SSブログ

かるた考

ふれあい教室という学童保育では、1月、あるいは2月初めに、カルタ取をする。大人数でするから、ふだんの座ってとる、というのではない。
人数的には4-50人なので、中型のかるたを使う。4-5グループにわけ、グループ戦にする。個人戦にするには人数が多すぎるのだ。
ラインをひいて、グループを並ばせる。少し離れたところに、札をばらばらに散らしておく。

この県に住むようになって、「上州かるた」の存在を知った。これはずいぶん昔から存在しているようで、現小学生のみならず、その親、祖父母、ともう数代にわたってなじんできたもののようだ。

よほど馴染みになっているのか、本当に読み手が「あ」と言えば、即、あのついた絵札をとっていく。子供の視力にびっくりする。少し距離をおいて、どのグループからも等距離になるようにしているのだが、全員がもうすでにどこにあるかを知っているかのごとく、走り込むというより、すべりこんでくる。

まだ小学1年と2年生なのだが、家庭でもきっとこのかるたを遊んでいるのだろう。

こういう県民の共通するものがあるというのは、うらやましいことだ。私の出身県には存在しない(と思う)。
かるたといえば、我が家では百人一首だった。我が家は大人の多い家庭だったせいか、子どもの遊び道具というのはあまりなかった。
大人に混じって百人一首をとるのだが、子どもといえど容赦がなく、こちらは意味がわからなくても、覚えていくほかはなかった。

第一首から覚えるから「秋の田の」が「わが袖は露にぬれつつ」とくる天智天皇をまず覚えたのだが、子どもの視力で、わが袖をマークしていると、露ではなく雪をとって、お手付きだと言われたものだ。わが袖は2首あることを教えてくれなかったのだ。

競技かるたはとても手がでない。先日、テレビで、ラヴ ジャパンという番組をみていて、滋賀県に住む外国人を取材していたが、その中に百人一首を自国語に翻訳しているという女性がいた。
彼女は競技かるたにも挑戦している。世界各国で競技かるたが行われているのだとか。

かるたは日本語を学び、郷土愛をはぐくみ、反射神経を養う恰好の遊戯、というより文化そのものだろう。

nice!(0)  コメント(0) 

豪雪の思いで

福井、金沢と日本海側の地域に豪雪被害が起きている。テレビの映像を見ながら、この景色、数年前に経験したと、豪雪の年を思い出している。

あの豪雪、どうやってしのいだのだろう。まだつれあいもいるときだった。朝、玄関のドアを開けたら、そこには雪の壁ができていた。幸い、ベランダにまでは雪の壁はなく、外の気配をどうにか感じることができた。
階段は階段として存在せず、1メートル50センチはある雪の塊で、隣のガレージの屋根とくっついていた。

プラスティックのちりとりで、少しずつ、少しずつ、雪を庭の方に放り投げる形で階段の雪かきをした。何の音も聞こえず、我々だけが取り残されたように思える瞬間だった。

我が家の前に除雪車がいつ来てくれたのか、1車線しか除雪されていない道をどうやって運転したのか、まだ数年前のことなのに、もう記憶がさだかではない。

福井の道路の様子をみていて、ああ、こんな状態が1週間以上続いたっけ、と記憶をたどる。あのときは大変でしたよね、と、つれあいに語り掛けるけれど、返事はない。
二人だから耐えられた。一人ではどうなのだろう。

雪は重い。あの時もどこもかしこも雪が積もって、いつ、押しつぶされるか、こわかった。

日本海側はいつも豪雪地帯、北海道も雪は多かろう。今年、私の住むところは雪の降り方がやさしい。積もっては消えてくれる。このやさしさのうちに冬がおわってくれればいいのだが。

nice!(0)  コメント(0) 

疫病いろいろ

ずっと続いている睡眠障害だが、この頃、気持ちの切り替えをするようになった。
一回、眠ったあと、目が覚めるのが12時過ぎだ。一度目を覚ますと、やっぱりトイレにたつ。
そこで、天井の照明をつけるかわりに、テレビをつけている。

12時すぎのテレビ、これは私にとっては未知の世界(大げさだが)だった。深夜のテレビ番組など、何も知識がない。
だいたい、地上波のNHK総合とEテレ、BSの101と103をつけてみる。

昨夜は地上波の総合だったか、BSの101だったかで、Epidemie(疫病)についてドキュメンタリーを放送していた。

まずはアフリカのエボラ熱、この感染源は蝙蝠なのだそうだ。蝙蝠が持っている病原菌を蚊が媒介して、人間へと移り、疫病として爆発するのだという。

画面は変わって、過去のSARSや鳥インフルエンザ、豚インフルエンザについて報告している。そういえば、SARSなんて、入国拒否されることもあったとか、入国の際、体温を測る機械の前を通らなければならなかったっけ、と思い出す。

最近ではジカ熱、リオのオリンピック前にブラジルで大流行をしていた。妊娠中の女性がジカ熱に感染すると、胎内の子にそのウイルスが作用して、小頭症の子が生まれるのだ。

最後はインフルエンザだ。インフルエンザといえば、あまりに身近すぎて、これも疫病?と思うけれど、立派な疫病で、罹患した患者数は他の病気に比べ、桁違いに大きい。
それにウイルスの変化も激しいのだ。

先日、インフルエンザのため学級閉鎖していた1年生が再登校したところで、ふれあい教室という放課後の活動を手伝った。その時、リーダーの人が、今日は帰ったらすぐに手洗い、うがいのほか、着ていた衣服をすぐに洗濯するように、と注意を受けた。
そんなに予防に気をつかっていたそのリーダーがインフルエンザになって、今日のふれあい教室をやれない、かわりにやって、とメイルをよこしてきたのだ。

インフルエンザ、侮るべからずだ。ワクチンを接種していても、無事とは限らない。また、風邪の一種でしょ、と簡単に扱っていては大変なことになる。

それはさておき、この番組を見ながら、ペストは終わったけれど、マラリアは相変わらずだし、エボラと同じぐらい危険な風土病はまだまだあるし、エイズも終わったわけではない。

アフリカで何もひっかからなかったのは、僥倖にすぎない。これからだって、どこでどんな疫病が待っているかわかりはしないのだから、と疫病の名を数えているうちに、また眠ってしまった。
nice!(1)  コメント(0) 

キャッシュレスの時代

このところ、キャッシュレスを扱うテレビの報道が増えた。時宜にあっているのか、とつい思った。
というのも、わが身にもその影響の一端がでてきたからだ。

取引銀行から、国際キャッシュカードを変更しては?という案内があった。これまで保持していたカードの国際の部分が3月までの効力しかなくなる、というのだ。そしてその後は、デビッドカード併用のものにすれば、外国でも利用できるし、デビッドカードとして、国内ではキャッシュレス的な生活ができる、ということだ。

ここに住んでいると、ほとんどキャッシュを使わない。せいぜい、毎朝のコンビニで買う新聞代、郵便局、ちょっと足りないものを買う、といった程度で、月に1万円もいらないのではないだろうか。週に1回、生活のものを購入するときはカードを使う。外食はしない。ほかは引き落としがほとんどで、家にいて現金を出し入れすることは少ない。

でも、世代からいって、現金のない生活は不安でしょうがない。なにかがあるときのために、と特につれあいと暮らしていた時は、それなりに準備をしていた。

しかし、世の中、たしかにキャッシュレスはすすんできている。北欧の国では、現金での支払いを拒否するお店が増えたのだとか。本当に少額でもカードでの決済ができるし、それが好まれるらしい。

フランスでもカードがいろんなところで通用するけれど、あまり少額であれば、現金でお願いします、と言われた。例えば花屋さんなどだ。

それに教会での献金は現金でなきゃね、と友人に話すと、その友人は、日本のお寺や神社では、さい銭箱にカードでお賽銭を払えるようになっているところがあるのを知っているか、という。
初詣のお賽銭で、何千万円というお金が集まるような神社仏閣では、お賽銭の処理も大変で、特に500円貨が重くて問題なのだそうだ。一つ一つを数えず、機械に通すのだろうが、人を雇って(銀行から派遣にしても)、大変な作業となる。そのため、カードで払ってくれるのは大助かりなのだとか。

飲食店でも、会計の煩雑さをなくすため、あるいはおつりを用意する必要がない、といった便利さのために、少額でもカードで払うことができるお店が増えているのだとか。

リヨンからパリに来た姪に、教会の献金用に小銭を準備して、と言ったら、現金は持ってきていません、という。それこお、デビッドカードで何でも払うのだとか。それにびっくりした私は時代遅れだったのだろう。

財布の中の現金を気にしなくなったのは、この数年来だ。そのころから現金を使うことは少なくなった。
この田舎の地で、どれだけキャッシュレスが進むのか、まだまだ現金主義から抜け出せないでいるけれど、ある日、札入れと小銭入れがハンドバッグにはいっていなくても平気という日も来るのだろう。

nice!(0)  コメント(0) 

ネスカフェマシン、修理終了

1カ月以上、留守にすると、いろんな不都合が生じる。パソコンというかIT関係は、操作の手順を忘れたり、パスワードがわからなかったり、いろんなことがある。

コーヒーをいれようとして、ネスカフェのマシンが壊れていた。一度、壊れていると思ったら、電気の使用量がオーバーして、ヒューズが落ちたためだったこともあり、ほかの電気製品のコンセントを抜いたりしたけれど、今回は水がもれる。原因が違うことは私にもわかった。

長い不在で、マシンの中の水分が凍っていたということもあろうかと、お湯通しをすると、お湯だけなら通る。しかし、カプセルをいれて、カップをおいても、そこにコーヒーはたまらない。

1日目はそこでほったらかした。翌日になれば、機械も機嫌を直して、うまくいくかも、と思ったからだ。
そうはならない。結局、カプセルを数個、無駄に使ってしまった。

次は、友人に相談だ。友人宅では使っていないので、アドヴァイスを得られるかは疑問なのだが、なんでも相談することにしている。
友人のアドヴァイスは、買ったお店に相談しなさい、という、至極当たり前のこと。保証書をさがしたら、ネスカフェの電話番号が書いてある。そこに相談することにした。

応対の丁寧なこと。すぐにつながるのもうれしかった。フィルターが詰まっている可能性もあるので、新しい歯ブラシでこすってみて、と言われる。こすった挙句、またカプセル数個、無駄にした。
ダメな場合は、またお電話を、と言われていたので、電話する。別の人が対応してくれるが、その人も親切丁寧だ。

結局修理をお願いすることに。代替えのマシンをお届けします。その箱を使って、そちらのマシンを送り返してください。修理後、また同じ方法で、お届けしますから、代替えマシンをご返送ください、という。
なんともスピーディな対応だ。(その分、修理のケースが多いのだろうか?)宅急便に代替えの準備もしているらしい。

電話の翌日には代替えマシンが届き、それから3日後には修理されたマシンが届いた。

ああ、貴重なカプセル、何個ロスしたことやら、これを電話で言うのを忘れた、と思ったが、その必要もなかった。ちゃんとカプセルが同封されている。それも相当数だ。

そして保証期間内というので修理費ゼロ、宅急便の費用もゼロ、保証期間は3年という。この6月までだ。こわれても困るけれど、壊れるなら6月までにしてね、と戻ってきたマシンに宣言した。
nice!(1)  コメント(0) 

Super Bleu Blood Moon

昨日の満月、そして皆既月食は、日本だけではなかった。BBCの放送でも、この話題が大きく取り上げられていた。
3つの点で、特別なのだそうだ。その3つがなんであったか、また思い出さない。

ひとつには地球に近く、普段より20%は明るいのだとか。
それが1カ月のうちの2度目の満月であるためなのか、その因果関係を聞いていたのだが、放送が終わると同時に忘れてしまった。
そのスーパー・ブルー・ムーンが皆既月食のため、赤く輝く。それを血、ブラッドと称するのだという。

日本ではまとめて呼ぶとき、なんと呼ぶのだろう。ただ、皆既月食とだけで、特別、このお月様の呼び名はなかったような。
お月様の呼び方はたくさんあるのに、昨日の月を一言で表現することはないのだろうか。

フランス語でなんというのか、これは宿題だ。

nice!(1)  コメント(0) 

思い違いが重なると。。。

取引銀行から印刷されたはがきが届いた。そこには!国際キャッシュカードサービスは2018年3月末で終了となります、とある。

なんでこんなに突然に言ってくるのか。ちょっとパニックになった。外国で使えなくなるのか、と解釈したのだ。
外国で買い物ばかりでなく、時には現地通貨も引き出すことがある。この頃は日本で準備していくが、いつ、直接引き出すということもありうる。

銀行はデビットカードに切り替えませんか?と次に書いてある。デビットカードというのは、テレビなどの宣伝で、少しは使い方を知っている。少額であってもこれで支払えるし、クレジットと違い、即座に引き落としになる、と解釈している。

その辺で、クレジットカードとすっかり思い違いをしていた。

銀行へ行った。そのはがきにはパソコンで処理できるとあるけれど、私にはできない。いらいらするのが目にみえている。直接主義なのだ。

フロアには案内の女性がいて、すぐに声がかかった。用件を話す。インターネットバンキングをご利用でしょうか、との問い。しません、と短く返事をする。その思いは、(インタネットバンキングをしているくらいなら、直接銀行へくるわけないでしょ)だ。

そこでいくらかの会話をしていると、私はまるっきりクレジットカードを国際キャッシュカードと間違っていたことがわかった。キャッシュカードだけならわかるのだが、国際がつくと、まるっきり別物に考えていた。
フロアレディに言われてキャッシュカードを出すと、internationalとついている。お客様のカードは国際キャッシュカードでございます、と言われてしまった。

この頃、この銀行の口座は、クレジットカードの引き落としだけで、現金を出すこともなく、国際キャッシュカードとしての機能を持っているなんて、気をとめたこともなかったのだ。

海外でのことはクレジットカードでこれまで通りにできる、というし、このキャッシュカードは海外ATM現地通貨引き出し機能は使えなくなるが、国内のキャッシュカードとしての機能は持ち続ける、というので、それでいい、と思った。

しかし、銀行の人は、このキャッシュカードが非常に古いこと、つまり銀行が合併して現在の呼び名になる以前の銀行カードなのだ。
新しく作り替えることに異存はない。しかし、そこでまた問題だ。銀行に届けた印鑑が必要というのだ。旧カードの保持者であり、身分を保障するもの(免許証など)も持っているけれども、それでは十分ではない、という。

なんだかんだと、十分にいらいらする会話のあとで、結局は勧められた手続きが完了しないというので、私のいらいらが募っていった。
結構、切り口上の話し方をしたのだと思う。例えば、大変お待たせいたしました、という言葉にたいして、はい、大変お待ちしました、といったふうに。

銀行を出て、ちょっと考えた。キャッシュカードに国際がついていたのは、銀行としては当たり前の表現なのだろう。それを国際クレジットカードと誤解したのは私だ。
古すぎるキャッシュカードを新しくしては?と勧めるのも、銀行側としては当たり前のこと。
そこに銀行印が必要なのも、銀行として当然の手続きだろう。

遠隔地に住んでいるから、銀行まで来るのが大変だ、というのは私の個人的事情。年よりだから、インターネットを使えない、というのも私のサイドの問題。年よりでもなくなったつれあいはインターネットバンキングを利用していた。

あーあ、きっと私は今日の嫌な客、ワーストテンの一人だろうな、と反省したのである。


nice!(0)  コメント(0)