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マニャックになりたい

なんでもいい加減、中途半端な自分に嫌気がさしている。
何か一つ、人に自慢できるものがあればいいのだが、と自省しているのだ。

マニャックとか、フェチ、こだわりが強い、などというと、いくらかネガティフにも思えるかもしれないが、そこまでいくと、それにかかわるエネルギーが大きいから、そのエネルギーを出せるというだけで尊敬だ。

今、コーヒーで悩んでいる。コーヒーをおいしく思えなくなったのだ。ネスカフェのカプセルを使っていたのだが、去年末に故障していらい、なんだかおいしさを感じなくなった。味になれてしまったからなのか。
それでふつうのコーヒーメーカーに戻してみたのだが、粉と水の割合がぴったりこないのか、これもいまひとつおいしく感じられない。

粉が古いせいか、と新しいパケをあけた。これはミャンマーのコーヒーだ。産地はミャンマーだとわかっているが、なんというコーヒーなのか、それはわからない。

コーヒーに詳しい人もいる。昨日は、もとコーヒーの取引に関係していたという方のブログを拝見。コートジボワールやイエーメンでのコーヒー園までおいしいコーヒーを求めてでかけられたことや、モカなどというコーヒー名のいわれなども書かれていて、とても興味深かった。

私とくれば、粉状態であれば、もう贅沢をしているという感覚、貧乏時代のインスタントコーヒーから脱出しただけで感激したのだから。
ネルでドロップとまではいかないにせよ、サイフォン式というのか、銀色の6角形のコーヒー沸かしをブリュッセルまで探しにいったこともあったのに、それも何度か使っただけで終わった。

コーヒー道は奥が深そうだ。コーヒー豆が解決しても焙煎の問題もある。抽出方法もいくつもありそうだ。

ラオス式コーヒーというのは面白かった。カップの底に相当量の練乳をいれて、そこにコーヒーを注ぐという。甘いコーヒーはいやだ、という友人は練乳を攪拌しないでいたが、私はしっかり混ぜ込んで、甘く、ねっとりしたコーヒーを飲んだ。おいしかった。

ミャンマーが終われば、ラオスのコーヒーも試してみる。以前、ハワイの何とかコーヒーもいただいたが、入れ方が悪いのだろう。そんなにおいしい!とも思わず、普通にいただいた。

友人のなかには、日本酒が好きで、醸造元をすべて訪問した、という人もいるし、百名山を踏破したという人もいる。

今、ある人のマニャックにお付き合いしている。彼はゾウが大好きなのだ。それを知って以来、我が家のゾウグッズは彼のもとへと移動した。アフリカで入手したゾウの置物、ゾウが描かれたもの、そして昨年はタイに旅行したときに象グッズを購入したし、今回のラオス旅行でも同様だ。

いつまで彼のゾウ大好きが続くのか、そんなことはどうでもいい。自分がマニャックにはなれない分、人のマニャックに参加して、エネルギーの分け前にあずかるのだ。彼はまだ学齢前、この道はまだまだ続くのだろう。

亡くなったつれあいもあまりこだわりのない人だった。食事にもワインにも、適当においしければいい、ですんでいた。

今更、マニャックになることないよ、と写真は言っている。

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もりかけ問題の主役たちはどうしてる?

久しぶりにお蕎麦を食べにいきましょうか、と友人と話していて、気づいた。

森友学園の片側の主役の籠池夫妻はどうしているのだろう。いまだ収監中と別の友人が言っていたが、夏には、冷房もない監房だと、メディアが報じていた。この寒い時期は暖房はあるのだろうか。こんなに長い期間、保釈もされないとは、どういう事情なのだろう。そこになにか政治の意図がかくされていないのかどうか、書類の問題とは別に掘り下げてほしい。

そしてあんなに報道していた加計学園のことも、学部新設も認可されたのやら、しばらく日本にいなかったせいか、あるいは報道が途切れてしまったせいか、はっきりわからないでいる。

加計さんもとうとう国会に呼ばれることもなく、メディアの前に正々堂々と出てくることもなく、引っ込んだままですんでしまったのか。

獣医学部はこの春からの開設なら、受験も行われたのだろうが、これはいつからだったのだろう。

メディアもぷっつんと切ってしまうのではなく、時々、あの問題のその後をちょっとフォローしてくれないものだろうか。

映像で森友学園の小学校のでてくるたびに、この建築費は払われるのか、立派に出来上がったようなのに、この建物は今後どう利用されるのか、こんなことも知りたいのだが。
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働き方改革

丁度、日本にいないときに、「働き方改革」が焦点となっていたので、どうもぴったりこないのだが、その一つに「高度プロフェショナル制度」やら「裁量制労働」といった言葉の胡散臭さを感じるせいもあるのかも、と思っている。

働きたいと思っても(時々思う)、年齢的にお呼びではないので、働き方といわれてももう縁のない世界だ。年齢的だけではない、能力的にも、なのだが、以前していた仕事は、もしかしたら、高度ではないのだが、プロフェッショナルに相当するかもしれないし、裁量制の対象となったかも、と思うと、そう無関心でもいられない。

最初からフォローしていないと、どうも標語の内容がつかめない。高度プロフェッショナルだと、自由業の仕事が相当し、裁量制というのは、会社員が対象となっているようだ。

この制度、使用者側からの提案らしい。というと、どうもうさん臭さを感じる。能力のある人を、固定した賃金で、うまくつかいまわそうという魂胆を感じるのだ。
たくさんの仕事を与え、時間内にできなければ、その人に能力がなかったことにして、できれば、もっと仕事をまわしてしまう、なんてことではないのかと。

副業を奨励したり、自由業への転職をすすめたり、雇用者側が率先する制度というのは信用がならない。

通訳や翻訳といった仕事をしている友人がいるため、自由業というものの実態をいくらかは承知しているのだが、出来高払いのこういう仕事では、安定した生活が望めない。もちろん、仕事があるときは収入も高いけれど、1日20時間働いたり、また経費がたくさん掛かったりだ。

今、年金暮らしをしていて、自由業にならなくてよかった、とつくづく思う。

若い人たちは、彼らの思惑もあり、実力を発揮できる仕事なら、自由なほうがと思うことだろう。しかし、実力を発揮できないときもあるし、仕事が続かないときもある。
組織にしがみついて、とは言わないが、やっぱり組織に属していたほうがいいこともある。

就職は自己責任の一つだ。
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代父の容態

2月初めのころに、従妹から代父の入院を知らせてきた。肺と泌尿器関係のことで入院したのだが、元気そうだから、ということだった。

年末・年始を一緒にすごして、呼吸が苦しそうだし、咳がよく出るし、一度検査をしっかりしておいたほうがいいのに、と思っていたので、この入院で改めて検査もあろうし、と半分心配、半分安心していたのだった。

こちらはラオスへの旅行もして、その後のニュースがないことも気がかりだった。そこに、facilitatriceという、ケアマネというのか、後見人というのか、代父の家で働くお手伝いさんたちの管理をしてくれている人からメールが届いた。

代父は2月中に2度入院したのだそうだ。心臓、肺、そして泌尿科系で容体が悪くなったのだそうだ。
そして、本人の希望もあって、自宅に戻ったけれど、もう前のような生活はできず、夜間の看護をする人も必要になったのだそうだ。

いわゆる在宅介護、フランスでいうhospitalisation a domicile自宅を病院化する、という方法をとるらしい。だから、特に夜については看護婦の資格をもっている人を雇いたいのだとか。しかし、なかなか、資格所持者がみつからないらしい。

このメイルによると、結局、夜も人がいるので、私の泊まるスペースがない、また介護に手がかかるので、お手伝いさんたちも手一杯で、私がはいる余地がない、とのこと。

もうベッドでほとんど過ごす父らしい。そして目をさます時間もあまりないのだとか。お見舞いも短時間、2人くらいで、と制限もかかっているらしい。

従妹のメイルでは、ずいぶん弱っていて、2月初めからの変わりようが信じられない、という。

日仏間の距離、そんなに気安く行けるわけではない。在宅介護がうまく進行できるようになるまで、そして代父の状態が安定できるまで、すこし様子見だ。
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今年初の庭仕事

昨日、今日とあまりのお天気についその気になってしまった。庭のひだまりに、フクジュソウが2輪、でていたのが、1輪は少し開き始め、黄色の花びらがみえる。そして、今朝はまた白のクロッカスがほんの1輪だけ咲いた。

こうなると、むずむずしてくる。庭の80%はまだ真っ白、雪に覆われているのだが、陽だまりになった部分が少しだけ、土をみせている。
南の庭より、北側の庭の雪解けが早いのはどうしてだろう。北側は家のかげになって、日あたりも南の庭よりよくないと思うのに。地温が違うのだろうか。

まだ土が見えるといっても、凍っている。庭仕事といっても、することはないのだ。
そこで、雪の中、木を切ることにした。隣との境に植えたイチイの木が、10年で大きくなりすぎた。境界としてはいいのだが、このまま大きくなって、大風のとき、隣家に倒れたりしたら大変だ。

冬の間に切ってくださいと、お願いした人もいるのだが、そもそも苗木をくださった人なので、切ることをよしとしていないのか、いい返事はもらえなかった。

のこぎりを手に、1本を選んで切ってみる。大変だった。枝を切り落とすのと、木の幹を切るのは違う。休み、休み、一こぎ、二こぎ、なかなか進まない。堪え性もなくなって、途中でやめたくなった。

のこぎりでは無理なのだ。チェーンソーで切れば簡単なのに。でも、この苦労が木への敬意と、がんばった。

まだ10本以上残っている。今日切ったところは、隣家のお風呂の窓を隠していた。切ってよかったのやら。

昨年とうとうやれなかった枯山水の掃除も今年は課題になっている。本格的な春が待たれる。
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ルアンプラバンの托鉢

古都ルアンプラバンの売り物といっては語弊があるけれど、早朝の僧侶の托鉢が有名だ。
この町を紹介する映像には必ずでてくる。

村上春樹の「ラオスにいったい何があるというんですか?」にも、この托鉢が紹介されており、かつ高い評価をされていた。

さて、老女2人、もう相当、人生の悪業も重ねて、後世についての望みももちかねている。友人は簡単に最初に言った。昨年、ミャンマーで托鉢への寄進はしたから、もうここではいいです、と。

私はミャンマー旅行に行っていない。ルアンプラバンに来る前、ヴィエンチャンに滞在中、そこの友人が、当地でも托鉢はされていますから、もしご覧になるとか、寄進をされたいのでしたら、カオ・ニャオ(もち米)をご用意いたします、と親切に言ってくれた。怠け者の老女は、ここではいいです。ルアンプラバンで3泊ありますから、そこで参加することにしますと。

なんせ早起きをしなければいけないというのが大のネックなのだ。まず第一夜があけて、その朝、早朝に騒音が聞こえる。まだ早い!とベッドのなかで文句をつけている。
ああ、そうだった、お坊さんの托鉢があったのだ、と気づいて、その昼、ホテルのフロントで何時に起きればいいのかきいてみる。5時半で大丈夫ですよ、とのこと。

5時半、睡眠障害で、朝方に眠っている身にはちょっと辛い時間だ。よし、明日がだめなら明後日、2日あればどうにかなるだろう、もし2日ともダメでもいいじゃないの、と老女はこだわらない。

ところが、翌朝、4時すぎにがたがた物音がし始めるのに気づくと、もう寝ていられない。5時には表に出た。ホテルの前も托鉢僧は通るという。
道の真ん中には屋台の車があって、寄進のためのカオ・ニャオ(もち米)やなにが包まれているか知らないが粽になったもの、カップにはいったもの、と3種の籠が用意され、ワンセット5万キープだという。

まわりは観光客だけだ。本来、正座して僧侶を迎え、けっして彼らより目線が上になってはいけないらしいが、観光客には小さな椅子が用意されている。正座ができない私は当然のように座って待つ。

村上春樹は、「僧侶たちにもち米ごはんを「差し上げ」てみた。まあ、ほんの真似事のようなものなのだけど、それでも実際にやってみると、そこにある土着の力みたいなものを、その本物さを、不思議なくらい強く肌身に感じることになった」と書いている。

私は土着に人のなかにいなかったせいなのか、その力なるものを感じなかった。とても形骸化したものと思った。かれらの托鉢をする道具は、アルミのふたがかぶせられるようになっている。こちらのお供えがうまくタイミングがあわないと、その蓋を閉じている。

こんなに形式化したなかで、ほんの一握りのごはん、それは量的には集合して大変なものになるのだろうが、そうなったらそうなったところで、消費できるのだろうか。
人の手で、小さくまとめられたもち米ごはんは、はたして食べる気になるのだろうか。

私の隣に座った人は、もしかしたら土地の人だったのかもしれない。お米のかわりに小さい袋菓子用意していて、それを托鉢の容器にいれていた。

私はごはんのほかの粽やカップにはいったものを、若い僧たちに主としていれていたけれど、さて、最終的に自分のものは自分のもの、となるのだろうか、それは疑問である。

毎朝、こうして托鉢をするというのは、修行としてはいいのだろう。しかし、こうも観光化し、形骸化しているとなれば、修行の一端と言えるのだろうか。

昔、実家には禅宗のお寺から、若い僧が時折托鉢に寄っていた。玄関に鈴の音がして、扉を開けると、黒装束の、裸足の僧が杖を鳴らしている。奥にいる祖母に「お坊さんがきた」というと、茶菓子やお米、そしていくばくかのお金を差し出していた。そのお菓子は私が食べたかったのに、と思うこともしばしばだったが、祖母はかならず寄進していた。

あのシンプルな托鉢のほうが、私には納得できる。ルアンプラバンのオレンジ色の衣が派手というのではない。団体で托鉢をするとき、その表情に倦んだ気配を感じただけなのだ。
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ごめんなさい、あなた

寄る年波なのだろう、この頃、ひざから下がとても冷える。電気毛布を使っていても、足だけは別物のように冷たく感じるし、日中、暖房がききすぎて、暑い暑いと思っても、ひざ下はひんやりしている。

ちょっと待って、こういうことを確かつれあいが言っていた。
そんなとき、暖房は23度にもなって、汗をかきそうなのよ、足が冷えるのなんて、考えられない、とつれあいの訴えを却下していたものだった。

この頃、つれあいがしていた失敗を、私もするようになった。
洗面所で、歯磨きチューブのふたをしそこなったり、水道の蛇口がきちんと閉められておらず、たらたらか、ほんの少しずつにせよ、お湯なり水が流れている。

蛇口をちゃんと締めないから、とつれあいに厳しく言ったものだ。・

食事をしていれば、こぼしたはずはないのに、カーペットの上には食べ物のかず、お米粒、なにかと落ちている。なんでぼろぼろこぼすのよ、とそうして欲しくない気持ちから、つれあいに毎回注意を喚起していた。

私もそうなった。食べ方には気を付けている。それなのに、ナプキンの上ならともかく、カーペットの上にもくずが散っている。

電気の消し忘れ、電話の子機をちゃんと戻していない、玄関の鍵をかけていない、あげればきりがない。

すべて老化現象なのだろうか。記憶力も日ごとに、時間ごとに減じていることを感じる。だから、お金の振り込みなど、請求書を受け取れば、翌日には払い込みをする。

いろんなことで、失敗も多くなった。そんな一つ一つを、つれあいがすると、老化を防ぎたい一心もあったし、あんなにしっかりした人だったのに、という気持ちもあって、少しきつい言葉で咎めていた。

申し訳ない、これはもうどうしようもない老化現象だったのね、と今になって、自分にも起きるようになってよくわかった。

でもつれあいに言いたい。あなたの場合、注意してくれる人はいたけれど、私にはいないのよ、
自分で自分を叱らないと、どんどん進んでいくのよ、と。

自分で自分に注意をする、これはいいのだが、独り言になってしまう。これが常態化すれば、人がみれば、こわいものがあるのかも。
まだ気づくときはいいけれど、気づかないところで失敗していたらどうしよう、と思うと、とてもこわい。

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国境なき医師団のスキャンダル

昨日、国境なき医師団からのお知らせを受け取った。なにかスキャンダルがあったようだ。

この国際的活動をしているNGOの内部で、虐待、ハラスメント、未成年との性的な関係、モラルハラスメント、こういったことが行われていたらしい。内部だけではなく、活動の対象となる人々への行為もあったらしい。

このMSF日本が発表する前に、本部のほうでプレスリリースをしたとかで、日本事務局の対応が後手にまわったことで、こういう手紙を送るということになったらしい。

ところが、私にはチンプンカンプンの話だった。本部の発表が2月14日だったようだが、その時、海外旅行中で、日本のみならず、ニュースというものと接していなかった。

詳しい事情がわからないので、コメントしてはいけないのだが、このMDF(国境なき医師団)は、昔、アフリカにいたときから支援していたので、20年のつきあいになる。

国連軍もそうなのだが、組織が大きくなると、必ず起きる問題だ。だからといって容認するのではないが、人間のいるところ、善のみだけが存在するとはいえない。

特に人道支援などの場合、支援を受ける側への配慮が万全であることはなかなか難しい。

自分にもそんなおごりの部分があるに違いない、と他山の石とした次第だ。今年もいくばくかの寄付をしたばかりだった。ちょっと早まったかな、と思わないでもない。
でもそんなことを言って、この人道支援が活動を縮小するようなことがあってはいけないのだ。
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