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ラオスは仏教の国

ラオスは予想した以上に仏教の国だった。首都のビエンチャンでまず目立っているのが、金色に輝くタートルアン大仏塔である。金メッキと思うのだが、本当の金箔を貼ってある、ともいう。貧者の一灯どころではない。国民所得からいえば、最貧国の下から数えていけるというのに、お寺への寄進にはためらいがないのだそうだ。

首都にして、観光名所というのはお寺さんがほとんどだ。黒の仏塔と呼ばれるタート・ダム、ヴィエンチャンの最も古いとされるワット・シーサケート寺院には、本堂をめぐる回廊に大小さまざまな仏像が安置されているが、その数は7000体以上という。

ただ、その数に驚いてはいけない。その形がほとんど同じというのに驚いた。日本では仏像といっても、阿弥陀様、如来さま、なにやらかにやら、仏教に通じていないにしても、形状の違いがいろいろあること、上品上生、上品中生、上品下生、といった手や指の違いが認められるのだが、ここではほとんど同じ形で、大きさの違いがあるだけのようにみえる。

国民はとても信心深いという。寺院には大勢の人たちが参詣していた。仏像の前で、うやうやしく拝礼する。手にはお供えものが握られている。長い線香、短い蝋燭、それに供花として作られた花、それらを手に、三礼三拝する。
それらの態度の敬虔なこと、ただの観光で立ったままいることが恥ずかしくなる。

ルアンプラバンではもっと顕著だった。中心の通りはずっとお寺さんが並んでいる。まさに寺町だ。
オレンジ色の法衣を着たお坊さんたちが朝の托鉢をすることでも有名だ。

東南アジアの国々の仏教は、はたして日本でも通じるのだろうか。というより、日本の仏教はグローバルなのだろうか、と考える。
西と東の本願寺、それに支配され、檀家制度に依存してきた仏教というものに、信仰の本質が残っているのか、また残っているにせよ、それを若い人にも浸透させられるのか。


ラオスについても、形式主義なのかもしれない。ビエンチャン郊外にあるブッダ・パークには、多種多様な仏像があるけれど、何のための仏像(つまり学問のためとか、薬師如来とか)かわからないまま、形の面白さで写真をとってしまう。

これが仏教国たるゆえんなのかどうかは、たった5日間の滞在で判断できることではないが、とげとげしい雰囲気が感じられないこと、また挨拶が両手をあわせて拝む形をとることも加わって、ラオスの魅力となっている。


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