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秋風ふき

ようやく、秋風が吹きました。台風が過ぎても、お盆になっても、湿度は高く、じとじとする暑さ、うんざりでした。

今日は風もふいて、抜けるような青空です。とても高くに感じて、これは秋空だ、と思い、さわやかな空気が気持ちいいです。
ところが、気持ちがいいと思えるのは1分くらいなもの、今朝は実際は寒い朝でした。なんと9度しかないのです。

我が家(高度1000メートルくらい)より高いところにある、有料道路の料金所では、ストーブいれてるよ、とのこと。

光のコントラストがとても強くて、まぶしいというのか、日陰は暗くてよくみえません。

涼しくなるのをあんなに待っていたのに、庭仕事にでる気になりません。

今朝は5時ごろ一旦目がさめました。まだ薄暗くて、起きる気にはなれません。
でも、考えてみると、もし2時間のサマータイムを
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隣人とのお付き合い

お盆は終わったけれど、8月中はまだシーズン。別荘地である我が家の周辺の家々には、まだまだ滞在している人たちが多い。

人の声が聞こえ(犬の鳴き声も聞こえる)、夜、あかりが見えるというのは安心感があるけれど、1年の3分の2はそれなしで暮らしている身には、いささか”うるさい”と感じることも多い。

つれあいを亡くして2度目の夏、いささかのおつきあいの変化も感じる。

最大は、家に食事に人を招くということがなくなった。つれあいがいたときもそんなに頻度はなかったけれど、たまには、ご近所のかたをお招きして、持ち寄りだったり、私の簡単料理でおもてなしする、こともあった。

これはつれあいがいなくなった、ということだけが原因ではない。年齢もかかわってくる。まずは、夜、出かけるのが面倒だ、という人がふえた。人の家でごちそうになるのは、自宅で食事の準備をしなくてすむからいいわ、と言っていた奥さんが、もう出かけたくない、と言い出した。
だから、人を自宅に招くというのは論外になっている。

単身のお宅も増えた。そうなると、また問題がおきる。車を運転しない方も多いのだ。この別荘地にくるのは、鉄道を利用したり、それなりにこれるのだが、日常に車がないのは致命的な欠陥だ。
一番近いコンビニ、スーパーは6キロのところにある。配達サービスはない。

となると、別荘族の中で相互扶助となるのだが、若いひとたちがいるのなら別だが、年配者ばかりとなると、ようやく車は運転していても、人さまの用事を承る、という余力がない。

隣人の一人に、93歳の女性が一人でみえているのだが、せめて買い物代行くらいしか、お役にたてない。
もしかすると、来年、私自身がだれかにお願いする身になるのかもしれない。

別荘地、限界集落化を来年はきちんと考えるべきなのかも。

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サマータイム、その2

メディアでもサマータイムのメリット、デメリットを分析するようになった。
世界中で、主として先進国がサマータイムを採用しているという。

思い込みの激しい私は、ヨーロッパスタイルのサマータイムが一般的というか、全世界的に採用されているものだ、と思い込んでいた。
つまり、夏時間に移行するのは3月末の日曜日、冬時間に戻るのは10月の最終日曜日だ。そしてヨーロッパでは1時間だけである。
ところがそうではないらしい。

日本では、どうも7、8月だけのサマータイム採用を考えているらしい。本当に暑い期間の暑さよけ、だ。そして2020年に直接スタートするのだとか。

メリット、デメリット、それに賛成、反対、いろんな意見も吸い上げて、採用がいいとか、いや、混乱するだけだ、などいろんな意見が出ている。

働いている人にとっては、大変なことだろう。それも2時間早めるとなると、けっこうな体への負担がかかる。9時-5時の労働時間が、7時ー3時となれば、朝は涼しいかもしれないが、退勤時間は3時(サマータイムを採用すると5時ではあるが)、暑いさかりに帰ることになる。少し涼しくなるのを待って、と事務所で結局残業することにもなろうし、すんなり帰れば、家庭の冷房代がかかるということになる。

きっと暑い盛りであれば、ちょいと1杯と、酒場による気にもならないだろうし、ビアガーデンにもよれない。

いろいろな影響はこれから研究することになるらしいが、さて、わが身にはどう影響するのか、考えた。
結局、社会的にあまり連結していない現在の生活でいえば、7時起床であったものが5時になる、それなら、それを1時間の差として6時起床にすればあまり問題はない。
食事の時間も1時間くらいの遅れなら、体も受付やすい。

これは日本に住んでいる人間にも大混乱となるが、さて、オリンピック選手たちにとっても、大変なことではないだろうか。
せめて4月あたりから始めるのなら、外国からの人たちは時差の変更で納得できそうだが、それにしても一挙に2時間というのはきつい。

もともと、オリンピックの騒ぎが気に入らないアンチスポーツの私としては、少し腹立たしい。


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夏時間になれば

この夏の猛暑で、2年後のオリンピックがどうなるか、みんな心配している。
外に出るな、運動するな、と学校の行事なども制約をいれている現実、オリンピックというハイレベルのスポーツ大会で、全力を出すな、休み休み行いなさい、などという勧告が通用するわけはない。

一番問題のマラソンを朝7時スタートにする、という案が出され、それでももう30度に達していそうだという予報に、究極の解決策が出された。サマータイムも採用だ。

それも2時間も早めるサマータイムにする、というのだ。つまり、7時スタートのマラソンが2時間早めることで、実際は5時スタートということになる。

都会は知らないが、私の家では、朝5時といえば、20度くらいの気温で、時には肌寒いこともある。
東京であっても、25度くらいのものだろう。その時間のスタートなら、選手たちは2時間ちょっとのタイムで走るのだから、まだそう暑いと感じない時間のうちに終了するかもしれない。

しかし、戦後の1時期、採用されていたというサマータイムだが、50年以上、なかったわけだ。今、急に採用、しかも2時間も、ということになると、なかなかたやすいことではないだろう。

フランスで夏時間を体験した。オイルショック後、省エネルギーの目的で1976年よりスタートした。この時間差は1時間で、3月の最終日曜日、午前2時を3時とし、終わりは現在では10月最終日曜日、午前3時を2時に戻す。
高齢者や子供、それに飼育されている家畜などが混乱する、といった反対もあったけれど、割とすんなり受け入れられていたように思う。

それは欧州では一般的に行われていることもあるし、朝はまだ暗くても、夕方の明るい時間帯が長いので、夏時間になると、急に夕方がゆったりした気持ちになる。
5月にでもなると、仕事を終わって帰宅後も、夕食までの時間を子供と野外で遊べる、といった時間ももてて、おしなべて好感をもたれている。

日本はいつからいつまでの期間を夏時間とするのだろう。2020年に直接採用というのでは、混乱も大きかろうから、きっと来年から実行するのだろうが、一挙に2時間早められるとなると、そう生体リズムが適応できるか、疑問である。

そして2020年が終われば、サマータイムは終わるのか、これが続くとなると、覚悟が必要だ。

究極の解決策は別にある。だれもが思っていることだが、7月開催を10月にすることなのだ。

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8月8日、旅立ちの日

8月8日、きわめて私的な旅立ちの記念日である。うん十年前の8月8日、生まれて初めての海外旅行に旅立った。飛行機ではなく、横浜港から船での旅立ちだった。

往路は、横浜からナホトカなどソ連経由であったが、シベリア鉄道、モスクワからウィーンへは飛行機で、そこまではJTBの団体旅行であった。
ウィーンで解散、私はそれからロンドンへと向かった。

所持金はアメリカンエクスプレスのトラヴェラーズチェックにした800ドル、何か月有効だったか忘れたが、ユーレイルパス、帰りはアリタリア航空のチケットをオープンで持っていた。

結局、6カ月、ヨーロッパをうろついた。イギリスは知人宅、パリでは日本企業でアルバイト、旅行中に知り合ったひとたちを訪ねて、宿泊費は倹約できるだけ倹約、帰路はアリタリアの航空券で、あっち行き、こっち行きしてミラノ、チューリッヒ、アテネ、バンコック、香港、もっと寄港したかもしれない、残りの持ち金を使って、未練たらしく動き回った。

その後、まさか毎年のように海外に出かけられる時代になるとは思いもしなかったので、最初で最後と思っていた。

貯金ゼロになるどころか、相当額の借金(叔母から借りた)を背負ったけれど、この旅行が私の人生を開いてくれた。

それから語学を学び、まだ中途半端な語学力ではあったけれど、幸運も手伝って、外国語で仕事をする機会を得た。

8月8日は、私の人生の旅立ちの日である。


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今更カジノに行かないけれど

重要法案の一つ、カジノ法が成立した。カジノ法といっては正確ではない、カジノではなく、IRという総合施設なのだそうだ。

私は賭け事が大嫌いだ。競輪、競馬、競艇、それにパチンコ、スロットマシン(これがどんなものか知らないのだが)、すべて、足を踏み入れたことがない。と言いたいが、18歳、高校を卒業したときに、学友たちと、それっとパチンコに行ったことはあるが、それが唯一のことだ。

しかし、カジノには何度か行ったことがある。モナコ、マカオ、カイロ、などに行った。モナコで最初に行ったとき、ルーレットでもうけたことがあったけれど、それが唯一の稼ぎであり、その後はすってばかりだった。といってもほんの少額で、基本的に好きではないので、高額をかける気にはなれなかった。

日本にカジノができれば行ってみるか、もうそれはない。どちらかというと、日本にはそんな施設は不要だと思っているのだ。
テレビなどで、競艇や競馬の広告をみると、とても不愉快になる。競艇など、売上金の一部は社会事業に使われているというような、おためごかしを聞くと、鳥肌がたつ。
若い人を惹きつけるような競馬の広告もどうして許されているのか、信じられない。

賭け事は大衆を対象とした広告、あるいは子供たちが見ている時間帯での広告など、許してはいけない、と思っている。

今回の法にしても、きれいごとをずいぶん言われているけれど、カジノを賭場と言い直せば、なんことはない、いかがわしさがでてくる。観光振興や、社交といったものが生まれる、などと甘いことは、それこそ、眉唾で聞かねばならない。

いかなければいいことだ、とも思うけれど、なんでこんな施設を作るのか、不愉快になるばかりだ。

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生産性は何をもっていうの?

この頃、LGBTは生産性がないから、いろんな施策はしなくてもいい、というような発言を自民党の国会議員がいい、また別の同党の議員が同性愛は趣味のようなものだから、と発言したことが問題あるいは話題になっている。

LGBTは生産性がない、というのは、子どもを産めないからだという。

子どもが産めないのはLGBTだけだろうか。そうではなくても子供を産めないひとはたくさんいるではないか。

私は晩婚だったから、自分の子供はいない。そういう意味では、生産性のない一人だ。
自分の実子を持っていないというのは現実、引け目にはなる。人からとやかく言われることはないと思うけれど、子どもは好きだし、もとうと思えばきっと持てただろうとおもうからだ。
しかし、当時は婚外子、シングルマザーというのは世間的に認められていなかったし、社会的な条件から、持たなかったというのが真実だ。

今更過去に戻れるわけではないから、持たなかったことを後悔しても仕方がない。

しかし、子どもをもたなかったことを、生産性がない、と言われると、それはないでしょう、と反論はしたい。

出生率が2以上でなければ、人口は減少していく、というのは承知しているけれど、今の時代、結婚しない、できない、結婚をしても晩婚で子供がもてない、あるいは若くして結婚しても、経済的に、あるいは現代は妊娠しずらいからだになっている、という医学的な問題もある。

私の友人には、結婚していない女性、あるいは結婚しても仕事を続けていて、子どもがいない、という人もいる。
それらの人たち、全員を生産性がない、と決めつけるのだろうか。

フランスでは、現在、同性のカップルについても、第三者の精子を人工授精することでの妊娠を認め、あるいは養子縁組も可能にしようという動きがある。
こういう形で同性カップルについても、親になるという可能性を認めようとしている。

憲法の条項は、現在にはそぐわない。私はその点だけで、憲法を修正してほしいと思っているのだが、人口の8%にもなるLGBTをふつうではない、という時代ではないはずだ。

年齢とともに、保守的になるけれど、今回の自民党議員の発言には、うんざり、だ。

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後家の頑張りはもういいよ

今週は熱中症でスタートした。台風一過とはいかない、湿度が80%以上ある中で、台風の後片付けをしたのだが、それがいけなかった。

この台風、私の住んでいる地方を直撃もしなかったのに、風と雨、どちらも強くて、後遺症が残った。倒木はなかったが、木の枝、葉っぱが散乱している。また花なども倒れて、支柱をたてるか、切り取ってしまうかしなければならない。

毎日の庭仕事もある。少しがんばりすぎたのだ。
月曜日、火曜日と気分がわるく、ベッドから起きはするけれど、ほとんどソファーにぐったりなっていた。
それを訴えた友人の一言である。「後家のがんばり、もういいよ」

この言葉、よくふるさとでは耳にしていたけれど、どんな意味があるのだろう。正確には知らない。肯定的なのか、否定的なのか。後家というのは夫を亡くした妻のこと、これはあてはまる。
つれあいと共同作業でしていた庭仕事、二人と一人の仕事量の差や、年齢的に長くはできなくなって、とても彼が生きていたときとは違っている。

それでも、頑張ってきた。庭仕事が好きだというのもあるのだが、だれに褒められることもないのに、ひたすら、1日のうちのいくらかの時間は庭仕事に割いてきたのだ。

がんばったとして何になる、熱中症で寝込むのがせいぜいだ、それより、お気楽にしてなさいよ、というのが友人の真意なのだろう。

小さいとき、同居していた叔母がこのことばをよく口にしてたのを覚えている。決してほめては居なかった。当時は、戦争未亡人なる人も多かったけれど、そういう人たちが死に物狂いでくらしているのを、あの人は後家の頑張りだから、とか少し揶揄していたような口調だった。
それが私にはちょっと不快感を覚えさせた。叔母自体、戦病者として帰国した夫がいたのだが、離婚して実家、つまりは私の父の家に戻ってきていたのだ。正確には後家ではないが、シングルマザーとして、がんばりを見せる必要があるのに、同病相憐れむではなく、皮肉っぽい言い方をしていたのだ。

私にはがんばらなければならない理由はない。それなのに、がむしゃらに頑張るようなところをみせるのは、意地なのだろう。だれに対しての意地か。亡きつれあいに対しての意地でしかない。

そんな何の役にもたたない意地でのがんばりは不必要、と友人が忠告してくれたのだ。

自分でやり遂げようと思っていた南と北の庭の草刈、とうとう管理事務所に依頼した。
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