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マンデラと時代を共にする

小学生のころ、世界の偉人という本を読むのがすきだった。エジソン、コッホ、ノーベル、いろんな分野の偉人の伝記を読んで、自分もこんな偉人になりたいと、身の丈をしらない望みを持っていたものだ。

大きくなるにしたがって、偉人と凡人の違いもわかり、いくら努力しても、凡人は偉人になれない、努力をしない人間の私だから、可能性はゼロどころかマイナスなのだ、と理解するようにもなった。

理科系ではなかったので、科学者より政治家やなどにより興味をもっていた。ガンジーやワシントン、ナポレオン、孔子、孟子、もう忘れてしまったけれど、やたら読み漁っていたものだ。

先日、マンデラ生誕100周年というニュースがあった。マンデラ氏については、南アではないけれど、アフリカで少し暮らしたことがあるので、思い入れがある。

20年以上も牢獄にいれられていたにも関わらず、その政治姿勢はまったく変わらず、自由と平等を求めた人、常にその存在を世に認識させていたこと、など、同時代だからこそ、あまり気にしなかったけれど、彼が大統領になり、南アのアパルトヘイトが終わり、アフリカが一変したような印象をうけた。

そうなんだ、これから歴史に残る人物と時代を共有できたのだ、とこの100周年で強く思った。
南フランスにいたとき、南アの外交官から、マンデラの著作のフランス語版をいただいた。そのあとアフリカに行ったのだが、そこへ持ち込んで、辞書片手に一応読み上げ、また日本にかえって、邦語訳も読んだ。

南アに旅行する機会もあって、マンデラの生家を訪れた。ほんとになんの特徴もない、日本でいる質素な文化住宅というのであろうか、これが、と思うような家だった。

日本のみならず、世界各国の政治家たち、時代時代にベストを尽くして政治を動かしているのだろうが、それが国民、あるいは世界のためになっているとは思えないことが多い。
ノーベル平和賞を受けようと受けまいと、偉人と呼ばれるにはちょっとどころが、とても足りないひとたちばかりだ。

マンデラの時代、と呼ばれる時代を私も生きた。

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水害体験の共有

今回の水害の被害、広範囲であることと、その深刻さに驚いている。西日本と地域を広域にされたことも、むべなるかな、と思う。

先日、3歳年長の姉が訪れた、河川の氾濫や土砂災害の最中のことであったか、テレビでの報道を見ながら、二人して1958年の故郷での水害を思い出していた。

わが実家は、1958年6月26日、筑後川の堤防決壊による洪水で浸水被害にあった。このときは、長雨の梅雨の真っ最中で、だんだんに流量が増える川がいつ決壊するか、というのが話題にはなっていたが、実際に決壊するのか、決壊する箇所がどこなのか、もし決壊しても、途中にある坂をこえて我が家にまでくることはなかろう、と大人は思っていたきらいがある。

26日が何曜日なのか、学校があったのかどうか、覚えてはいないが、川が決壊しそうだというので、様子を見に行った。今ではそうしてはいけない、というのがわかっているけれど、その当時は好奇心や、そこまでの警戒心がなかったのだ。

途中で、決壊したから先にはいけない、という話で、引き返したけれど、それを大人に伝えたけれど、大人もフーン、というくらいで、反応しなかった。

ところが、あるときから、道路と家のあいだにある溝から、水があふれだした。これはあれあれという間に、家の中まではいってきた。
それから大人のしたこと、タンスの上にいろんなものをあげていた。あとになって、タンスは浮いて、倒れることを知るのだが。

我が家には近所にあった材木屋の大きな材木が流れてぶつかってきた。家が倒壊するかも、と隣家に避難した。
結局、家は倒壊を免れたけれど、1階の鴨居の上まで水につかった。

今も西日本大災害の被害者の方々が後片付けをしている光景を見て、フラッシュバックするけれど、泥が残って、それは大変だ。我が家の場合、泥だけで、土石というのがなかっただけでも楽だったのかも、と姉と話した。

まだまだ、行政サービスも今ほどのことはなく、ヴォランチアなどいない時代、男といえば父、それに3歳の弟だけという家族構成であったが、どういうふうに片付けを進めていったのだろう。

災害を免れた親戚の人たちが手伝いにきてくれたことは覚えている。それに大阪から就職したばかりの長兄がはるばる帰宅してくれたことも。

避難所があったのかどうか、食事や寝る場所はどうしていたのか、もう記憶にはない。

今回の被害を受けた家屋をみていると、立派な家が多い。建てたばかりという方もいる。泥だけではない、なんとかストーンという巨大な石にどっしり居座られた家もある。

わが故郷の近くでは、2年前の朝倉の水害がある。まだまだその被害からの回復もしていないというのに、再度の水被害だ。

58年の水害も、50年に1度といわれた大水害だった。それからもう60年たっているけれど、この種の異常な降雨や、あるいは台風による大雨といった被害は、毎年ありそうな気配だ。

人口減少、高齢化、少子化、これまでと違った要素のなかで、気候の変化も全く違った意識でとらえるべきなのかもしれない。平均値ではなく、これから新しい統計を取り始める、というような。
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