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イノシシの訪問を受けました

一昨夜のことなのだろう。夜、東京から帰ってくると、庭にいろんなものが散乱している。どうしたのか?と疑問には思ったものの、夜のことでもあり、そのままででて昨日は1日中、出かける用事があって、庭の状態を確認もかった。雨が降っていたこともある。

そして今朝、おそるおそる庭に出てみた。チューリップの球根、これは春に咲いたあとの球根を掘り出したもの、が散乱している。
そのほか、農具というのか、庭の作業に必要なものを、ベランダの下にしまっているのだが、そういったものが、外のあちこちにあって、昨日の雨に濡れたままになっていた。

ベランダ下をふさぐように咲いているヤナギランが倒されている。

こういったことが変化としてみられた。結論:イノシシが出た

イノシシは夜の間に、道路沿いには出ている痕跡がある。ミミズなどを食べるのか、道路の柔らかいところが掘りあげられている。
それは日常化しているので、なんともないのだが、庭に入っているとなると問題だ。

これまでにも何度が入ってきた痕跡は認められたことがあったが、いづれも水仙のところを彫り上げているけれど、水仙の球根には毒があるということで、球根は食べていなかった。

チューリップの球根を目指して入り込んだのだろうか。そうだとすると、どうやってその球根があると分かったのだろうか。イノシシに聞いてみたい。
結局、彼らの口に合わなかったのか、散乱させただけで、食べた形跡はなかった。

掘り上げてはいないほかの花の球根は食べられていた。

こういう訪問は歓迎しない。どうすれば入ってこないようにできるだろうか。感知式の照明を庭にもつけるとするか。

先日からはネズミ、今回はイノシシ、虫の類は毎日のことで、田舎暮らしは動植物との共生だとは承知していても、ちょっとうんざりしている。
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2度目のギリシャ

今日の夜11時、BSプレミアムで「2度目のギリシャ」という番組がある。悪いことに、サッカーの日本対ポーランドの試合とバッティングしている。

それでも見てみようと思っている。というのは、ギリシャ旅行を計画しているのだ。

昨年、丁度今頃だっただろうか、突然、ギリシャの友人からメールが送られてきた。最後に会ったのは20年くらい前のことだろうと思う。
会いたいと思ったが、ギリシャは遠い。フランスからまわるにしても、けっこう時間とお金がかかるので、それもできないでいた。

ギリシャへは何度行っただろうか。最初に行ったのは、25歳の時、半年ヨーロッパを漫遊したとき、帰りの飛行機の切符で、いろんなところに立ち寄った。そのヨーロッパ最後の地がギリシャのアテネであった。
2度目は、姉夫婦に誘われて、母とともにエーゲ海クルーズを楽しんだ時だ。この旅行のとき、ソ連(当時はまだソ連だった)のアエロフロートでモスクワ経由アテネ行きだったが、ギリシャ夫婦と仲良くなった。
3度目は、そのギリシャ夫妻に誘われて、彼女らの家を訪問した。ギリシャ北部のコザニという小さな町に住んでいた。とてもあたたかいもてなしを受けて、母がとても喜んでいたことを思い出す。

とこれだけの記憶は残っているから、3度はギリシャへ行ったことがある。

急にギリシャのその友に会いたくなった。この20年の間に、彼女は離婚をし、私は死別という変化もあった。今、彼女は自分の母の介護をしているという。

ガイドブックをみると、ギリシャはエーゲ海とパックになっている。私が行こうとしているコザニは北部の町、ギリシャ第二の都市テサロニキ経由となる。ところがここの部分の情報が少ないのだ。

ギリシャは遠い。直行便もない。どこかを経由しなければならないが、北極からいくか、南回りでいくか、いずれにしても時間はかかる。

母親は常に彼女の助けが必要らしい。だから、観光はできないだろう。それでいい。母といったとき、仕事を休んでいろんなところに案内してくれた。もう記憶もないけれど、観光目的の旅行はあまりしない。彼女と会って、この20年のことを話せればいいのだ。

さあ、今晩は先に「2度目のギリシャ」をみて、サッカーの試合は、後半をみることにしよう。
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誕生日考

6月もあと3日、おわりつつある。6月は私の誕生月だ。今年もちゃんと誕生日はきた。

亡くなったつれあいは、誕生日というと騒ぐ私を不思議な動物のようにみていた。365日の中の1日にすぎないというのだ。
私にしてみれば、特別な1日なのだ。

外国で生活していたときは、それでも特別扱いの日にしてくれていたが、帰国してから、ましてやこの山の中にひっこんでからは、何もない。
6月だから、庭にはバラが咲いている。せめて、朝の食卓にバラを切ってきてくれてもいいものを、と思うのに、仏壇の先妻のほうにはお供えしても、食卓にはない。
文句をいうと、夕食のときでいいかと思っていた、とのたまわっていた。

男性、と一概にいっていいのか、特に日本の男性は、あまりこういった記念日を大切にしない。
つれあいは明治生まれではなけれど、古いタイプでもあるので、気が利かない。

誕生日祝いをするのは、子どもの時代だけだよ、という人もいるけれど、大人になっても、大人になったからこそ、日常に特別な日というものがなくなってくる。入学式も卒業式も、記念日がない。
誕生日は、とても個人的なもの。人それぞれ違うのだし、ひとくくりにされないですむ日なのだ。

幸い、私にはお互いに気にかけあう友人が数人いる。外国からはカードが届き、メールがはいり、国内では電話もかかってくる。プレゼントさえ届く。

誕生日は墓場への里標、めでたくなんてない、ともいうけれど、生きている証でもある。

お正月やクリスマスなど、万人のお祝いでは得られない、個人的満足感、やっぱりいいものだ。

というと、丁度クリスマスに生まれ、聖子となづけられた友人や、12月31日、1月1日に生まれた友人たちは、一緒くたにされて、何がめでたいのやら、と文句を言っている。

ウン歳となった今年は、友人のお誘いを得て、東京へ行った。銀座で食事、買い物と贅沢な1日となった。

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ネズミがでました

数日前のことである。ベランダで昼ご飯を食べ、食後のコーヒーをのんびりと楽しんでいたら、庭に動くものがみえる。私だけに見えるのか、と思うと、一緒にいた年若い友人も見えるという。

野鳥?それにしても小さいけど、茶色だから雀かしら?とお互いに疑問を持ち出す。でもあの動きは鳥ではないわよ、と言う友。
よく見ればそれは小さなネズミだった。子供のころに自宅で飼っていたハツカネズミ程度の大きさだ。
花の根っこのところで、ちょこまか動いている。

友人は何をしているの?なにか食べ物があるの?虫でもとらえているの?というが、私には原因がわかった。米ぬかをその周辺にまいていたのだ。
米ぬかをくださった知人が、米ぬかには栄養があるので、ネズミや虫が寄ってくるかもしれない、と言っていたのだ。そして米ぬかをいれていた厚手のビニール袋が破られていたのをみつけていた。

小さいといってもネズミはネズミ、かわいいけれどこれは駆除せざるを得ない。友人は、ゴキブリを1匹みつけると、その後ろに100匹はいるというけど、ネズミは何匹いるかしら?
ぎょっとすることを言う。

それにしてもかわいい。ペットとして飼いたいくらいだ。
とは言いつつ、ホームセンターでネズミ捕りを買ってくる。粘着シートになったものだ。

今朝、それを仕掛けた。米ぬかのそばに広げておいておく。そして夕方、友人がきてくれたのでそこへと行ってみる。
3匹、かかっていた。もう息はなさそうだ。ネズミももっと生きたかっただろうに、と二人してため息をつく。そして新しい駆除シートをセット。極悪非道な人間様となった二人である。

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予測可能な危険ーブロック塀のほかにも

今回の大阪での地震で、都会でのブロック塀の危険性が現実のものとなった。ずいぶん昔からこの危険は指摘されていたのに、と小学校という公的な機関での対策の遅れが不思議でならない。

九州の実家も昔、ブロック塀が道に面してあった。きっと鉄筋はいれていなかったはずだ。幸いなことに、事故なども起きず、兄が実家を建て直したときに、そのブロックは撤去された。しかし、隣家との境は、まだブロック塀が残っているような記憶もあるけれど。

ブロック塀は現在の我が家にはないけれど、我が家で予測される危険といえば、成長しすぎた樹木である。25年前に建てたときには、ほどほどの高さで、森だ林だ、というほどには密集しておらず、適当な間隔でもあった。

土地の人の話では、その数年前(もっと前だったかも)、猛烈な台風が襲って、ほとんどの大木が倒れてしまったのだとか。だから、その下に控えていた樹木の若木がその後成長した、そこで私が家を建てたということになる。

家をたてて25年をこえ、移住してきて10年を過ぎた。この間に、樹木は見事に成長している。2階のベランダからは浅間が見えていたのに、今や木しかみえない。視界はしっかりさえぎられてしまっている。

見通しがきかないくらいのことならいいのだが、この4、5月にあった大風で、樹木が折れ、隣地の家の屋根が崩壊したということが、すぐ近くのところで起きたのだ。木のある土地はまだ住宅は立っておらず、ほとんど放棄された状態であった。
しかし、その土地の木が原因であるから、家の持主に対し、補償する義務がある。幸い、土地の持主も簡単に判明し、補償についても同意されたという。

自分の家の庭の木が自分の家に倒れてくるのなら、まだいいけれど、よそ様の家を壊すことも当然ありうる。
そんな目でみてみると、まわり一帯、成長しすぎの樹木の多いこと。これだけ成長してしまうと、伐採も相当の費用がかかる。
北側の庭は、あとで入手したもので、雑木林みたいになっていた。自然のままに、とそのままにするつもりだったが、人のすすめもあって、カラマツとナラの木を切ってもらった。赤松は残した。ところが、10本ほどの赤松が成長しすぎている。

あの時、一緒に切っておくべきだった、と今更後悔しても仕方がない。これだけ大きくなりゃ、費用もかかるわいな、と地元の人には言われる。1本10万?などと予想する。100万かかるの?と思うと、伐採の決心もゆらぐ。

人の少ない冬に伐採は行う。台風がこないように、地震がないように、と念じながら、この樹木の問題は、当然予測可能なものなのだ。といっても、対処はなかなかだ。
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ナツツバキが咲きました

一雨ごとに季節が進む。梅雨の季節は特にそのことを感じる。雨の日には外の様子など、見もしないのに、雨上がりには変化を見届ける意味でも、少し注意深くみることにしている。

1)ナツツバキ
2)ヤナギラン
3)ホタルブクロ

この3つが花開き始めていた。

ナツツバキは私にとっては特別の木である。25年以上前、この家を建ててすぐのころ、パリの父が訪日した機会にこの家を訪ねてくれた。
その時同行しなかった母が、なにか記念の木なり花を贈りたいといっている、という。彼女はアジサイをと言っていたらしいのだが、ここは標高1000メートルはある高地で、アジサイは無理だろうという土地の友人の助言もあって、ナツツバキを選んだのだ。

Camelia d'ete, カメリア・デテと、父は何度も口にして、どんな木だ?と聞いてきたものの、私もその当時、どんな木なのか知らず、返事ができなくていた。
庭の真ん中に植えたものの、なかなか花が咲かず、毎年、咲いたか?という問いがきても、返事ができなくていた。

庭の真ん中という場所も、落ち着きがわるく、その後つれあいが道路に近い場所に移植した。それがよかったのか、そのころから白い花をつけるようになった。

ナツツバキは別名を沙羅双樹というそうだ。お釈迦様ゆかりの木である。そんなありがたい木ではあるが、一日花というのか、咲いたかと思うと落花している。
木が大きくなりすぎて、下のほうの枝を剪定したら、庭にいても、花がさいているのがみえない。2階のベランダからみて、ようやく花が咲いていることに気づく。

今年はやけに花の数が多い。が、咲きましたよ、と報告すべき父もいない。

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保険の契約解約を決心

おひとり様になってから1年以上がたった。いろんな変化があったけれど、それに適応しなければならない。
経済問題もその一つだ。収入が激減だ。つれあいと二人のときの年金が、一人になれば、一人が生活できる程度に、と減額されるのは当然だろうが、一人だから半分ですむ、というものばかりではない。

月々の生活にかかるものは、コントロールしやすいのだが、年間で出費せざるを得ないもの、例えば、税金の類、自賠責保険料、自動車税、別荘地の管理費、などがあり、これらは倹約というわけにはいかない。

その中で、少し大きな出費というものを考えた。その一つに病気の保険がある。数年前に保険に詳しい友人の助言をえて、保険を切り替えた。終身加入できる、つまり死ぬまで加入可能な保険であらう。前の保険はたしか、80歳か85歳あたりで打ち止めになるのだった。

しかし、新しい保険は、加入した年齢がすでにある程度の高齢になっていることもあって、けっこう高額である。しかし、そこが保険だからと、保険に加入していることで、病気にかからないような気持ちもあって、支払いも続けていた。

つれあいも同じ会社の保険に加入していたけれど、彼の場合は、実際に保険を使うこともあった。白内障や目関係の手術に入院、いくつかの病気や手術のための入院などがあり、その都度、自分で給付を請求していた。
最後の入院については、私が請求することとなった。3か月の入院について、60日分の入院給付が払われた。

つれあいの場合、後期高齢者であったため、健康保険は1割負担、また難病であることから、その控除というのか援助もあって、病院への支払いは負担できない金額ではなかった。

さて、私の場合はどうなるのだろう。健康に恵まれていると言っていいのだろう、3日と連続して休んだことはないし、まず、入院したことはない。
従って、病気のための私的保険の給付なるものを受けたことがないのだ。

それでも、いつか入院といったこともあるだろう。そんなときに多額の費用を負担できないのでは困ると、最初は生命保険についた入院保険といったもの、そして外資系の保険会社が進出してからは、宣伝にのって、病気関係の保険に加入したのだ。
ガンの治療が高額だ、というので、ガンの保険にも加入した。

しかし、つれあいの費用を払いながら、日本の健康保険が相当分、カバーしてくれることに気づいた。もちろん、先端医療とよばれるものに、健康保険が使えないとか、薬にしても新薬など、保険適用にならないものがあることも承知している。

だが、治療の範囲を限定すれば、健康保険でカバーできるだろうし、また、入院費についても、個室などなかなか希望通りにはいれない現実もあって、十分、支払い可能な範囲で収まりそうだ。

毎月、預金口座からけっこう高額が引き落とされることを考えれば、その分を支払いにあてると考えればいいのか、と考える。

友人は若い人たちにはこういう保険は必要だが、高齢者はそう必要ないのかも、と言いながら、この種の保険の控除がなくなると、税金や健康保険の額が増えることも承知しておくことだね、と助言してくれた。

考えた結果、今日、保険会社のコールセンターに電話したのだった。
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外国人労働者の受け入れ

今、イタリアが拒否したアフリカからの難民をスペインが受け入れたことが、ニュースで報道されている。数百名の難民のなかには、数多くの子供や女性などもいて、航海が長引いたことが健康に害とならないか、心配されていた。

話は変わるが、先日、日本のニュースでは、人手不足の折、外国から受け入れている研修生の研修期間を5年に延長、そして最終的には10年の滞在を認める方向といったことが報じられていた。

10年、日本で働く、名目は最初が研修であっても、実態は労働そのもの、という話であるから、働くという表現でいいと思うのだが、こうなると移住と変わらない。10年を経て、日本できっと税金や社会保障費なども払ったあと、はい期限となりました、自国にお帰り下さい、といって帰国する人たちがいるのだろうか。

10年もいれば、日本になじんでしまっているだろう。10代後半でくるのか、20代初めで来るのか、順応性のある年齢での日本暮らし、きっと日本語も覚え、不自由のない暮らしができるようになっているだろう。

10年いたあと、残留することも可能なのだろうか。そのあとは不法滞在ということになるのだろうか。

10年の滞在の間に、自国から家族の呼び寄せは許されるのだろうか。単身でくらせというのは、数年ならともかく、10年もというのは非人道的ではないだろうか。

などと、いろいろ考えた。外国では、というのは説得力をもつものではないけれど、やっぱりフランスの例を思い出す。
一時期、フランスは労働力の足りないところを、外国人労働者で補った。フランスの場合、ほとんどがアフリカの旧植民地からの移民であったけれど、日本でいう3Kの仕事に外国人労働者を頼ったのである。

その後、家族の呼び寄せも可能にした結果、一挙に外国人の人口が増えた。

ミッテラン政権の後半、失業者数が増え、違法移民を母国に送還するという方法もとられたけれど、あまり効果はなかった。

今でも、3Kや介護、といった職業には、外国人労働者が多く就業している。

日本でもそれを望んでいるのだろうが、それらの労働者が10年で帰国せず、残った場合の社会的負担を当然考えておくべきなのだ。

いいところどり、は許されない。共棲、ということをきちんと考えての方策でなければ、と、スペインに到着した難民のこれからと共に考えている。
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NHK受信料

先日、ご近所のご夫妻と話したときのことである。NHK映る?と聞かれた。映るけど、どうしたの?と聞くと、この数日(つまり東京からこちらに来てのこと)、NHKが映らないのだそうだ。
BSだけでなく地上波も映らないのだという。

我が家は2台あるテレビのうち、階下のサロンにあるテレビでは、BSの映りが悪い。ちらちらと波状になって、音声も狂う。これは階下のテレビだけで、2階の寝室のテレビには問題がない。
これは冬場に多くでてくる現象で、おそらくアンテナに雪がくっついているから、などと理由づけていたけれど、もう雪はない今でもおきている。

木々の緑が茂って、電波を邪魔している、という理由もあるけれど、はたしてそうなのだろうか。
友人宅は、道路を隔てての向かい側の土地は、大きな木がすべて切られ、まったくの平面になってしまっている。電波がどっち方向からくるのか知らないが、もし南側からだとすれば、邪魔はないはずだ。

友人夫妻と理由をいろいろ話し合う。友人宅は増築をした。それが原因なのでは?というが、屋根の上に設けられたアンテナの位置は変わっていないし、そこで受信しているのは、以前も今も変わらない。

電波も私にはわからないものの一つだ。この別荘地では、NHKが映りづらいところ、日テレがうつらないところ、など、いろんな問題個所があるという。

最後は受信料を払っているかどうか、それが問題になってきた。友人たちは、東京では全額、こちらのテレビは別荘地としての料金を払っているのだという。
我が家は常住なので、全額支払いであるが。

別荘地は夏の1か月分を払うということらしいが、まだ夏になっていないから、電波を飛ばしていないのよ、などと冗談にする。

しかし、友人は、民放は受信料がいらないから仕方ないけれど、NHKは払っているのに映らないのがしゃくにさわる、とお冠だ。お相撲の時じゃないから我慢できるけど、といろいろ不平が多い。
受信料を払うには、たしか、受信をきちんとできるように努めるという義務もあったような。
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シンガポールの滞在費、ちゃんと払われた?

一段落した米朝会談、次は日朝会談がいつ、どこで行われるか、の予想がニュース番組を賑わせている。
ある朝鮮問題専門家は言った。小泉元首相が2度もピョンヤンへ行った。今のキム委員長は30代で、安倍首相よりよほど若い。こういう点でも、もし日朝会談が行われるとすれば、それは日本になるか、第三国ということだ、と。

日本ではありえないだろう、という意見も強い。そうなれば、第三国か。再度シンガポールかモンゴルの首都ウランバートルの可能性が強いのだそうだ。
もし、シンガポールだとすれば、今回の米朝の再演となるのだろうか。

シンガポールの滞在費、反核運動の団体が支払いを申し出た、という話があったけれど、本当にそれが実行されたのだろうか。
また、中国の飛行機2機で移動したようだが、この飛行機の費用は中国のプレゼントなのだろうか。

もし、日本との会談がシンガポールで行われるとすれば、その費用はだれが払うのだろうか。

拉致被害者の問題から、どうも主導権は北朝鮮がもちそうだ。そうなったとき、来ていただく、費用は持ちますから、ということになるのは納得できない。

まあ、けちな考えかもしれないが、国際会議が時々、うさんくさいこともあるし、チャーター機で酔っぱらった大臣のケースもあるし、たいした納税者でもないのだが、気持ちとしてはきちんと納税の義務を果たしているので、気になっている。
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