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地方都市の荒廃

昨日はひどい天気だった。寒波が戻って、雪の予報もでていた。風も強く、とても出かける気分になれない空模様である。

従妹の連れ合いは、週に1回は、ノルマンディーに住む自分の両親、100歳近い、を訪問することになっている。従妹は、私が来ていて、彼女の両親の墓参りをしたい、というリクエストに応じてくれることになった。2月は彼女の父親が亡くなった月で、墓参りを今年は仕損なったので、ちょうどいい、という。

前日の夜、彼女らはディナーに招かれて遅くに帰宅、疲れたのか、9時近くに起きてくる。
お墓のあるところは、両親が最後まで住んでいた田舎、250キロは離れていて、片道2時間半はゆうにかかる、という。
この天気、それに、やたらと電話をかけたりして、時間をかけているから、今日の遠出はなかろう、と思っていたのに、11時頃、行くわよ、と言う。

A5を使って、まずトロワに行き、そこで昼食、それからFontaine les Gresという両親の町へと行くことにした。
日本でも道路の保守管理が行き届いていない、と問題になっているが、オートルートなのに、穴ボコがたきさんできている。雨がたまって、濁流化しているところもある。

トロワの街には2時半過ぎに到着した。駅の近くに何かあるはずだ、と車をとめて、冷たい雨がの中、彼女の小さな折りたたみ傘に二人で体を寄せあって歩く。
とろわのウナギ、って食べたことがあるか?と聞いてくる。一度、昔に代父夫妻と来た時、食べた記憶があるけれど、もう味やどんな料理だったか、忘れた、と言うと、じゃあ、それを食べよう、とたべるものは決まった。

ところが、駅周辺はすべてのたてものが工事中、ホテルもレストランも何もない。少し歩いてみたけれど、何も見つからない。
これはいかん、と街の中心、カテドラル近くに車を移動。雨は降っているけれど、土曜日、もうちょっと人出があってもいいのに、と思うほど閑散、そして、レストランと呼べる店が1軒もない。
こっちにあったはず、と彼女の記憶で歩き回るが、見事に何もない。

ハンバーガーやスナックていどの店は1、2軒あるが、うーんとためらう。結局、ポールというパン屋さんでサンドイッチでも食べようということになった。
ポールというパン屋さんは、パリにもあるし、恐らく全国にチェーン店を展開しているはずだ。パン屋としては定評があるから、と安心していたのだが、ちょっと期待はずれだった。ボトルの水につけてくれたコップは縁が欠けているし、日本ならCSでうるさく言われそうだ。

トロワの街は歴史も古く、カテドラルも立派だし、昔ながらのの建物もたくさん残っていて、観光にも力を入れている。もうちょっと何かあってもいいのにね、と車を出すと、あたり一帯、ジャンダルムの人たちがたくさんいる。なんのおとがめもないので安心していると、出口がブロックされている。
どうすりゃいいのよ、と従妹はちょっとイラつく。

少しバックして、出口がないものか探ったりしているうちに、近くの県庁の庭から、黒い煙が立ち上ってくる。砲弾というほどではないが、ズドンという音も。Manif des agriculteurs農民のデモよ、と従妹がいう。

程なく、後ろからきた車が我々の車を避けて先にいくから、どう抜けだすのかみてみよう、とみていると、1本先の一方通行の道を逆走だ。そうか、それしかないね、とわれわれもあとに続く。一方通行の道も、入り口をブロックしているのだから、入ってくるクルマはない、そうか、と中心の道路に出ると、道の中央には、ガレキが積まれている。家畜の糞でなくてよかったね、と言いつつ、瓦礫をよけて運転だ。

Fontaine の町はもっと閑散、人はいないし、車も少ない。花屋がある、というので、墓前に供える花を買うことにする。まだ、マイナス気温になるときがあるので、寒さに強い花を、と言っても、そう種類はない。
この町の墓地に、両親というのか、実家の墓がある。どういう構造になっているか知らないが、祖父母の代から埋葬されているのだとか。暮石にそえられた印は、勲章だという。彼女の父も、祖父も、レジオン ドヌールを受勲している。父は第二次世界大戦のヒーローでもあったので、戦時功労賞、戦後は地方経済の振興、文化事業への貢献と、いろんな活動をして、いくつもの勲章を貰っている。


彼女の父が現役で働いていた時代、この街は祖父が創業した繊維産業で栄えていた。有名なブランドに育て上げたのだが、、いかんせん、時代の波にのれず、彼女の姉婿が継いだあと、イタリアの資本に買収され、工場は残す、雇用は維持する、と約束を得ていたが、その後すぐに工場へいさ、生産はイタリアで、となったらしい。

両親の住んでいた家は、イタリア資本の撤退時に、町の所有となり、3年前、父の死去とともに、町に返却、そのごどうなったのやら、彼女は新聞を売っているお店で情報をえてきた。つい最近、だれかが購入したのだそうだ。

彼女の実家は、町のために、いろんなところで貢献した。教会を建てているし、スタッド(運動場)にも家族の名前が付いている。
もう親族はだれも住んでおらず、お墓だけが残っている。

このあとはどうなるの、と聞くと、知らない、自分の子供、孫達をもっと連れてきて、家系、祖先というものに関心をもたせなきゃね、という。

帰りは田園地帯をすっ飛ばした。県道というのは、最近、90キロから80キロに最高速度を落とされて、不評タラタラだが、そんなことしっちゃいない、とばかりに、また車の往来がないのをいいことに、猛スピードだ。

農村地帯であるが、家々はとてもきちんとしたものが多く、日本の限界集落とはちょっと違う。
携帯のナヴィをしても、右に曲がる、というのに、左に勝手に曲がっていく従妹の運転、果たしてパリにたどり着けるか、心配したが、無事、8時ちょっと前に到着。
15分程度の墓参りに、7時間いじょうかけた1日だった。

帰ったら、連れ合いのお墓にも行くべきかな?
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