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母とウィンブルドン

サッカーのワールドカップに紛れてしまったが、ロンドンでのウィンブルドンテニスが始まっている。
まだ始まって間のないころなので、芝生が鮮やかで見事だ。

イギリスと日本は時差が8時間、午後2時から始まるゲームは、日本では深夜になってしまう。

ウィンブルドンには3回行ったことがある。3度も観戦したことがある、というと、皆さん、どうやってチケットを入手したの?と不思議がられる。そう、入手困難なチケットをよくぞ手に入れていたものだ。

2度目のウィンブルドンには母も同行した。イギリスへ行く前、パリで結婚式に二人で出席、そのあと、イギリスへ回ったのだった。

丁度、その時、イギリスには姪も住んでいた。地方都市に日本企業の工場があり、そこに夫とともに赴任していたのだ。
姪が祖母に会いにロンドンまで来るという。母は喜んだ。しかし、私は複雑だった。というのも、姪はテニスをやっており、おそらくはウィンブルドン観戦を一緒にしたいという意図がある。ところが、チケットは2枚は確保だが、姪の分までは手配できるかどうかわからない。

母に、3枚目のチケットを入手できなかったら、ホテルで留守番してくれる?と聞くと、いやです、という返事。ウィンブルドンはお母さんも見たいですよ、お友達にも自慢してきたのだから、絶対みたいです、という返事。それも当然だ、といって、姪にあなたはだめよ、とも言えない。

結局、なかば強引に3枚目も入手して、ウィンブルドン観戦となった。
オープン2日目で、センターコートでは前年の女子チャンピオンのゲームが行われる。そのときはナヴラチロヴァであった。
我々の席は、センターコート、貴賓席の後ろくらいで、とてもいい場所ではある。

当時、今とは違って、もっと自由があった。寒い日で、来場者も多くなかった。みていると、コートサイドに移っている人もいる。私たちも移りましょう、何かいわれたら戻ればいいから、と3人でコートサイドに移動した。もうすぐ前にナヴラチロヴァがいる。

芝をこするフットワークの音、選手の息遣い、まるで高校時代のコートのように、すぐそばで観戦するという経験をした。

母は大満足である。テニスについては、姉や私がテニス部に所属していたので、いくらかの知識は得ていたので、まったく無知というわけではない。
当時はウィンブルドンでは、すべて白で統一と、ボールも白であっただろうか。

姪の手助けもあって、合間にはお土産を買ったり、ウィンブルドン名物のstrawberries and creamを食べたり、満喫していた。

母とは10年くらい、毎年海外旅行をした。私の旅行にくっついてくる、というスタイルだったけれど、ヨーロッパだけではなく、トルコやパキスタン、中国などにも同行した。
半分迷惑であったけれど、こうして、母の思いでを偲ぶ機会が多いということは、私にとって何よりうれしいことである。

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