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メコンの夕日

今回のラオス旅行では、ヴィエンチャンとルアンプラバンの2か所を訪れたのだが、そのそれぞれですばらしい夕日をみることができた。

私は日の出より日の入りの方が好きだ。そういうと、朝起き苦手の人だからね、とつれあいが言っていたことを思いだす。そう、朝起きは大の苦手で、アンコールワットのご来迎も、オーストラリアのエイヤーズロックの日の出もパスした。

日没というのは、これで夜の闇が訪れる、という意味では、大人の味がする。過ぎるほどに大人になった私には日没のほうがいい。

夕日そのものもきれいだが、赤い光が海や川に反射して、きらきら赤く光るさまがだいご味なのかもしれない。

ラオスで有名な日没をみた。一つはヴィエンチャン、もちろんメコンの川沿いからだ。川沿いに家のある友人が、夕日を自宅からみましょう、と誘ってくれたのだ。テラスに座って、対岸に沈む夕日をみつめる。対岸はタイなのだという。農村になっているのか、家があっても低いので、地平線ぎりぎりの感がある。

夕日の美しさは、そのものより、その輝きをかわって表現するものにあることがわかった。川面の光が場所を変え、明るさを変え、色彩を変化させていく。

そうか、この日没は、この川のいたるところでみることができるのだ。

そしてルアンプラバンでは、有名なプーシーの丘(山)に登った。町中にある標高150メートルほどの丘だ。日没時がラッシュとなる。われわれは6時11分の日没にむけ、5時頃のぼりはじめ、15分ごろには到着した。のぼりの階段がとてもつらい。しかし、後ろから人が来るので、追い越されるのはいやだ。というので必死で昇った結果が早めに着いたというわけだ。

もう人はたくさんいる。頂上のタート・チョムシーという寺院の基礎部分の段は、もうほとんど人が席を占めている。
我々もどうにかおしりをいれこんで座った。太陽はまだ地平線からは高い。次から次に人は昇ってくる。ある瞬間、あっというため息がみんなの口から洩れた。太陽の光が、川面に反射して赤いとも金色ともいえる光になった。

こういう光線をみると、仏様を信じる気持ちにもなりそうだ。これがキリスト教の教会であれば、手を合わせるかわりに十字をきっていることだろう。
光の位置が刻々と変わる。座っていた人たちも立ち上がって、その位置の変化を見届ける。

ヴィエンチャンの夕日もきれいだったが、ここではありがたみが加わる。もうあまり望みはないけれど、世の平安を祈る、という気持ちにはなる。

明日も来る?と友人に聞くと、ううん、今日だけでいい、という。その方が思い出に残る。そういえば、ヴィエンチャンの友人も、この夕日を365日見ていると、そう感激しなくなるのよ、と言っていた。

日没後のメコンは、薄墨のなかに沈んでいった。



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