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固定電話のない不便さ

今回、滞在は短いものの、いろんな連絡もあろうか、と、空港でプリペイドのシムというデスクをみつけ、アイフォンに入れることにした。どれだけの容量で40ユーロだという。この容量で、1週間の滞在が賄えるか、わからないのだが、それで試してみようと思った。

ところが、私の携帯は、なにかがブロックされていて、入れられないのだという。なぜ?、どうすればいいの?と疑問を特には疲れすぎて面倒。すぐにあきらめた。
従妹の家には無料のWifi があるにちがいないから、それで済ませようと思ったのだ。

済ませられたけれど、誰にも連絡できなかった。フランス在住の友人が、ブログを読んで、父の死亡と私がフランスに来ていることを知って、ヌイイの家に電話してくれたのだが、私の連絡先など知らない、と素っ気なくあしらわれてしまったそうだ。

従妹夫妻はもう固定電話を持っていない。それぞれが携帯をもって、まあ、絶え間なく使っている。ちょっと貸して、とも言えない。

とうとう、誰にも、連絡することなく終わった。ヌイイの家では、固定電話しかなかったが、それなりに勝手に使い、外からも私宛にたくさんかかってきた。

今や、外国へ出かけるときも、外国仕様の携帯を持つのが潮流ではあるのだが、日本国内でも、携帯がまだ身についていない私としては、このくらいの不便さは耐えるべき範囲なのだ。

葬儀の席で、多くの人からon se telephone と言われたが、なんともしようがない。

でもIT時代、帰国後、メイルでの返事であれば、費用は気にならない。いいところもあれば、不便極まりないこともある。
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葬儀についての雑感

従妹は電話などで、父の葬儀を話すとき、enterrement と言っている。私が解釈すると、埋葬となって、葬儀とは違うような気もする。

昨日の教会でのミサは、教会ではそれなりの連絡網があるだろうし、親戚、知人には娘や身内の人間が電話やメールで知らせたのだろう。私には従妹からだった。
今回はフィガロ紙にもお知らせをだしたためか、結構人は多いように感じた。年配者が多いのは、父が95歳ということもあるが、甥や姪の世代、意外と若い人も見かけたので、どういう関係なのか、聞いてみたかった。

今回は火葬にするということで、他のことも簡素化されたのか、母の時つくられた式次第をかいた印刷物がない。数枚持ち帰って、父をご存知の方々に、お送りしようと思っていたのだが。

前回(母の時)、3人の名ずけ娘でしたpriere universelle というお祈りは孫の一人がした。
聖書の一節は娘が担当した。ミサの最後に娘がなにかをいう、というので、父の思い出や、皆さんとの交流のあれこれか、と思っていると、事務連絡のようなことだけだ。
そして、火葬にするのは、故人の遺志で、何年に書き残していた、と自分がそうしたわけではないことを言い訳している。まあ、これは言っておきたいだろう。火葬は初めてだ、という人が多く、いとこのつれあいも火葬場に行くのを拒否している。

なにもかもがとてもセックsecで、私のスピーチが涙を誘う唯一のものだったようだ。

火葬場い集まったのは親族のみ。それもとても近しい人たちだ。棺がおかれた部屋で、孫達が編集した思い出写真のヴィデオをみる。30分ほどだ。若々しい父、別人のようだ。
娘と息子を養子にした後の写真はまるで「幸せ家族」そのものだ。

私の写真もあって、家族の一員に入れてくれたのかな、と嬉しかった。従妹は帰った後で、現実から乖離したヴィデオだった、と言っていた。

そのあと、待合室に戻っていると、棺を炉に入れるところをご覧になりたい方はどうぞ、と小さな部屋に案内された。ほんの少数だ。これもカメラで写しているのを見る。

フランスのやりかたは、遺骨にするのではなく遺灰とするので、より高温で、長時間かかるとのこと。
どうぞお引き取りを、ということになる。
遺灰になったところで、だれかが受け取りにいくのだとか。

我々はヌイイの家に戻った。ここで軽食が振舞われる。御斎とでもいうのだろうか。シャンペンはないが、ワイン、ソフトドリンク、おつまみ、プティフール、などが供される。

親族の同窓会みたいなもので、消息を披露しあっている。娘がだいぶかたずけたようだが、何しろ父の年齢分、ものがたまっているから、まだまだたくさんの品々だ。
連れ合いのカシミアのマフラーを形見で父にプレゼントしていたのだが、それは返して貰っていいかしら?と娘に尋ねると、どうぞどうぞ、という。
さらに、母がお土産で持参した大きな塗りの皿も、食堂に飾ってあるのだが、持ち帰りたい、と頼む。

大きなものは裏に誰々に、と書いてあったようで、残りは適当にと、らしい。欲しいものはたくさんあったが、ここで欲を出すとあとでみっともないことになりそうだ。
変な処分をされるのはしのびない、と我が家の由来のものだけにした。
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代父の葬儀に参列して

フランスについて1週間目の今日、父の葬儀が行われた。日本でも、葬儀場が混んでいて、すぐの葬儀が都会では特に無理だと聞いているが、父の場合もそのようだ。
父は、葬儀のやり方について、書いたものを残していたが、火葬を希望していた。その火葬がなかなかすぐにできなかったのだ。

フランスでは一般に土葬というか、火葬にしないで埋葬する。この頃、埋葬する場所がなくなったりで、火葬を希望するケースが増えたらしい。火葬場がそれに伴って増えてはいるのだろうが、相関しているかどうかは確かではない。

娘によると、父の場合も火葬の順番待ちで死亡日から9日先となったそうだ。
滞在を2日延長、フライトの変更、日本での(大したことではないけれど)いろんな予約のキャンセル、いくつかの不都合を処理して、きょうの葬儀に参列した。

教会は、日頃父が通っていたところ、2年前に母の葬儀に参列して、教会での葬儀というものを一応体験済みだ。
しかし、今回はまた違っていた。父がni fleurs, ni couronnesと書き残したため、本当に何もない。
ミサが始まって、お棺が運ばれてきた。火葬だからなのか、母の時より、一段と質素な棺である。なぜか、その棺にフランスの国旗、三色旗が広げられ、その上にクッション上にレジオン ドヌール勲章が飾られている。

この件について、従妹がどう感じているのか、気になった。数年前に彼女のちちおやが亡くなったのだが、彼もレジオン ドヌール勲章を受賞しているにもかかわらず、国旗で棺を覆うことが許されなかったのだそうだ。

式の順序として、甥のピエールが父の経歴について紹介する。学歴、職歴のほか、父の個人的な活動や、趣味、子供や孫のこと、ボランチアの活動で、モロッコ人の子に数学を教え、バカロレアに合格させたことや、私という日本の娘がいることも紹介した。

ピエールのあと、私が短いスピーチをすることになっている。昨夜は、最終原稿で、遅くまで練習、従妹夫妻から、読み方、間合いの取り方、発音、いろいろダメ出しがあって、今朝も出かける間際まで、練習させられたのだ。

そんなにあがりはしなかった。しかし、発音に自信がないので、難しいところで早口になる。
ちょっとユーモアを入れたところでは、笑いも聞こえたし、感動を呼ぶところでは、涙も誘ったようだ。まあまあの出来か、と思うより、自分が感情移入して、ぐすぐすしながら、壇から降りる。
となりに座ったピエールが手を強く握ってくれた。

聖体拝受のところで、従妹がとってもよかった、と囁いてくれた。いとこの連れ合いも、シューペルブと褒めてくれた。彼らはなんでもまずは褒めてくれるから、半分の評価としてもまあ合格点か、と安心する。

葬儀の最後は、棺にお別れだ。神父様が聖水を撒かれたあと、参列者も順番で、棺のまわりをまわり、棺に触れたり、聖水を十字架の形で撒いたりする。しない人もいる。ただ一礼をするだけの人もいる。聖水を撒くのは信者だけだ。
父の孫が一人はモスレムに改宗しているし、もう一人はどんな理由かわからないが、この棺にお別れする行為に参加しなかったのはショックだった。

棺が運び出されて、葬儀は終わる。教会の外では、参列した人たちが、遺族に弔意を示したりしている。

私は、ミサで賛美歌を歌ってくれた人、女性が日本人で、私も日本人というので、話したがっているとのこと。これもご縁とおはなしする。とてもいい声で、ミサ後にお礼を言いたいと
思っていたところだった。

父がやたらと私のことを話していたこと、信者になってから、この教会に共に通ったこと、などから、知人や顔見知りも多い。わざわざ日本からきたのか、と感心してくれる。

スピーチもとても感動したと、ほめてくれた。とても個人的な内容だったけれど、その分、父の人間性を表現できたようだ。
来てよかった。そんな思いで、いっぱいになった。
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