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フランス人の公徳心

フランスで嬉しいのは、レストランで喫煙席と禁煙席がきちんと分かれていることだ。喫煙者は寒いテラス席、夏場はいいかもしれないが、冬は隙間風で寒そうだ。

買ったことがないので、正確な価格は知らないが、フランスのタバコは高いらしい。それでも吸っているひとはいる。ビルの裏側の出入り口などが喫煙所になっている。屋内では許されていないらしい。

また、歩き煙草の人が多いのも目立つ。東京ではいろんなところで、歩きながらの喫煙が禁じられたなど、規制の結果、あまり見かけなくなったようにもおもえる。
腹がたつのは、ポイ捨てをする輩が多いことだ。若い人が、ポイと捨てるところの出会わせると、ちょっと待ちなさい、吸い殻を捨ててはなりません、と注意したくなる。

チューインガムと合わせて、このポイ捨ては取り締まりされるらしい。当然のことだ。

犬の糞も多く見かける。以前は糞を吸い上げるチューブのついたオートバイをよく見かけたし、各所に犬のふんをさせる場所の指定があったり、捨てる場所の案内があったように記憶しているのだが、今回はそれが目に入らない。

犬の散歩をさせている人は多いけれど、排泄物を処理している人は見かけない。

フランス人の公徳心も一進一退か、雨の多いこの頃、土と糞の区別がつかなくて、つい踏みそうになって、これまた、ついメルド、と罵ってしまった。
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マフラー大流行り

パリは東京より寒い。我が家に比べれば暖かいはずだが、ここにいればやっぱり寒い。
寒冷地モードで来たのだが、パリでは、頭、首を保護している。寒さ対策としては、いいやり方だ。

老若男女、多くの人が、マフラーというのか、ストールというのか、いろんな形状のものを巻いている。時には、首にぐるぐる巻きつけても、足元までマフラーの先が垂れている人もいて、これはなんじゃ、と思ってしまう。材質もいろいろ、いいんをしているな、と思うのは、やっぱりカシミアだ。

色使いもセンスが伺われる人、そうでもない人、パリだからといって、全員がファッショナブルなわけでもない。

我が家にはいろんなストール、マフラーを持っているのだが、持参したのは1枚だけ。こんなに多彩に楽しめるなら、いろいろ持ってくればよかった、と思うが、やっぱり荷物になるから無理なことだ。

父には、連れ合いが使っていた紺とグレーが表と裏になっているカシミアの長いマフラーを持ってきた。プレゼントした紺のダウンジャケットに合うだろうと思ってだ。気に入った、の一言もないけれど、外出のたびに、二重にして首に巻いてやると、満足そうにしているから、気に入ったのだろう。

東京とパリの違いを見るのは、やっぱり冬の服装かもしれない。東京では、地下鉄や電車が暖房が効いていることもあって、外套は薄いものが多い。こちらではしっかりした生地の外套を着込んでいる。
男性のオーバーコート姿がとても自然だ。

帽子も必需品、父は必ずボネをかぶる。毛糸で編んだ、頭をぴったりくるむものだ。時代遅れでお洒落ではない、と思ったが、若い人でも被っている。彼らはスキー帽みたいな印象だが。
少々pの雨では傘をささないこちらのひとにとって、フード付きのコートか帽子は必需品である。

これらの必需品を備えたからといって、パリモードというわけではないな、と自分の姿を再確認した。
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硫黄島からの手紙Lettres d’Iwo Shima を仏語みる

昨日はテレビの番組を見ていたら、アルテという局で、日本映画をやることに気づいた。

イウォー島と読んでなんのことかと思ったが、すぐに
硫黄島のことだとわかった。

これは日本の制作ではない。クリント イーストウッドが監督した作品だ。どんな映画なのか、みてみたかったけれど、田舎暮らし、とうとう見ずに終わった。飛行機内でも巡り合わなかった。

サウンド オブ ミュージックを仏語で見た以上に奇妙な感覚だった。演出も日本人からしてみれば、不自然なところがあるし、日本人の作品でないな、と思えるシーンが続出だ。

戦争ものはあまりに悲劇的か、暴力的なので、あまり見たくない。でも、最後までみた。

これが硫黄島の戦闘についてのアメリカ側の解釈なのか。
この映画は、事実を再現しているのか、
わたしにはわからない。

先日も第一次大戦や、フランス革命などの歴史的な事件についておしゃべりしたけれど、断片的なものではあるし、個人的な意見でもあるから、それらの意見の是非は問えないし、まずは私はわからない。

この歳になっても、わからないことばかりである。
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お酒をやめられない父

昨日の父の酒量はどのくらいだったのだろう。昼ごはんに私はいなかったので、昼食の席でどれくらいワインを飲んだのか、わからないが、11時には大好きなポルトーをアペリティフで飲んでいた。

夕食ではメインがスモークサーモンだったので、お手伝いさんがワインを求められて、冷蔵庫から白ワインを出した。デザートの時まで、3杯飲んだ。

この量が多いのか、少ないのか、または適量なのか、判断ができない。甥や姪達は、これくらいいいじゃない、と言う。彼らと食事の席を共にすると、父の好みのワインを準備したり、レストランでは注文したりする。そしてグラスが空になれば、そのままにはしていない。

父はご機嫌でグラスを傾ける。時にワインについての蘊蓄が披露される。特にお気に入りの言葉は、ナーンク エスト ヴィヴァンドゥムだ。ラテン語で、今こそ飲む時だ、という意味らしい。

95歳の年齢、成功した彼のキャリアから言っても、酒を絶たせる理由はない。

しかしお手伝いさんの言い分は違う。お医者は薬との関係で、昼、夕食時に1杯ならいいでしょう、と言っているらしい。ところが、2杯では収まらない。3杯は普通である。時として、アペリティフが加わる。

フランス人にとって、ワインは水がわり言うけれど、ワインは水ではない。アルコール飲料だ。益もあれば害もある。父の場合、害ばかりが目立つ。
粗相は毎日だ。お手伝いさんが毎朝悲鳴をあげる。その声の具合で、粗相の程度がわかる。

なによりも脳の働きが落ちて行くのが怖い、とお手伝いさんは言う。記憶力の減退、なんていう表現では生ぬるい。言ったこと、言いかけた事すら忘れている。手も硬直したり、震えたり、字をうまくかけない。

これらはアルコール中毒の症状だとか。フランス人には長年の飲酒で、アルコール中毒になった人が多いとは言うけれど、父もその一人か、と思うと悲しい。が、現実はそうだ。
食卓で飲みすぎを指摘すると、睨みつけられたり、罵詈雑言とは言えないが、結構きつい、汚い言葉が返ってくることもある。

健康を考えれば、やめさせたい、でも、これまで生きてきて、楽しみのない日々、好きなものを断つのもかわいそう、とお手伝いさんに、いくばくかの寛容を求めている。お手伝いさんの表情は厳しいままだ。


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映画「あん」

あんという映画を見た人はいるだろうか。私はたまたま、文庫本で読んだ後、フランスへの飛行機の中で見た。

樹木希林が主役で、田舎か郊外のひなびたところで、ここでお菓子の名前を失念した、お菓子屋の経営を引き継いだものの、材料も質が悪く、売り上げが落ちた。そこに樹木希林演じる女性が現れ、餡作りを引き受けるのだ。

丁寧につくられた餡のお陰で、売り上げは増える。口コミで客も広がって行く。いいことばかりではない。この餡づくりをしている女性の身元も知れる。
もう完治する病気であるが、以前は完治不能の病気として、隔離されていた。

この女性は餡作りから身を引き、いつか死んだことがわかる。

風景も美しく、とても印象に残る映画だった。この映画がフランスでも上映されたらしく、出会ったフランス人の数人が感激したと、私に言う。

2つのことで印象に残った。1つは、こういう映画が好まれたことと、病気を表現するのに、日本では今、禁じられている古い病名を使ったことである。
彼女らに差別の意識はないのだろうが、日本での意識とは違う、と実感した。

まだお菓子の名前が出てこない。
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世界難民デー

昨日(1月14日)は世界難民デーだった(らしい)。不確定な言い方をするのは、教会で、ミサのあとか前に、そういう言及があったのだが、メディアでのチェックをしなかったからだ。 難民問題については、日本に比べてフランスの取り組みはすすんでいる。と言っても、難民の数は桁違いにおおい。 フィガロの記事で読んだのだが、パリにTrottoir des 40 000とよばれる場所があるそうだ。4万人の舗道とでもいうのだろうか。 ヴィレット大通りに難民の受け入れ事務所があるらしいのだが、その受付を待つため、4万人の人が舗道に寝泊まりして、受付を待っているのだとか。 悲惨なことだ。母国ではもっと悲惨であっただろうが、ようやくたどり着いた、救われると思っていた国でも、まず、手続きをするために、露天での起居をしなければならない。 住民の苦情もあって、別の場所に移転は決まっているが、そこでも同じことになるのはみえている。 フランスは難民に寛容な国、とは言われるが、難民の数は寛容でありうる範囲を超えている。 私の住む地域は、日本でいう山の手で、経済的にも恵まれた人たちがゆったり生活をしている。 この地区に足を運ぶ勇気はもうなくなった。せめてと、教会の献金を多目にしたものの、どうも気持ちは収まらない。 PADA:Plateforme d’accueil pour demandeurs d’asile : 127, bd de la Villette
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サウンド オブ ミュージックをフランス語で見る

今日は午後からただ一人の名ずけ子の家にいった。滅多に会えないので、今回、最後にもう一度、というわけだ。

昼ごはんのあとで、melodie de bonheur を見ようという。なんの映画かわからないが、ワインで体も動かないし、ソファに座っての映画鑑賞、日曜日の午後としては申し分ない。

さて、始まって、なんだ、これはサウンド オブ ミュージックじゃないの、と表題の違いにびっくりだ。
そして、フランス語に吹きかえられている。ジュリー アンドリュースの声とちがう。少し老けた声だ。

さて、ドレミの歌はどうなっているのか。
Do le do a non dos
Re rayon de soleil d’or
Mi c’est la moitie d’un tout
Fa c’est facile a chanter
Sol la terre ou vous marchez
La l’endroit ou vous allez
Si c’est siffler comme in merle
Et come ca on reviens a Dooo
となっている。

日本語訳ともちょっと違うし、英語の原文とも違うけれど、ドレミファソラシドはちゃんとなっている。

エーデルワイスの歌もフランス語では違うなーと思いつつ、変わった雰囲気を感じつつみたのである。

フランス人の家庭にどっぷり浸かると、おや違うな、と思うことにぶつかって、面白い。
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展覧会をみて回った1カ月

昨日はプティパレのパステル画展にいった。いつも行列をして長時間待たなければならないので、土曜日ということもあり、相当の覚悟で行ったのだが、肩透かしをくらった。

行列がなく、すんなりはいれる。料金も10ユーロと安い。会場に人は少なく、ゆっくり自分のペースで回ることができた。
といっても、説明書きはすっ飛ばす。感性で見る、と称しているが、知識がないだけだ。
連れ合いがいたら、どんなに喜んだだろう、というような絵がたくさんある。彼の説明を聞きながら見ていけたらよかったのに、と思いつつ、彼と同じペースで鑑賞したことは無かったことに気づいた。

このプティパレ、常設の展示室も、また、1900年のパリ万博時に建てられたこの建物を見るのも興味ふかい。

実は、一昨日はグランパレのゴーギャン展に行っている。プティパレと間違ってグラン・パレの行列に並んだのだ。途中で気づいたものの、ゴーギャンも好きなので、それはそれでめっけものだった。

これでいくつのミュゼをみただろう。いつも、パリにきても、こんなに動きはしない。今回は少しヤケクソみたいなところがあった。
私はまだ生きている、という確信を持ちたい、そんな気持ちもあったけれど、これだけ見ると、もうここまで、と言われそうな気もする。

パリの地理にも記憶が戻り、地下鉄の乗り換えもだいぶスムーズになった。次の展覧会スケジュールを見ながら、まだ見るものがあるのかと、うんざりもしている。
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娘の言い分

この家の娘が3泊して、ようやく帰っていった。この3日間、緊張しっぱなしで、ぐったりしている。

なぜにこうも緊張するのか。彼女の性格にもよるのだが、彼女1人が私のこの家での存在を好ましく思っていない、ことを承知しているからだ。
なぜ好ましくおもわないのか、彼女の心理もわかる。日本でもそうだが、周りは無責任にいろいろ口を出す。当事者の苦労を無視はしなくても、正当な評価を与えない、評価の基準が異なる、評価のもとになるものが違う、といろいろあるが、彼女の場合、周囲のほとんどが批判している。

そんな中、遠く日本からわざわざ介護のため(実際は何もしないのだが)に来たという私は大もてだ。父の甥や姪がこぞって電話をかけて来て、食事に招待してくれる。
これはもちろん父があってのことだが、大切にされて、いい気分になる。

かたや、娘は国内に住んでいて、彼女の言によれば、2週間に1度、上京して、様子を見ているというのに、誰も評価してくれず、そばにいる時間がすくない、と批判のタネになっている。

今回、この家で起居して、夜の介護がないのが心配になったのだが、娘によれば、それは父親の希望でもあるという。独立心の強い人で、夜くらいは、1人になりたいのだそうだ。人に何や彼や、指示されるのは嫌で、部屋が違っていても、人の気配を感じるのが嫌、らしい。

それはみて取れる。私の滞在を喜ぶ1面、鬱陶しがっているような素振りも見える時がある。

娘は父親の心理的な部分を尊重するというが、肉体的には、もう無理なのではというのが、甥や姪、そして私の判断でもあるが、決定権は娘にある。

娘に、あまり長い滞在は好ましくないと釘を刺された。従妹はは無視していいのよ、と言うけれど、そうもいかない。

父のボケ度も進んで来た。どこまで、彼の意向を尊重できるのか。特に、アルコール摂取について、抑制できるのか、なかなか難しい。

日本に帰って、じっくり考えることにしよう。
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ソルドが始まった

1月になると、すぐにソルド、セールが始まる。以前なら血が騒いだところだ。
しかし、ソルドでいい経験はない。この時とばかりに行ってみるが、自分のサイズや、好きなスタイルはなくて、残り物の中から、これなら、というものを選ぶのだった。品物によって、最大50パーセントの割引になるが、割引率のいいものはあまり売れていないもの、もともと売れ残りというわけだ。

高級ブランドの店で、無理をして買ったものの、袖を通したのは数回、なんていう服が、今でも数着残っている。着ていない、古ぼけていない、未練が残る、捨てられない、と繋がっている。

せっかくソルドの季節にいるのだが、もう買い物に気持ちが動かない。
今日はソルドが始まって、最初の土曜日、人がわんさと群がっている、と言われて、その見物を兼ねて、街中に行った。
しかし、高級品の店など、閑散そのものだ。入り口に控えている制服の男性が暇そうな顔で、外を見ている。

モノプリといったアラン フィガレというシャツの店に行ってみた。毎回、シャツを買うのだが、いつも5月なので、夏物になってしまう。冬の品揃えをみてみたかったし、50パーセントもの割引の中で、気に入ったものがあれば買ってもいい。

がっかりだった。客もいない。店員が大きな声で私語を交わしている。一通り見て回ったが、声もかけてこない。付きまとわれるのはいやだが、何かお気にめしたものはありますか、の一声はかけてほしいものだ。

前回は、とても好感の持てるロシア人の売り子が、親切に応対してくれたので、3枚も買った。

通りのソルドの札が貼ってある店は多いけれど、客はいない。

何をどこで買えば、ソルドの醍醐味が味わえるのか、私のフランス実学はまだまだ初心者の域を脱せないでいる。
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