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蝶の舞う庭

夏もたけなわの暑さ、鳥たちは朝こそさえずりが聞こえるけれど、昼間はあまり存在感がない。ベランダにおいたエサもつつきにくる気配がない。

しかし、昼間には音こそ立てね、蝶たちが訪れてくれる。今、バラ、キキョウ、コスモス、アナベラ、キバナコスモス、ひまわりの一種、トラノオ、ホタルブクロ、ほか、名前を覚えられない野草の花が育種か、咲いている。
蝶の名前も知りはしない。モンシロチョウにアゲハしか知らないのだが、ほかに茶色っぽい蝶やなにかしらの蝶が、これらの花から蜜をすっている。

雑草に苦しめられ、いっそのこと、除草剤を使おうか、とか、虫の猛威(とまではいかないけれど)に恐れをなして、消毒や防虫剤を使おうか、と思うこともあるけれど、ずぼらなせいもあって、そういう薬品の世話にはなっていない。

そのおかげか、蝶はよくくる。この頃は黒アゲハがおおくなった。そろそろ山小鬼百合が咲き始める。ユリに黒アゲハはとてもいいコンビだ。

トラノオなどは茶色の蝶がたくさん群がった。なかなか見事な光景であった。

ひらひらと舞う蝶に話しかける。あなたたちに来てもらうため、どんなに苦労しているのか、わかってよね、と。すると、蝶は知るか、とばかりに飛び去り、そこにはブンブンと蜂が現れる。蜂も花の蜜をすうのが好きだ。キキョウの花殻つみをしていると、蜂が邪魔をする。

庭を整えるのは大変だが、こうして、蝶が舞うのも、ご褒美なのだ。

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2年後の7月

こういうのを異常気象というのだろうか。毎年、何かエキセントリックな気象が起きているような気がするのだが。

6月中の梅雨明け宣言といいながら、7月初めは数日続いた雨、そして我が家ではストーブがほしいような低温だった。
その後は高温の記録、といっても、このくらいの高温はこれまでもあった。

まだ現役の時代、昼休みにテニスをするのが楽しみだったが、時には38度、39度という気温のもとでもテニスをしていたものだ。若かったこともあって、暑い、暑い、と言いながらも、せっかく予約したコート、汗びっしょりになって、最期はプールに飛び込む、あるいは水シャワーを浴びる、午後は仕事をしない、という日々もあった。

年齢はそういうことを許さなくなる。この数日、庭仕事でするべきことは多いのに、何もできなくて、室内でぼんやりしている。体が動かないのだ。
熱中症になって倒れることがあっても、救急車は自分で呼ばねばならない。まわりにご迷惑をおかけしてはならない、年よりの心境だ。

西日本の豪雨、そして全国的な酷暑、これは来年も、再来年もおきることだろう。災害も伴うような過酷な気候にならない保証はない。大規模な災害が起きたとき、対処できるのだろうか。
来年はラグビーの世界大会、再来年はいよいよオリンピックだ。

こんな気象条件でもできるのだろうか。年よりはなにもかもが心配の種になる。私だけなら、この山の中でうちわ片手にどうにか過ごせるのだが。

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塩を選ぶ

日本にアジシオができて、その甘い塩に感激したのはいつのことだっただろう。
今、我が家にはアジシオはない。

もっぱらフランスの塩を愛用している。それも南仏カマルグの塩だ。いつこの塩を知ったのか、もう覚えてはいないのだが、南仏に住んでいたときではなく、帰国してのことだったと思う。

友人の影響なのか、あるいはお料理に目覚めたのか、塩が料理の味を左右することに気づいたのだ。
たまたま、フランスのスーパーで南仏カマルグの名をつけた塩をみつけた。フランス土産としていいかも、といくつか購入。

それを使い始めて、たとえば、トマトを食べることが楽しみになったり、炒め物の味がよくなったりと、いくらか自覚もしたけれど、その塩をおみやげとして差し上げたひとたちからの賛辞が半端なかった。

この塩はおみやげの定番となったけれど、ほかにバジルが加わった塩は夏のズッキーニ用に、あるいは赤トウガラシと胡椒の粒がはいった塩、トリュフ入りの塩、ヴァラエティは増えていく。

地元の特産、キャベツを食べきれないほどいただく季節となった。一番の好みは、塩もみでたべることだ。手でちぎったキャベツ、きゅうり、茗荷、ニンジンのスライス、大根かカブ、シソ、ショウガの千切り、これらをいれて、カマルグの塩をふる。その量は目分量。

塩をもみこみながら、ついでにつよく野菜をもむ。しばらくおいて、水分がすこしでたところで、しぼって冷蔵庫にいれておく。
この塩加減だけがポイントの料理ともいえない品が夏の特別料理となる。

そのポイントなるカマルグの塩がなくなった。油断もいいところだ。国産の塩でためしてみるが、どうも味にパンチがない。柔らかみもない。

さて、フランスの友人に送ってもらうように頼むか、あるいは、日本でも売っているという話もきくから、探してみるか、と思っているところに、救い主が現れた。
この塩のおいしさをその昔に伝えて、それ以来、ファンになったという友人と、たまたま会ってその話が出たときのことである。彼らもフランスへ毎年行くのだが、その都度、購入してくるという。その塩が余分にあるので、分けてくださるというのだ。

亡くなったつれあいがよく言っていた、あなたの料理は素材や調味料で勝負しているね、と。そうなのだ。それが大切なのだ。

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ミクロプラスティックについて考えること

プラスティックのストローを使わない、という動きが盛り上がっているようだ。この動き、アメリカがリードしている。

もう1カ月ほど前からこのことはニュースになっていて、それ以来、ストローのみならず、プラスティック製品の仕様を見直しているところだ。

一時、レジバックを有料化したり、辞退するとポイントを得られるといった動きもあったけれど、日本ではまた、レジ袋はほしいだけもらえるようになっている。

私が週1回、買い物にいくスーパーでも、レジ袋はいりません、というと、ありがとうございます、というお礼の言葉は返ってくるけれど、いります、と言っても、黙って数枚くれる。

フランスではレジ袋は有料だった。自分の買い物袋を持参するか、わずかな金額ではあるが、お金をはらって袋をもらうか、である。

レジ袋は、自宅でのゴミ袋に転用するから、無駄にはならないが、よく考えると、買い物するお店ごとに大きさも多様なレジ袋はたまりにたまっている。

そのほか、ラップやストック用の袋はたくさん使う。一人暮らしになって、買い物したものを一人用に袋に分けていくのだ。
お料理の先生たちも、テレビで、こういった便利な品を使うことで、一人暮らしをしやすくしましょう、と推奨している。

考えてみると、昔はこうではなかった、といつも思ってしまう。ストローは麦の茎をつかったものだったし、まずはそんなにストローを使うような飲み物に出会わなかった。

やっぱりアメリカさんの影響だ。最初にストローを経験したのは、コカ・コーラを飲んだ時で、ストローを通って、刺激のあるコーラが口の中、それも喉まで直接流れてきたときにはむせこんだものだ。

我が家にはストローはない、と言いたいが、ヤクルトについてきた小さなストローはある。つれあいの最期のころ、普通に飲むことができず、このストローを突き刺して飲んでいた。飲み込む力がなくなっていたのだ。

今、なるべくプラスティックをつかわないで、と心掛けている。食べ物がのこれば、なるべく蓋物の容器にいれるし、普通の容器でもお皿を乗っけるというような、原始的方法もとっている。
しかし、残りごはんを1食分ずつにするにはラップが便利だ。

何かしようとすると必ず必要となるプラスティック製品、ここから脱出するのは難しい。
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平成という時代の終わり方

来年に予定されている平成の年号の終わり、現天皇の退位によるものだが、なんだか、平成の終わりがこんなことでいいのだろうか、とおもうようなことが起きている。

まずはオウム真理教の教主、幹部の処刑である。7名もの死刑が一挙に行われた、その理由の一つが、改元前にこの問題を終わらせたいという政府の意向、という。

年の初めにいいことが起きればうれしいし、悪い事が起きると、その年の運勢をマイナスにとらえることを私もするから、新しい年号が始まってすぐに死刑執行、なんてことになると、縁起が悪いと思うだろう。だからといって、平成のうちにに、死刑囚を全員処刑してしまおう、ということになるのはどうなのだろう。13名いる死刑囚、しかし、全員を処刑するとなると、外国の反応がこわい、というので7名で終わったのだとか、という話もある。

明治、大正、昭和、それぞれにイメージがあるけれど、すべてにポジティヴなものばかりではない。特に昭和は、世界大戦、そして敗戦、戦後の厳しい時代、それこそ昭和なのだと思う。
平成には東日本大震災もあった。その前の関西の大地震もあった。まだ時間がたっていないから、そういった記憶はまだ歴史ではなく、現実のものとしてもっている。

この西日本の大水害、平成30年7月の大水害、といった名称になるらしい。
平成、私は好印象を持っているのだが、こんなにこの最後の年に不幸なことが起きるとは。
せめて、被害者の方々の復興が、速やかに行われますように。
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死刑

昨日のニュース、オウム7人死刑執行、ショックだった。場所は数か所に分散されたとはいえ、7人という人間が同日、同刻あたりに死んだ。死んだのではない。殺された、ともいえるのかもしれない。

日本はアメリカとともに、G7のなかで死刑が残っている国である。
フランスは1981年、ミッテラン大統領が就任後、公約として掲げていた死刑廃止を実効させた。

その後、ユダヤ人虐殺の当事者たちが捕まったものの、この死刑廃止が発効しているので、死刑にはならなかった。彼らを例外にせよ、どうしても死刑に、という声もあったが、死刑にはならなかった。
フランスでの死刑といえば、1791年以来、ギロチンであったことはよく知られている。フランス革命では、ルイ16世も、その妻マリーアントワネットも、そして革命の功労者であったダントンやロベスピエールも、ギロチンで処刑された。

日本の死刑は、絞首刑なのだそうだ。原始的といえばそうとも言える。苦しみ方が少ないと評論する人もいるが、自分が試したわけではないし、他と比較して、といっても比較・実践した人はいないのだから、確かであるはずがない。

ほかのことではとても人道的といえる日本なのに、いまだ死刑制度を維持しているのはなぜなのだろう。
裁判の判決で、死刑が宣告されても、あまり不思議には思わない。人を殺せば死刑やむなし、という論理にならされている。
もちろん、不条理な殺人に遭遇した被害者やその家族・友人にしたら、死で報ってほしいと思う心理も理解できる。

サリン事件や、オウムの犯罪は極悪非道なものである。だから、今回の処刑を是とする気持ち、そしてそれでいいのか、という気持ち、複雑である。

しかし、これは殉教ではない。それはいいたい。

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母とウィンブルドン

サッカーのワールドカップに紛れてしまったが、ロンドンでのウィンブルドンテニスが始まっている。
まだ始まって間のないころなので、芝生が鮮やかで見事だ。

イギリスと日本は時差が8時間、午後2時から始まるゲームは、日本では深夜になってしまう。

ウィンブルドンには3回行ったことがある。3度も観戦したことがある、というと、皆さん、どうやってチケットを入手したの?と不思議がられる。そう、入手困難なチケットをよくぞ手に入れていたものだ。

2度目のウィンブルドンには母も同行した。イギリスへ行く前、パリで結婚式に二人で出席、そのあと、イギリスへ回ったのだった。

丁度、その時、イギリスには姪も住んでいた。地方都市に日本企業の工場があり、そこに夫とともに赴任していたのだ。
姪が祖母に会いにロンドンまで来るという。母は喜んだ。しかし、私は複雑だった。というのも、姪はテニスをやっており、おそらくはウィンブルドン観戦を一緒にしたいという意図がある。ところが、チケットは2枚は確保だが、姪の分までは手配できるかどうかわからない。

母に、3枚目のチケットを入手できなかったら、ホテルで留守番してくれる?と聞くと、いやです、という返事。ウィンブルドンはお母さんも見たいですよ、お友達にも自慢してきたのだから、絶対みたいです、という返事。それも当然だ、といって、姪にあなたはだめよ、とも言えない。

結局、なかば強引に3枚目も入手して、ウィンブルドン観戦となった。
オープン2日目で、センターコートでは前年の女子チャンピオンのゲームが行われる。そのときはナヴラチロヴァであった。
我々の席は、センターコート、貴賓席の後ろくらいで、とてもいい場所ではある。

当時、今とは違って、もっと自由があった。寒い日で、来場者も多くなかった。みていると、コートサイドに移っている人もいる。私たちも移りましょう、何かいわれたら戻ればいいから、と3人でコートサイドに移動した。もうすぐ前にナヴラチロヴァがいる。

芝をこするフットワークの音、選手の息遣い、まるで高校時代のコートのように、すぐそばで観戦するという経験をした。

母は大満足である。テニスについては、姉や私がテニス部に所属していたので、いくらかの知識は得ていたので、まったく無知というわけではない。
当時はウィンブルドンでは、すべて白で統一と、ボールも白であっただろうか。

姪の手助けもあって、合間にはお土産を買ったり、ウィンブルドン名物のstrawberries and creamを食べたり、満喫していた。

母とは10年くらい、毎年海外旅行をした。私の旅行にくっついてくる、というスタイルだったけれど、ヨーロッパだけではなく、トルコやパキスタン、中国などにも同行した。
半分迷惑であったけれど、こうして、母の思いでを偲ぶ機会が多いということは、私にとって何よりうれしいことである。

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天網恢恢疎にして漏らさず

天網恢恢疎にして漏らさず、これは広辞苑によると、老子のなかにある言葉で、天の網は広大で目があらいようだが、悪人は漏らさずこれをとらえる。悪い事をすれば必ず天罰が下る意、とある。

大好きな言葉だ。しかし、この頃、ちょっと不信に陥っている。よほど目が粗くないっているのか、これでもか、というほど、傍証はあがっているのに、全然こたえない首相がいる。その夫人もそうだ。

あの田中角栄にしても、網にかかって、有罪の判決を受けたし、金丸氏は家宅捜索で、家の中に隠した金塊が見つかったりした。

韓国など、大統領がのきなみ、退任後、あるいは在職中でも天国から地獄への転落をしている。

日本では疑われただけで、それを恥とする文化もあったけれど、それは正しくはないと思う。しかし、これだけの傍証がでてきたのなら、少なくとも、3選を狙うことは控えそうな気がするのだが、いったん、権力の座を降りたとき、天網のこわさを知っているのだろうか。

我が家には天網とまではいかなくても、なにか不届きなことをすると、すぐにその報いらしいものがくるのだが。
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スポーツ選手と刺青

今風にいえば、アスリートとタトゥー、となるのかもしれない。

サッカーをみていて、びっくりした。有名選手のほとんどが腕にタトゥーをいれている。
腕の色が変わってみえる選手もいる。こんなに入れ墨がはやっているとは知らなかった。

これは、オリンピックのときに、問題はでないのだろうか。
今、日本の温泉では、私が知っているのは群馬県のわが村にある温泉施設だが、彫り物のあるかたのご入湯をお断りします、と表示されていることが多い。

日本全国そうなのかは言えないけれど、少なくとも、こういう形で、その筋の人たちの入湯を避けているのだとか。

友人は、外国人で団体の場合、ガイドさんが彫り物をかくすシールを配っているみたいですよ、という。

もちろん、お風呂に入らなければそれはしなくても済むのかもしれないが、オリンピックでいろんな人が訪日するとき、彫り物のある人を規制するのだろうか。

こんなにタトゥーが流行しているとは。いろんなことを学ぶ機会だ。
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