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野村萬斎氏の思いで

今日のニュースでうれしいことがあった。狂言役者の野村萬斎氏が、2020オリンピックの開会式と閉会式の演出を担当するというのだ。

彼にはフランスで会ったことがある。それは1995年のことだった。場所はフランス、エクサンプロヴァンスである。

この町には日本の能舞台があった。これについても、私の故郷から移築されたものという曰くがあったけれど、移築をされた熊本の能役者、喜多流の狩野氏が公演をされたおり、当時イギリスに留学中の野村萬斎氏が客演ででられたのだ。

20年以上も前のこと、野村氏は若々しい、そして清々しい好男子で、その演技は観客の耳目をとらえていたことは当然のことだった。

能と狂言、この組み合わせの最高のものをみることができて、なんと幸せなことだったろう。

野村氏はウィットに富んだ人らしく、狂言の説明をジェスチャー交じりで、紹介してくださるのだが、演目の最期、魚に扮して舞台を去るとき、”ポワッソン、ポワッソン”と言いながらであった。

能狂言の世界にうとい私は、好男子の野村萬斎との記念写真はとったけれど、それだけであった。

日本に帰ってきて、彼の活躍をみるたびに、エックスでの能舞台を思い出した。
彼の才能が並の物ではないことはだれもが承知してだろうが、20年のオリンピックでどんな演出をみせてくれるのか、あまりオリンピックに興味をもっていたなかったのだが、これは楽しみになった。

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キンシャサに雪がふる

キリマンジャロに雪が降る、という映画があったような記憶もあるのだが、キリマンジャロはアフリカにあっても、標高の高い山、雪が降ってもなんの不思議はない。

同じキで始まっても、キンシャサは赤道からちょっと下、南半球にあって、熱帯に位置する。昔のザイール、現在のコンゴ民主共和国の首都である。
これまでの常識でいえば、とても雪がふることはあり得ない。だからこそ、「キンシャサに雪がふる」という表現をつかって、決して起こりようのないことを表現していた。

たとえば、例としてあげるには、コンゴに失礼だとは思うけれど、コンゴに民主的政権が誕生するとか、があればもしかしたら、雪が降るかもしれない。

しかし、この頃の異常な気象をみていると、ありうるのかも、と思うのだ。地球は温暖化しているのだから、熱帯に雪が降ることはあり得ないと思うが、寒かったところが暑くなっているのなら、暑かったところが寒くなることもありえるかもしれない。

地球のこれまでの気象上の奇跡を全部知っているわけでもないし、奇跡と言われたことも、なにかしらの証明はできるのかもしれない。

今回の台風12号、常識をくつがえしたではないか。IT時代になって、いろんなことが、年配者にとって、常識を超えたものになっているが、この台風もその大きな例となった。

気象だけではない。政治や経済の面でも、常識とは違う動きが多い。こうなると、常識とは何ぞやになってしまうけれど。経験値というのがなりたたない時代になったということか。
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わが村の祭りも中止になりました

わが村の夏祭りは、7月最終土曜日、奇しくも墨田川の花火大会と同日である。

わが村は、朝からお祭りだ。子供のためのアトラクション、タレントを招いてのコンサート、屋台も出るし、なかなかの賑わいになる。そして夜には、花火大会がある。
おおいにきばって5000発の花火があげられる。

吾妻川ぞいが観覧席になる。7時から始まるけれど、早くにきて、駐車場に車をとめ、観覧の席を確保する。

こちらに移住した当初は、張り切って席を確保し、最初から最後まで花火をみていたものだ。3年目、つれあいがもういいよ、と言い出した。花火の種類も変化ないし、つまんないよ、という。
結構、近いところで打ち上げられるので、迫力もあるし、臨場感にあふれているので、感激もしたのだが、3年目はないのか、というところだった。

また、この村の花火は順調にはこぶことが少ない。日中お天気で、これはいい、と期待していると、丁度夕方になってひどい夕立になる。雷鳴もとどろき、とても行く気になれなくなるのだ。

今年は台風が近づいてくる、というニュースに、どうなることか、と思っていたが、昨日、お昼には中止の決定が下ったようで、有線放送が流れた。

きっと子供たちががっかりしていることだろう。農業にせよ、観光業にせよ、夏は忙しい。親がどこかにつれていってくれるとか、旅行に出かけることもできない季節だ。
そんな中で、村の夏祭りは子供たちにとって、数少ない、楽しい時間なのに。

同じく中止となった墨田川の花火大会は、なんと桁違いの催しだ。観客は200万人、どこにどうちらばるのだろう。そして経済効果は200億円以上だとか。どうすれば200億円なんてものになるのだろう。

テレビでは特等席ともなるレストランや、屋形船などが、キャンセルとなること、その損失などをあげていたけれど、なにがどうしてそんな金額になるのか、どうしてもわからない。
日曜日に挙行されるという可能性もあるようだが、その場合の経済効果はどのくらいになるのだろう。半分くらいに減るのだろうか。

わが村は、花火大会は9月以降に行う可能性があるということだが、いろんなイヴェントはもうない。いくらの損失になったのやら、100万単位のものだろう。

若いころは花火で血が騒ぐ、こともあったけれど、今では、人込みのほうがいやだ。日本各所の花火大会をみてみたいと思ったけれど、それももういい。

この大晦日、シャンゼリゼでの花火を姪は見に行ったそうだ。私ははやばやとベッドにはいっていた。
だんだん、血がさわぐこともなくなっていく。

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クーラーの設置率

テレビをみていると、連日、猛暑のニュースで始まり、番組の終わりの天気予報では、明日も同じような気温です、熱中症にご注意、とくる。
熱中症にならないために、水分をこまめにとる、塩分を補う、クーラーを適宜に使用して、夜もつけっぱなしにしましょう、とご注意がある。

特に高齢者は、のどの渇きを感じない、塩分をとることをきらう、クーラーで部屋を冷やすということに罪の意識を感じる、とメディアなり医療関係者なりがすすめる対策を、すべて否定してしまう傾向にある。

クーラーが全世帯に完備しているようなメディアの言い方なのだが、全世帯についているのだろうか。
昔はクーラーは贅沢品だった。いつごろから必需品になったのだろう。

自分のことでいえば、一人暮らしを始めたのは、青山の一軒家、その2階の部屋を借りての生活だった。開放的な作りで、冷暖房については何もなし、お金もないところから、どちらもつけず、2階であることをいいことに、窓をあけたまま、就寝するということで暑さをしのいでいた。

次に移ったのは白金のマンション、いわばスチュジオという程度の部屋であったけれど、前の持主が残していたクーラーが残っていた。ラッキー、と喜んだけれど、もう古い、使い古したクーラーで、効き目は控えめ、音は自己主張が激しい、ということで、人がきたときには使用するけれど、やはり自然の風をとりいれるほうが多かった。
やっぱり電気代というのも、意識のなかで大きい位置を占めていたし、贅沢品の感覚は残っていた。

長く働いていたので、労働時間は冷暖房、ついていて当然であったし、夜だけのことだから、そんなに意識もなかったように思う。

今でも直接クーラーの冷気があたるのは苦手だ。今ではインテリジェンスの冷暖房機が普及しているようだが、やっぱり冷えすぎたり、表面はいいのだが、骨が冷えるというような現象があったり、なかなか適応できない。

自宅で高齢者が熱中症で死亡するというケースが多々あるようだが、きっとクーラーがない、あってもつけない、のだろう。
電気代が気になるという高齢者も多いだろう。

高齢者は、病院や高齢者施設のように、自分でつけたり消したりしなくてすむ、常に適温になっている場所が必要なのだ。贅沢なことだろうけれど。

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マンデラと時代を共にする

小学生のころ、世界の偉人という本を読むのがすきだった。エジソン、コッホ、ノーベル、いろんな分野の偉人の伝記を読んで、自分もこんな偉人になりたいと、身の丈をしらない望みを持っていたものだ。

大きくなるにしたがって、偉人と凡人の違いもわかり、いくら努力しても、凡人は偉人になれない、努力をしない人間の私だから、可能性はゼロどころかマイナスなのだ、と理解するようにもなった。

理科系ではなかったので、科学者より政治家やなどにより興味をもっていた。ガンジーやワシントン、ナポレオン、孔子、孟子、もう忘れてしまったけれど、やたら読み漁っていたものだ。

先日、マンデラ生誕100周年というニュースがあった。マンデラ氏については、南アではないけれど、アフリカで少し暮らしたことがあるので、思い入れがある。

20年以上も牢獄にいれられていたにも関わらず、その政治姿勢はまったく変わらず、自由と平等を求めた人、常にその存在を世に認識させていたこと、など、同時代だからこそ、あまり気にしなかったけれど、彼が大統領になり、南アのアパルトヘイトが終わり、アフリカが一変したような印象をうけた。

そうなんだ、これから歴史に残る人物と時代を共有できたのだ、とこの100周年で強く思った。
南フランスにいたとき、南アの外交官から、マンデラの著作のフランス語版をいただいた。そのあとアフリカに行ったのだが、そこへ持ち込んで、辞書片手に一応読み上げ、また日本にかえって、邦語訳も読んだ。

南アに旅行する機会もあって、マンデラの生家を訪れた。ほんとになんの特徴もない、日本でいる質素な文化住宅というのであろうか、これが、と思うような家だった。

日本のみならず、世界各国の政治家たち、時代時代にベストを尽くして政治を動かしているのだろうが、それが国民、あるいは世界のためになっているとは思えないことが多い。
ノーベル平和賞を受けようと受けまいと、偉人と呼ばれるにはちょっとどころが、とても足りないひとたちばかりだ。

マンデラの時代、と呼ばれる時代を私も生きた。

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水害体験の共有

今回の水害の被害、広範囲であることと、その深刻さに驚いている。西日本と地域を広域にされたことも、むべなるかな、と思う。

先日、3歳年長の姉が訪れた、河川の氾濫や土砂災害の最中のことであったか、テレビでの報道を見ながら、二人して1958年の故郷での水害を思い出していた。

わが実家は、1958年6月26日、筑後川の堤防決壊による洪水で浸水被害にあった。このときは、長雨の梅雨の真っ最中で、だんだんに流量が増える川がいつ決壊するか、というのが話題にはなっていたが、実際に決壊するのか、決壊する箇所がどこなのか、もし決壊しても、途中にある坂をこえて我が家にまでくることはなかろう、と大人は思っていたきらいがある。

26日が何曜日なのか、学校があったのかどうか、覚えてはいないが、川が決壊しそうだというので、様子を見に行った。今ではそうしてはいけない、というのがわかっているけれど、その当時は好奇心や、そこまでの警戒心がなかったのだ。

途中で、決壊したから先にはいけない、という話で、引き返したけれど、それを大人に伝えたけれど、大人もフーン、というくらいで、反応しなかった。

ところが、あるときから、道路と家のあいだにある溝から、水があふれだした。これはあれあれという間に、家の中まではいってきた。
それから大人のしたこと、タンスの上にいろんなものをあげていた。あとになって、タンスは浮いて、倒れることを知るのだが。

我が家には近所にあった材木屋の大きな材木が流れてぶつかってきた。家が倒壊するかも、と隣家に避難した。
結局、家は倒壊を免れたけれど、1階の鴨居の上まで水につかった。

今も西日本大災害の被害者の方々が後片付けをしている光景を見て、フラッシュバックするけれど、泥が残って、それは大変だ。我が家の場合、泥だけで、土石というのがなかっただけでも楽だったのかも、と姉と話した。

まだまだ、行政サービスも今ほどのことはなく、ヴォランチアなどいない時代、男といえば父、それに3歳の弟だけという家族構成であったが、どういうふうに片付けを進めていったのだろう。

災害を免れた親戚の人たちが手伝いにきてくれたことは覚えている。それに大阪から就職したばかりの長兄がはるばる帰宅してくれたことも。

避難所があったのかどうか、食事や寝る場所はどうしていたのか、もう記憶にはない。

今回の被害を受けた家屋をみていると、立派な家が多い。建てたばかりという方もいる。泥だけではない、なんとかストーンという巨大な石にどっしり居座られた家もある。

わが故郷の近くでは、2年前の朝倉の水害がある。まだまだその被害からの回復もしていないというのに、再度の水被害だ。

58年の水害も、50年に1度といわれた大水害だった。それからもう60年たっているけれど、この種の異常な降雨や、あるいは台風による大雨といった被害は、毎年ありそうな気配だ。

人口減少、高齢化、少子化、これまでと違った要素のなかで、気候の変化も全く違った意識でとらえるべきなのかもしれない。平均値ではなく、これから新しい統計を取り始める、というような。
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水害体験の共有

今回の水害の被害、広範囲であることと、その深刻さに驚いている。西日本と地域を広域にされたことも、むべなるかな、と思う。

先日、3歳年長の姉が訪れた、河川の氾濫や土砂災害の最中のことであったか、テレビでの報道を見ながら、二人して1958年の故郷での水害を思い出していた。

わが実家は、1958年6月26日、筑後川の堤防決壊による洪水で浸水被害にあった。このときは、長雨の梅雨の真っ最中で、だんだんに流量が増える川がいつ決壊するか、というのが話題にはなっていたが、実際に決壊するのか、決壊する箇所がどこなのか、もし決壊しても、途中にある坂をこえて我が家にまでくることはなかろう、と大人は思っていたきらいがある。

26日が何曜日なのか、学校があったのかどうか、覚えてはいないが、川が決壊しそうだというので、様子を見に行った。今ではそうしてはいけない、というのがわかっているけれど、その当時は好奇心や、そこまでの警戒心がなかったのだ。

途中で、決壊したから先にはいけない、という話で、引き返したけれど、それを大人に伝えたけれど、大人もフーン、というくらいで、反応しなかった。

ところが、あるときから、道路と家のあいだにある溝から、水があふれだした。これはあれあれという間に、家の中まではいってきた。
それから大人のしたこと、タンスの上にいろんなものをあげていた。あとになって、タンスは浮いて、倒れることを知るのだが。

我が家には近所にあった材木屋の大きな材木が流れてぶつかってきた。家が倒壊するかも、と隣家に避難した。
結局、家は倒壊を免れたけれど、1階の鴨居の上まで水につかった。

今も西日本大災害の被害者の方々が後片付けをしている光景を見て、フラッシュバックするけれど、泥が残って、それは大変だ。我が家の場合、泥だけで、土石というのがなかっただけでも楽だったのかも、と姉と話した。

まだまだ、行政サービスも今ほどのことはなく、ヴォランチアなどいない時代、男といえば父、それに3歳の弟だけという家族構成であったが、どういうふうに片付けを進めていったのだろう。

災害を免れた親戚の人たちが手伝いにきてくれたことは覚えている。それに大阪から就職したばかりの長兄がはるばる帰宅してくれたことも。

避難所があったのかどうか、食事や寝る場所はどうしていたのか、もう記憶にはない。

今回の被害を受けた家屋をみていると、立派な家が多い。建てたばかりという方もいる。泥だけではない、なんとかストーンという巨大な石にどっしり居座られた家もある。

わが故郷の近くでは、2年前の朝倉の水害がある。まだまだその被害からの回復もしていないというのに、再度の水被害だ。

58年の水害も、50年に1度といわれた大水害だった。それからもう60年たっているけれど、この種の異常な降雨や、あるいは台風による大雨といった被害は、毎年ありそうな気配だ。

人口減少、高齢化、少子化、これまでと違った要素のなかで、気候の変化も全く違った意識でとらえるべきなのかもしれない。平均値ではなく、これから新しい統計を取り始める、というような。
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星の王子さま 研究

土曜日の朝日新聞には出版関係のページがある。書評やランキング、出版案内などが出ていて、本屋と縁遠いところに住む私には、大切なページである。

今日は「星の王子さま百科図鑑」という本の案内があった。クリストフ・キリアン著、三野博司訳、柊風舎からの出版、価格が9720円という。

星の王子さまは「270を越える言語と放言で読むことができ」「聖書に次いで世界で最も翻訳された文学作品」なのだそうだ。


星の王子さま、フランス語を学んだ人間は、おそらくこれをテキストにつかって勉強した人は多いことだろう。私もその一人である。全部をフランス語で読み上げたとはいえないが。

よくも、こういうファンタジーが書けたものだと、作者のサンテクジュペリのファンになった。彼自身の一生も波乱に満ちたものだし、すべてに興味のもてる作者であり、作品である。
しかし、そんなに翻訳され、出版されているとは、思いもしなかった。

どんな図鑑か、見てみたい、読んでみたい、と思うけれど、9000円もするのでは、ちょっと無理だ。

我が家にある数冊のエディシオン、我が家に同じ話で数種あるというのは、これしかない。

そういえば、サンテクジュペリと星の王子さまが模様になった50フランのお札、1枚だけ持っているけれど、これも大切な「星の王子様」コレクションだ。

わが村の図書館にリクエストを出しても無理だろう。県立図書館で見てみることにしよう。

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平均寿命

教のニュースで、日本の平均寿命が発表されていた。男性は81,09歳、女性は87,26歳なのだそうだ。

日本が最長寿国かと思いきや、そうではなかった。女性は香港に次いで2位、男性は香港、スイスに先んじられて3位なのだという。

順位はどうでもいいが、平均寿命ということは、若死にする人もいれば、この年齢よりずっと長生きする人もいての平均だから、これらの年齢まで生きていけばいい、というのでもない。

私はこの平均寿命を一つの目安にした。つれあいの逝年が平均年齢を上回っていたので、それをもって、妻としての責任を果たしたと考えているのだ。何の根拠もないけれど、また彼の寿命であって、私の功績でもないのだが、一応、男性の平均年齢をこえた、ということで、私自身が安心している。

だからといって、自分が女性の平均年齢を超えるべき、と考えているわけではない。寿命100歳などといわれると、ぞっとする。そこまで生きて楽しいことがあるのだろうか、と思うのだ。
長生きしたい人は長生き、私はやりたい放題をして、それができなくなったところで終わりにしたいと思っているのだが、それはまた気持ちも変わることだろう。

つれあいが亡くなり、後を託する子がいないと、すぐに自分の死というものを考えるようになる。どういう形で終わるのか、というのが課題として重くのしかかってくるのだ。

それにしても、平均寿命まで生き続けるのも大変だ。
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議員の定数、日本は増、フランスは減?

今朝の朝日新聞の見出しは、「参院定数6増 成立」であった。現行の定数242人から248人になるのだそうだ。

目的は「島根・鳥取」と「徳島・高知」という合区になった選挙区から擁立できない現職議員を特定枠で救済することにあるのだとか。

人口が減っていく中で、議員を増やすという感覚もどうかと思うが、議席を失う県の住民、特に議員にとっては死活問題、また議席数の優勢を確保しておきたい自民党にしては、どうしても通しておきたい法律だったのだろう。

そんなニュースを新聞で読みながら、フランスのニュースをみていると、フランスでは今、議会で国民議会(下院)と上院の議席を減らすという議案が討議されているのだという。
議案の提出は政府である。まあ、こういう法律が議員の提出ということはあり得ないだろう。
思い切った減員だ。国民議会の現議席数は577、それを404にという。一挙に173議席を減じることになる。上院は現議席数348をいくつに減じるのか、ちょっと目をそらしてみそこなった。

国民議会は現在小選挙区であるから、577の選挙区がある。これを小選挙区制度を維持したままであれば404に減じるのだから、大幅な選挙区再編成となる。
議員先生たちはもちろん反対が多い。

フランスの人口は日本の半分程度、それなのに577という議員数は多すぎる感がする。この数字、たしか、ミッテラン大統領の時代、保守のシラク氏が首相になるという保革共存の結果、シラク首相が、比例代表制を適用し、そのとき一挙に定数を増やしたようにおぼえている。
どんな不都合があったのか、私はわからないのだが、次の選挙では小選挙区に戻したけれど、定数は増やしたままだったような。

増やすはやさしく、減らすは難しい。

人口減少時代、人口を議席の関数に使えば、合区にせざるを得ない選挙区ももっと出てくることだろう。それかといって、東京などの大都市に議席が集中するのも望ましいものではない。

フランスもこれからこの議員定数の問題で紛糾しそうだ。マクロン大統領の手腕がみものだ。
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