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原子力発電への不信感

私は割と単純な人間で、すぐに情報に左右される。特に書かれたもの、政府の資料や、新聞、まあ、大手のものに書かれていると、すぐに信用してしまう。

だから、1975年ごろ、エネルギーショックが起きたころ、フランスでは原子力発電を全エネルギー生産の75%くらいまで増やす、というような目標をフランス政府資料でみると、原子力発電は、クリーンエネルギーで、すばらしいもの、と信じ切っていた。

綾小路公麿の表現ではないが、それから数十年、東日本大震災のフクシマ原発事故から、というよりチェルノブイリ原発事故、あるいはそれより前から、原子力発電の安全性に不安を感じるようになってきた。

それはフランス電力EDFの年次報告を読むようになったこともあるし、安全だ、安全だとヒステリックに政治が叫ぶのが、ちょっと行き過ぎではないか、いかがわしさがあるのではないか、とおもわせてしまったこともある。

だからといって、当時代替エネルギー、あるいは再生可能エネルギーとして扱われた、太陽熱、潮力、風力エネルギーについても、発電量の問題、環境破壊など、副次的な問題を考えると、けっして解決策とは思えなかった。

今回、原発汚染水のことで、またまた原発否定の気持ちが強まっている。以前から増える汚染水をためるための、貯水槽や、凍土壁をつくって、汚染水が海に流れないようにする、などと、原始的あるいは効果のほどがあまりわからない方法がとられていった。
貯水槽は事故から約7年半で、溜まり続けた汚染水は92万トン、たんくは900基になるのだとか、タンクの増設は2020年末までが限界になるのだという。

これを薄めて海に放棄する、という解決策が提示され、公聴会で拒否されている。
当然なことだ。海は広いし、大きいけれど、たとえ薄められたとしても、放射性物質、そうそう消え去るものではない。

原子力廃棄物の最終処分場どころか、中間処分場も受け入れ場所がない、というのに。

とはいえ、火力発電所はCO2を増やし、水力発電所もダム建設、あるいは施設の老朽化、風力発電はあの風車のもたらす音や空気振動の害、太陽光パネルを建設することによる環境破壊、なにもかもが一長一短、完全にやさしいエネルギーというのはない。

いまはいい。これで冬になると、暖房なしではいられない土地だ。その熱源はなにを使うか、電気は最大のものだ。その発電源がなんであるか、考えると、悩ましい。

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夫の姓、妻の姓

九州に住む弟から電話があった。彼の長男が結婚するという。おめでたいことだ。
うーん、と弟が口ごもる。何かあるの?と問うと、苗字をどっちにするかで、もめている、というか、それが決まらないのだという。

9月半ばに女性の誕生日があり、そこで1年年齢が加わる前に、と、その前日に入籍だけすることが決まっているのだが、どっちの姓にするか、そこで決まらないらしい。

弟の話で、間接的なので、詳しくはわからないのだが、女性は一人娘、その家が旧家で、その姓を維持したい、という、彼女の父親の意向なのだという。

いまどき、家名を保つという話も古い、と思わないでもないが、日本で夫婦別姓が認められていない現在、どっちかの姓を名乗ることになる。

相手の親の意向はわかった、それであなたたちはどうなの?と聞くと、長男だけれども、弟が次男だから、そう姓にこだわりはないのだが、甥本人が姓を変えるのをいやがっているのだという。

二人の交際は長くて、学生時代からのもの。よくぞ長く続いたと思うのだが、その間に落としどころを見つけていなかったのだろうか。

女性の権利を主張する立場にあった私としては、自分が姓を夫のものにするのも納得できなかったけれど、まずは夫の姓にした。
そういう立場からすれば、甥の婚約者の姓にしてもいいのではないか、とも思うのだが、そうか、甥は実家の姓ではなくなるのか、と思うと(決定ではないが)、ちょっと寂しい気分になる。矛盾している。

もちろん、長いスパンで考えて、二人の間に子供が生まれれば、その一人を彼女の実家の姓を名乗らせる、という方法もあるけれど、まずは子供が生まれるかどうか、それだって確実ではない。

別姓なら問題なにのにね、と弟に言うと、姉さんはそういうだろうと思った、という。

ずっと忌事(義兄やわがつれあいの死)が続いていたなかで、久しぶりの慶事だ。もめることなく、無事、まとまってほしい。
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消えていく諺

一度、もう使われなくなった諺、あるいは消えた諺、といった表題の本が出ているのを知った。買ってみようと思ったのだが、本当に古い、そもそも知らない諺が多そうだったので、使われない諺を知っていなくても、恥ではない、と思い、購入をやめた。

この頃の風潮で、たとえば、率先垂範、先憂後楽、天網恢恢疎にして漏らさず、といった諺は、そういう本が出た場合、消えていく方に記載されるのではないだろうか、と思っている。

官公庁といえば、なにか手本になりそうなところ、という印象があるのだが、今回の障碍者雇用のケースでいけば、なんということはない。民間よりレベルが低い。

期待していたほうが間違っていたのか。

私はモリカケ問題では、いつの日か、天網恢恢がみられると期待しているのだが、こんな世情をみると、疎だからじゃあじゃあ漏れ、なのかと思うようになってきた。

自民党総裁選挙にせよ、国民党の党首選挙にせよ、候補者はすべて、帯に短したすきに長しの、なんとも物足りなさを覚えてしまう。

アメリカのマケイン氏、亡くなられたあとの回顧だからかもしれないが、あの一貫した国士ぶりというのか、国民ファースト的な態度をみると、こんな政治家が日本にはいないのか、と思ってしまう。
でもアメリカで、これだけの人物が大統領になれないというのも、時の運なのだろうか。
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lettre verteなるものが届きました

今日の郵便で、いささか変わった手紙が届いた。フランスからで、配達の人が、受取のサインがいります、という。
荷物でもない、ただ封筒だけなのに、サインが必要なんて、初めてのことだ。

lettre verteというのは、緑の縁取りで、切手(もう印刷されている)も緑色。サインを求められたのは、その封筒に別途、recommande(書留)とavec avis de reception(受取証明)を要するためらしい。

差出人は?と思うと、マルセイユの友人である。何事かと思いきや、私からメイルがこないから、なにかしらトラブっているのでは?と心配している。
調べてみると、7月末に最後の交信をしているのだが、たった1カ月で音信不通と考えてしまうのだろうか。

この手紙、8月14日に投函というか、郵便局で手続きされている。費用は4,4ユーロ、570円ほどかかっている。

受け取りを再送する必要があるのだが、こんな郵便、初めてです、と配達の人は言って、日本の受け取りにだけサインを求めて帰っていった。

フランス語でメイルを書くのが面倒で、1カ月を無音でいたけれど、こうやって、心配してくれる人がいるというのは、うれしいことだ。
筆まめということばはあったけれど、メイルまめ、というのはどういうのだろう。彼女もラインにはいっていれば、チャットもできるのだが。
でもフランス語でチャットはちょっと苦しい。
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断捨離のダンは男の男捨離

この頃のテレビでこんな過激な言葉をみつけた。それもNHKの番組宣伝での言葉である。まだこれからの放映なので、内容はわからないが、西原理恵子なる漫画家?が勇ましく発言しているようだ。

なんだか言い得て妙という感じがする。
つれあいを亡くした仲間で話していると、悲しみや空虚な思いは別として、一人暮らしがいい、もう男のいる生活はまっぴらだ、という人が、たった数人の仲間では100%である。

私の手料理を食べた40代の女性が、再婚できますよ、などと発言したけれど、まっぴらごめん、の心境だ。たまにだれかに手料理を提供するのはいいけれど、毎日、なにがあっても作らなければいけない状況を、せっかく抜け出したというのに、というのが正直な心境なのに。

旅行に明け暮れている友人もいる。ごはんの手配をしなくていい、って楽ちん、と出発している。

配偶者を亡くした男性はこうはいかないらしい。断捨離のダンがごろとして男に通じてしまうけれど、そこを女に置き換える表現はなにかないのだろうか。

男性のほうが、配偶者に先に逝かれて、さみしさのあまりなのであろう、あたらしい配偶者、あるいはパートナーを求める人が多いという。

それもまた一つの生き方ではあるが、人間、一人もまたいいものだ。
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Un verre, c'est deja trop

今朝見たフランスのニュース番組では、呑み助にショックな事実が報道されていた。
フランスも参加したのかもしれないが、多くの国が参加した20年にわたる研究で、アルコールの害が大きくとりあげられたのだ。

これまで、フランスではワインなど2杯までは大丈夫、3杯以上はダメ、となっていたのだが、もう1杯でも、恒常的に飲むのは健康によくないというのだ。

1杯も飲めないとなったら、絶望してしまう友人も多い。
それにしても、赤ワインなど、ポリフェノールが健康にはいいのだ、と言われていたのに、それはどうなったの?と言いたい。

ガン、心臓疾患、あとなんだったろう、いくつかの病気にかかる確率が大きくなるのだそうだ。

しかし、フランスはけっこう長寿の国だとおもうのだが。
96歳でなくなったフランスの代父、また93歳で先になくなった代母、ふたりとも、ワインは欠かせない生活だった。昼と夜、そう多くはないけれど、毎日たしなんでいた。

母が亡くなって、父一人の食卓でも、11時ごろになると、アペリティフとしてポルトーを1、2杯、昼はメニューによって赤か白、夕食でも同じだ。
お手伝いさんが必死で飲ませないようにしていたが、父は頑固に飲んでいた。

この頃、長いきして何になる?という疑問がわいてくる。何パーセントか忘れたが、病気になる可能性が増えるというが、飲まないから病気にならないという保証もない。

アルコールを飲むことは別に私にとっては楽しみではないけれど、それを楽しみにし、それによって、他人に害を及ばさないのであれば、寿命の1、2年、短くなってもかまいはしないだろう。

しかし、「酒は百薬の長」ということわざも過去の、使用されていないことわざに分類することになるのだろうか。
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ヴェネズエラのインフレ

スペイン語を国語とする国のニュースは、スペイン放送が主として担っている。
毎朝、BS1の海外ニュースをみているのだが、8時台は、まずBBCがあって、そのあと韓国、そしてスペインと続く。

今朝はヴェネズエラのインフレ、そしてdevaluationがテーマとなっていた。空前といわれていたジンバブエを大きくしのぐインフレ、というのはもう何か月か前のニュースで聞き知っていたけれど、今回は平価切下げをするのだという。
またその率が10万分の1なのだそうだ。つまりこれまで10万円だったものが1円となるとうことだ。

まあ、ヴェネズエラの貨幣単位はボリバルというということで、10万ボリバルが1新ボリバルとなるらしいのだが、想像を絶する切り下げである。
それだけ、インフレがすごいということだ。

この数日、トルコショックで、トルコのリラが20%下落したなどと、国際金融を乱しているが、このヴェネズエラ、20%なんてなまやさしいものではないのだ。

ここまでひどくはないが、アフリカのコンゴ民主共和国にいたとき、通貨の混乱は経験した。通貨のデノミが行われ、ザイール、ヌーヴォーザイール、そして新しいコンゴフランと3種の通貨が共存していた。

外国人にとっては、桁も大きいこれらの通貨を使い分けるなんてことは不可能だったけれど、町中では、3種の通貨が共存していた。

ヴェネズエラに話を戻すと、この超インフレと通貨危機で、生活物資はゼロに近く、国外へ脱出する人が300万人にのぼるという。ブラジル、コロンビア、チリ、アルゼンチン、エクアドルなど、陸続きの国へと脱出するのだそうだ。

世界は広い。こういう国が1か国ではない。どうやって生き延びているのか、わからないことばかりである。
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あんなことが起きるんだ!

8日前、仰天することが起きた。イタリアのジェノバで、高架橋が崩壊したのだ。

目に移ったことを、まさか、の思いで信じられなかった。ジェノヴァの町中でのことである。

これが、悪いけれどもインドやエジプトならわかる。エジプトでは、鉄筋のはいっていないコンクリートビルが崩壊したあとを訪ねたことがある。
鉄筋がきちんとはいっているビルそのものがめずらしい国というのは多い。

しかし、先進国の仲間であるイタリアで、それも都会の真ん中で、というのが信じられなかった。

しかし、住民たちは、いつか起きると予想していたようだ。

すぐに気になり始めた、世界にはこういった高架橋がたくさんある。

フランスでは、南仏にviaduc de Millauとうのがあって、建設中に見に行ったこともあるし、一度、通ったこともある。2004年12月に開通しているから、14年は経っている。
フランスでは、すぐにこの橋に思いをいたしたのは当然だ。関係者は、心配ないと口をそろえて言っていたが、さてどうなのだろう。

日本では本州と四国を結ぶ橋など、海の上で塩による劣化も激しかろう。大丈夫なのだろうか。

この頃金融問題がでているトルコ、イスタンブールの海峡の橋はどうか、

世界中に心配な橋は多い。

規模は小さいけれど、わが村からでて、隣町には、小型の高架橋があり、しょっちゅう通る。
車のなかにパラシュートを装備しておくか、落ちるとなればそんな暇はありそうにない。車にのるたびに、パラシュートを背にしょっておくか、などとやりはしないけれど、考えてしまう。

責任者不在であることは、イタリアは日本以上である。再建もすぐに着手というけれど、通りたくない道路だ。
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免許証返納

今日、友人(女性)の一人が76歳の誕生日を迎えた。今年は免許証更新の年なのだが、更新しないという。「返納じゃないのよ」と彼女は言うが、結局、もう運転をしないということでは同じだ。
といっても、彼女はペーパードライバーであったから、身の回りに変化はない。

近所の別荘へきた単身男性、今年は車を運転していない。80歳直前の彼、返納したのかと思いきや、車を手放しただけで、返納はしていない。だから運転はできるんです、という。
しかし、車を持たない不便さは、辺鄙な地であるこの別荘地では格別なものである。

それを補っているのは、同じ別荘地の人であるけれど、そう親しくもないのに、駅への送迎、日常の買い物、気安く依頼の電話がかかってくるので、少しお困り気味だ。

レンタカーをなさったら?と勧める人もいるのだが、あんなに車好きだった方が手放されたというのだから、なんらかの重大理由があるのだろう。

その理由がわからないから、私の車をお使いください、とは言えない。まあ、理由がなんであれ、車を気安く他人に貸すことはできないのだが。

私もきっと返納はしないだろう。76歳の友人のように、更新をしないという方法をとりそうな気がする。

車がそろそろ10万キロに近づいた。車のメンテナンスはきちんとしているし(販売所任せだが)、状態がわるいわけではない。だから、今しばらくは乗り続けるつもりなのだが、そうすると、この車がダメになるのが運転とおさらばする機会になるのかな?と思ったり、それが2年後くらいだと、ちょっと早すぎる、と思ったりだ。

昔は10万キロというのが一つの買い替え目安になっていた。そうしてみると、それにならって、今買い替えがいいのか、とも思う。
新車にして、2,3年で運転をしなくなるというのも惜しい話だし、次の車で10万キロを目安にするのもいいのだろうか。

それにしても、パリで会った従妹の友人、夫を亡くして、すぐに車を買い替え、それもスポーツタイプに買い替えて、沈みがちな気分を転換したのである。
つれあいを亡くした悲しみを紛らわせるには、車の買い替え、旅行をする、これに限るわよ、と私に教えてくれた。
旅行では助言に従っているのだが、車、ちょっとお金がかかりすぎる。
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人生の七味とうがらし

先日、朝日新聞のコラムに、「人生、七味とうがらし」というのがあった。

七味とは、うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ、のことらしい。

人を翻弄するこれら7つの性(さが)は、いずれも自他の比較に由来する。他人と比べる中でしか自己を見ることのできない人の宿痾あり、業である。。。(ラストチャンス、再生請負人より)

この中で、すぐにわかるのは、うらみ、ねたみ、いやみ、ひがみ、だが、つらみ、そねみ、やっかみは説明せよ、といわれてもはっきり言えない。

つらみ、とは相手の仕打ちをつらいと思う気持ち、なのだそうだ。
そねみ、そねむこと。ねたみ、にくみ。嫉妬。
やっかみ、はなくて、やっかむ(関東地方で)うらやむ。ねたむ。
(いずれも広辞苑第4版より)

正直に言って、この七味とうがらし、私は大いに内在している。なるべく表に出さないようにはしているけれど、内心ではとうがらし、まっかっかになっている。
まあ、内在している間は、まだ大丈夫かもしれない。これが、ひがみ、ねたんで、それを形にしたりすると、小説のテーマになりそうな事件も起きよう。

高齢者になっても、なかなかこの七味とうがらしはなくならない。

これをいつ一味とうがらしまで減らすことができるのか、その残る一味はなんなのか、余命ウン年の課題である。

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