでした。

中国の影響は強くなっていて、街角に中国のイェンだけを扱う両替所もあるようでした。
そのほか、隣国タイのバーツも流通していて、大きなお土産屋さんでは、キープ、ドル、バーツと3種の価格が表記されたところもありました。

ラオスは最貧国の一つに挙げられるらしいのですが、精神的な貧しさはないのかもしれません。首都のビエンチャンと観光都市のルアンプラバンとい恵まれたところだけで結論づけるのは危険ですが、おっとりした国民性はあるのではないか、と思ったところです。
それだけに、貪欲ではないとか、あくせくしないから産業が伸びないということもあるかもしれません。

手持ちのドルが乏しくなって、こちらのほうが、値切ったり(値切りは必要なのです。でもあまりあくどい値段ではありません)、ケチったりしましたが、値切りにしても楽しい交渉でした。

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ラオスに何があるの?

村上春樹の著書の中に、「ラオスになにがあるの」という随筆集がある。
まさしく、ラオスになにがあるのか、みるために今日から1週間の予定で、ラオスに出かける。

ほとんど基礎知識がない。ラオスという国がどこにあるか、ということと、社会主義体制の国である、ことくらいはわかっているが、必要とする知識を100とすれば、5にも満たない程度だ。

そんな程度で、なぜラオスに行くのか。それは3年前、友人が赴任したからだ。赴任というのか、そのおつれあいが赴任なさったのだが、彼女も同行している。
送別のお食事をしたおり、ラオスにお出かけくださいと、誘われた。

そして、彼女の方から、ラオスのガイドブックが送られてきた。これは行かざるをえない、いや行くべきだ、行きたい、と早速同好の女子を募った。11月から3月が旅行シーズンときいて、11月に予定したのだが、つれあいの入院、その後のこともあって、その旅行はキャンセルとなった。

そして今回、ようやく実現にいたろうとしている。妹のような友人、これも旅慣れている、というより、途上国なれした友人と二人旅だ。

旅行の準備に、常なら考えないトイレットペーパーをどうするか、といったことも話題になる。途上国慣れの友人は、いらないわよ、とバッサリ。しかし、その問題にデリケートな私は、1個は持参するわ、とスーツケースにいれておく。

出かける前から、いろいろ思わぬ体験をする。たとえば、ラオスの国内の飛行機については、予約の再確認が必要だとか、荷物の制限がスーツケース15キロ、機内持ち込み5キロなどだ。

フライトとホテルを予約、それも旅行代理店にお任せしただけで、ほかの手配はなにもしていない女性版弥次喜多旅行、しかし、昨日、救いの電話があった。
ラオスの友人にようやく連絡がとれた。というのも私の怠け癖で、旅行の知らせもぎりぎりになって郵便でだし、ラオスの郵便事情などへの考慮もしていなかった。

でも、届いた。空港で待っています、という彼女の声に、ほっとしたのも事実である。

東南アジアは老後に、と若いころは遠距離ばかりの国々を訪問していたが、ようやく始めたアジアの旅、タイやヴェトナム、は行ったけれど、ラオスは未踏、行ってきます。

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恥ずかしい思い込み

このブログを書き始めて、何度、恥ずかしさのあまりの冷や汗をかいたことだろう。
昨日もまた、冷や汗の元を作ってしまった。

わが衣手は露にぬれつつ、というところを「袖」にしてしまった。字数からいって、7、7となるべきだから、袖では5になっておかしいな、と思いながら、衣手がでなかったのだ。

恥ずかしながら、訂正をいれたいのに、いれられない。このまま赤っ恥をかいていくのも身から出た錆、とあきらめざるを得ない。

先日はオーストラリアのアボリジニについてのニュースがあった。一度、オーストラリアには行って、アボリジニの住む村落も訪れたことがある。
オーストラリアの先住民ということは承知していた。

そのアボリジニという呼び方を使わなくするというニュースだった。呼び方をアボリジナル・ピープル(aboriginal people)あるいはアボリジヌ(aborigine)と呼ぶことにするというのだ。日本語にすれば、先住民、あるいは豪州の先住民となるのだという。

そのアボリジニをアポリジニと間違って覚えていた。ボとポ、活字上の小さな違い、老眼になって視力が衰え、この区別がうまくつかない。
ずいぶん以前から誤って覚えていたのだから言い訳にもならないけれど。

一応、英語の単語でも確認しようと思ったが、アポリジニに相当する英単語がでてこない。特殊な言葉なのだろうか、と研究社の大型の英和辞典で調べるが出ない。おかしい、そんなはずはない、と思いながら、広辞苑をみた。アボリジニで出ている。ここでようやく思い違いに気づいた。

こんな恥ずかしさ、何度したことか。寅さんではないけれど、人生恥の積み重ね、なのだ。

昔、年よりがデパートのことをデバートと言っているのを笑っていた。なんのことはない。自分もそんな思い込み、年のせいではない、若いときからたくさんしてきているのだ。

ブログを書くとき、言い訳ではあるが、書き始めると、一挙に書いてしまわないと、パソコンが機嫌を悪くする。そこでおやっと思っても、一挙に書き終わることにしている。
きちんと確認をする、裏をとる、そんなことが必要な仕事をしていたこともあったのに、この体たらく、今日は一日、反省!!!!それに百人一首の再読、だ。
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